二「生徒会の出願」②

 暇つぶしの本のページを開く手が止まる。辺りを見渡すと金木はスマホを、嵐士は片っ端から棚を物色していた。


 何だ、この時間は。


「なあ金木、俺達は一体何を待ってるんだ」


 生徒会選挙を受けなければいけない事が正式に決まった夕方、俺は同級生二人と生徒会室にいた。

 さっきは面倒くさくて聞かなかったが、金木がこの部屋で待っていた理由を聞いていない。

 俺の質問に、金木は思い出したかの様に答えた。


「ああ、会長を待ってるのよ。今日の放課後、先生に出願の事を聞いたらあとから現生徒会長が説明に行くって言われたから」


 なるほどな。それならばこの時間にも納得がいく。とはいえいくらなんでも、


「暇すぎる……」


 と、思わず溢れた。

 元々早く帰れると思って来たから大した暇つぶしを持ってきていないのだ。本も長々と読めるタイプではないし。


 そんな、俺の口から溢れた言葉に、嵐士はフッと息をつきながら言った。


「まあ、確かになあ。俺も暇なのは好きじゃないんだよな」


 嵐士は持っていた謎のはにわを机に置きながら、これ見よがしに椅子に腰を掛けた。

 なにか嫌な予感がする。こういう時、嵐士は余計な一言を言う事がある。そして大抵の余計な一言は、俺にとってとても面倒くさい事であることが多いのだ。

 「おい」、そうやって嵐士を止めようと思ったのも束の間、時すでに遅し。


「何か暇潰しできねーかな? クイズでも運動でも、何でも良いんだけど」


 遅かった。しかしまだ止めるチャンスはある。ここで「途中で生徒会長が来たらどうするつもりだ」と、一言告げればこの面倒な会話は終わる。


 俺はもう一度「おい」、そんな声で嵐士を止めようと試みた。しかし、またしてもその声は喉より先に出ること無く止められる。


「じゃあゲームしましょうよ」


 金木花蓮、この女の、この言葉で。そして実はこのたった一言が、俺のこれからの高校生活を大きく変えていく言葉にもなる事を、この時は当然俺も、そして金木自身もまだ知らなかった。


「ゲーム?」


 嵐士は少し惚けた様に、そして何処か楽しそうな声色で聞き返す。何でお前はそんなに楽しそうなんだよ。

 心の中で嵐士に悪態をつきながら横を向くと、金木もまた何処か楽しそうに見えた。

 お前もか、揃いも揃って楽しそうに。そもそも俺はそんな暇潰しをしたいとは一言も言っていないぞ。


「そう、ゲーム。というより推理対決? クイズ対決? みたいな感じ」


 ほうら、面倒臭そう。しかも暇潰しでやる事じゃないだろ。何で対決形式なんだよ。

 俺が返答をしないのを確認すると、金木は少し首を傾げた後、続けた。


「じゃあ、お題は私が出すね。今日、貴方達が生徒会室に来る前、私は一人でこの部屋にいたの」


 あーあ、始まってしまった。こうなっては途中で止めるほうが面倒臭そうだ。しかも俺は揉めるのも嫌いなので、楽しんでいる人間に水を差すのも苦手なんだよ。


「で、その一人でいた時なんだけど、実は窓の外からある音が聞こえてきたの」


 もう腹を括るしかあるまい。

 俺はため息を口の中で留め、金木の話に耳を傾ける。

 ある音。部活動の掛け声か、教師や生徒の声か、それとも動物たちの鳴き声か。何にせよこれだけでは特定は出来ない。俺は聞いた。


「その音とは?」

「ピアノよ」


 自信満々に答える金木に、俺は思わず眉を細める。まだ威張る様な事は聞けていないのだが。

 隣で次々に相槌を打っていた嵐士も少し首を傾げている。それもそのはず、ここは普通科でないとしても青春の舞台、高等学校。放課後にピアノの音くらい大して珍しくはないだろう。

 しかし、この反応は金木も予想通りだったようで、身を乗り出しながら続けた。


「ピアノなんて珍しくもない。そう思ってるでしょ。違うのよ、この辻高に至っては、珍しいことなのよ」


 ほう、言い切るか。

 言い切る金木に、次は嵐士がニヤつきながら聞いた。


「その心は?」

「ここ辻沢工科高校では、音楽の授業は一年生の選択授業でしかないわ。そしてその曜日は毎年決まって火曜日。……今日は何曜日?」


 なるほど、そういう事か。


「金曜日だ」

「そうよ。今日は音楽の授業がない金曜日。そして辻高の部活、同好会の中にピアノを使う様なものは一つもない。ここまで言えばわかるわね?」


 金木はさっきより更に自信満々に言い放った。最初に会った時とは随分印象が変わってしまったな。いや、寧ろこれが彼女の素なのかもしれない。

 言いたいことのわかった俺は、金木の聞いてほしい事を尋ねてやる。


「本来ピアノが使用される日ではないのに、ピアノの音が鳴らされた。その理由を推理する訳だな?」

「その通り。どうかしら?」

「良いなそれ! すげえ面白そうだ!」


 金木と共に嵐士はかなりわくわくしていそうだ。正直俺はかなり面倒くさくなってきたが、現在進行形で暇なのも事実。ここはこのゲームに参加した方が時間潰しには良さそうだな。それに途中で会長が来たならそこで止めれば良いだけだ。


「分かった。やろうか、その推理ゲーム」


 俺の解答に二人は見合って喜んだ。

 きっと二人の本質は、元来近いのだろうな。そしてそうならば、俺がここで断っていれば、二人は黙ってこのゲームそのものを止めていただろう。金木は知らんが嵐士はそういう男だ。

 別にそうなっても構わなかったが、流石の俺も十六歳の少女の好奇心に満ちた顔に迫られたら敵わないらしい。

 俺が一人で自らの珍妙な行動に理由付けをしていると、嵐士は自らの鞄からノートを一つ取り出して、言った。


「取り敢えず、状況を整理しようぜ」


 嵐士のこういう所は非常に助かる。意図せず周りを巻き込みつつ、誰かのパーソナルスペースを破る事はない。そして気づいたら周りがまとまっているといった寸法だ。流石は人気物の詐欺師。

 嵐士の言葉に、金木は当時を思い出しながら更に状況を説明した。







 日が沈んできたな、と嵐士が教室の明かりを点ける。

 話し終えた金木は難しい顔をして唸った。


「うぅん、シンプルに音楽の教師が鳴らした、とかかしら」

「それはないな」

「なんでよ」

「辻高の音楽の教師は俺の記憶が正しければ、他の学校でも教鞭を執っていただろう」


 近くの椅子に座った嵐士は腕組みをしながら答えた。


「なーる。じゃあ他の教師が触った可能性はねえの?」

「それも限りなく低いだろうな。工業高校全体の雰囲気かは知らんが、教師達は出来るだけ早く帰りたがってる。音楽が趣味の奴がいたら話は変わるが、そういう教師に心当たりはあるか?」


 俺の質問に、二人はそのままの体勢で一拍置く。


「ねえな。俺は助っ人で結構な運動部顧問と話したけど、一人も聞いたことねえよ」

「私も委員会とか友達の話とか色々思い出したけど、それっぽい話は聞いたこと無いかな」


 となると可能性があるのは生徒か外部の人間か、だ。……正直、生徒だとは思いたくないな。一年生だけで約二五〇人、つまり三学年合わせて七〇〇人以上いる事になる。流石にそれだけの人数から特定の人物を見つけるのは無理だろう。

 渋い顔をしている俺を放って、嵐士は金木に尋ねる。


「金木さんが例の音を聞いたのは、放課後にこの教室で、だったよな?」

「そうよ。授業が終わってから一旦職員室に寄ったから、十六時過ぎね」


 なるほど。となるとまずは生徒の可能性を出来る限り消していきたいが、俺がすぐに帰るから他の生徒の傾向が分からんな。


「この学校では放課後に、生徒が教室に残ったりする事はあるのか?」

「割といるんじゃねえかな。基本部活がないやつはバイトしてるけど、何にも無い時は結構教室に残ってる奴いるぜ」

「そうね。学校は二十時までに出れば良いから、課題とかもあるしみんな残ってるわよ」


 なるほど。しかし、まだ情報が足りない気がする。ならばもう一つの可能性の方だ。


「じゃあ例えば、学校に来る外部の人間と言ったら誰が浮かぶ?」

「外部の人間?」

「何でもいいんだ。浮かぶだけ挙げてくれ」


 二人は俺の質問に少しの沈黙の後、答えた。


「そうだなあ。部活の外部コーチ、保健医、電気屋、あとは教育実習生とかか?」

「それに企業の人、大学関係者、機器の点検の業者、購買部に、自販機とか購買の業者かしら」


 ふむふむ。大方の情報は出揃った気がする。

 それにしても意外にポンポン出たな。二人は案外周りをよく見ているらしい。俺なら二、三個だっただろう。

 俺は心の中で二人の事を少しだけ尊敬すると、その二人に向かって言った。


「少しまとめたい。考える時間をくれ」

「そうね。私も考えたいし、制限時間は十分でどうかしら」


 制限時間がつくのか。まあでも一応ゲームだしな。それも醍醐味の一つだろう。


「分かった。それで良い」

「俺も良いぜ!」


 俺達の答えに金木は頷いて肯定を示した。きっともう考え始めているのだろう。俺も取り敢えずまとめてみるか。

 俺はゆっくりと目を閉じて、集中した。





 まず、金木の話を信じるとするなら、金木が生徒会室に入ったのは十六時過ぎだ。入ってすぐ換気の為窓を開けると、そこからピアノの音が聞こえたという。そして程なくして俺達が現れたらしい。


 次に、音楽室の位置はどこか。生徒会室は東棟四階の二年生教室前、音楽室は同じく東棟の三階端にある。確か一年の空き教室の隣だったはずだ。


 待てよ。ということは金木の六組から一番近いじゃないか。その金木が生徒会室に入るまで音を聞いて無かったとするならば、ピアノが鳴ったのは金木の言う通り放課後だ。更に言えば金木の行ったであろう職員室は同じく東棟二階の普通科職員室なので、その間も聞こえなかったのだとすれば、随分と偶然が重なるな。


 次に、学校の構造だな。この学校は少し特殊な構造をしている。一番わかり易いのは昇降口が二階にあることだ。学校が坂の途中にあるため、そんな構造をしているのだ。

 そして生徒会室の窓の外には中庭がある。中庭を抜ければいつも俺が使っている機械科実習室があり、隣にはゴミ捨て場があったな。


 ん? 同じ凍だが廊下を挟むので音楽室と窓の位置は合わないはずだ。少し気になるな。

 あと残りのキーワードといえば、学校の閉鎖時間、教室に残る生徒、外部の人間、音楽が趣味の教師……。

 ふむ、なるほど。何となく分かったかもしれない。

 俺はゆっくりと目を開けた。そして、丁度十分が経った頃だった。

 携帯のアラームが時間の終わりを告げる。


「はい、終了。どう? みんな答え出た?」


 金木は俺達を覗き込む様に聞いてくる。どうやら金木も何かしら答えに辿り着いたらしい。

 俺は頷く事で肯定を表し、嵐士も同様に首を振った。


「おっけい。じゃあそれぞれの解答タイムね」


 さて、二人はどんな結論に辿り着いたのか。楽しみだな。






――――第二話② 完

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