第2話 あたしの中で疼くもの

『さより、何?』


 春宮の携帯につながった途端、春宮の不機嫌な声が漏れ出てきた。不機嫌とはいっても話を聞いてくれる感じで。カレシにドタキャンをくらった割りに、平静なのだろうか。それは、今は置いておこう。先ずは情報を引き出す。それには――会話のペースを握り、春宮からの問いには答えないこと。


「何じゃないわよ。小町は今、どこにいるのよ?」

『……家よ。戻ったところ』

「一人で出かけてたの?」

『……まあ、そうだけど』

「駅前で男と二人だったらしいけど」

『ちょ、見た――』

「首に腕を回して背伸びしてキスしたんだって?」

『――の? マサ兄とするわけないで――』

「マサ兄っていう、その男の人と二股してたんだね?」

『――しょ! 二股と違うから! マサにいは従兄弟だから! 兄貴みたいな人と、キスするわけない――』

「従兄弟は結婚できるでしょ」

『――じゃん! ねえ、いい加減にしないと怒るよ!? あなた電話してきて、何他人ひとを怒ら――』

「うん、ごめんね。言いがかり付けちゃって」

『――せて、えっ?』

「今日はデートだって聞いたんだけど」

『――それ、どこから?』

「棚橋本人よ」


 ふう、一先ず浮気じゃなさそうなところまで情報を引き出せたかな。そう思って言いがかりのように話したことを謝罪する。穏便に次のステップでお話がしたいから、洋一アイツからデート予定だったと聞いたことを素直に伝えた。伝えたら案の定、春宮が絶句した。そして春宮が再起動を果たすと――


『もしかして、さよりの傍に洋くんいるの?』

「いるわ。小町が浮気したから復縁して欲しい。バイトしてるお店まで来て、バカを言ったわ」

『あー、もう! どうして、そんなことになってんの?!』

「マサ兄っていう男性と、首に腕を回して背伸びして、キスしてるように見えたんだそうよ」


 またもや絶句する春宮。自分のやらかしを思い返しているのだろうけど。悪いけど確かめておかないといけない。


「重ねて聞くけど、マサ兄っていう男性とキス――唇と唇を接触させたりはしてないわよね?」

『……してないわよ』

「少し前学校で話してた――ハイヒール履いたときのキスが上手にできない――それの練習だったりしたの?」

『……そうよ。悪い?』

「間だけ、悪かったわね」


 電話越しに春宮のうなり声だけ聞こえた。たぶん必死に考えてるのだろう、今の春宮が何をすべきかを。しばらく続いた不協和音もふいに止まり――


『決めた。謝りに行く。さよりは今、どこなの?』

「バイト先。その裏の広場。でもダメ」

『……どうしてよ?』

「もう、夜も遅いし道も暗いよ。どうせなら――」


 もうじき夜の九時になるだろう。駅前といえど地方都市このまちの繁華街など、あまり遅い時間まで開いていない。人通りも少なくて必要ないからと外灯もそれほどない。開いているお店といったら、居酒屋か風俗寄りの飲食店だろう。まして不案内な女子高生が一人歩くには向くわけない。あたしだって外灯の整備されている路地を選んで駅へ向かう。だから――


「棚橋をあんたんに行かせるから。化粧を直して待ってなさいよ」

『…………』

「どうせ、ぐちゃぐちゃなんでしょ? ドタキャンされて、トイレで泣いてたんでしょ」

『……どうして、分かるのよ……』


 分かるわよ。洋一バカの元カノなんだから。似たようなこと、あったのだから……


「もしも、今日、棚橋が行かなかったら、一緒にドツイてあげるから。元気、出しなさいよ」

『……ありが、とう……今日、家で待ってる……そう、洋くんに伝えて……』

「分かった。あ、そうそう。棚橋のヤツ、誕生日プレゼント買ってあるみたいだから、期待してなさいよ?」

『……うそ……』


 春宮のすすり泣きが聞こえてきた。本音ではよっぽど落ち込んでいたんだろう。これ以上、話を続ける必要もないと思う。心と化粧を落ちつかせて待っていて欲しい。


「じゃ、電話、切るね」

『……うん……』


 スマホの表示を確認すると、通話アプリの表示は通常に戻っていた。


――はあ、疲れた。


 とにかく春宮の事情は聞いたし、彼女の言うように浮気ではないのだろう。後のことは直接話しあって、自分たちで決めて欲しい――それがあたしの率直な思い。


――さてと、結構時間が掛かったけれど、洋一アイツに電話の内容を伝えよう。


 そうして、距離をおいて待っていた洋一アイツに近づいて行った――


   ◇◆◇


「――と、言うわけ。分かったなら、甘くて温かいものを買って行って、一緒に食べなさい。できれば小町の好きな食べ物で。途中にコンビニくらいあるでしょ?」


 あたしの剣幕にコクコク肯く洋一バカ。たぶん春宮は夕飯を食べてもいないだろう。彼女と落ち着いて話をするなら、甘くて温かい食べ物があったほうがいい。リラックスさせる効果があるというから。それを二人一緒に、それが春宮の好きなものであれば効果も大きいだろう。


「それから、その手の誕生日プレゼント。買ってあるのは伝えたから、仲直りのしるしにでもしなさい。それで、デートをドタキャンしたこと、素直に謝りなさい」


 せっかく用意したプレゼントは仲直りに使え――そう言い含め、広場の出口を指さすように腕を伸ばした。それが合図だと思ったのか、弾かれるように洋一アイツは走りだし、そのまま広場を出ていった。


 洋一アイツが走り去るのを見届け、あたしは手近なベンチに腰を下ろした。


――まあ、今日はお腹一杯。


 二人のその後を知るのは、ゴールデンウィークが明けてからでもいい。きっと春宮は洋一アイツが迷惑をかけたと謝罪してくるだろう。むしろ――


「はあ、バイト、変えようかな――でも、学校斡旋だし、簡単に辞めるな言われてるし――」


 つい嘆きになって漏れてしまったけど、うちの高校は届け出ればバイトができる。ただし、可能なバイトは斡旋リストの中にあるものだけ。だから洋一アイツにバイト先が知れたことが問題で。バレたからといって簡単には辞められない。


 もしも度々洋一アイツに来店されるようになっては、あたしが困窮する。洋一アイツと別れてからの二年の間、心の奥底に沈め、封じていたはずのが何度も浮かび上がってしまう。今日のわずか数時間の出来事でさえ、浮かび上がらせてしまったというのに。冷めきったはずの洋一アイツへの想いと記憶、そして――


   ◇◆◇


 記憶に残る洋一アイツとの最初の出会いは、小学6年生の二学期のこと。あたしは洋一アイツから告白をされた。当時のあたしはいろいろ事情を抱えていたこともあって、友達からで良ければとの条件で告白を受け入れた。その後、中学校が別々になると分かったこともあって、小学校卒業間近に再告白され、正式に恋人同士になった。


 その後のお付き合いは順調で、直接会えるのは週末や夏休みのような長期休暇だったけれど、出来る限りデートをして、会えない分はメッセージアプリを使ったやり取りで埋めていた。この時期のあたしは、お互いにゆっくりと心を成長させながら、洋一アイツときっと明るい未来がある、と信じていた。


 その未来が覆ったのは、お互いに中学2年生だった秋のこと。洋一アイツは修学旅行先で事故に巻き込まれ、空中で閉じ込められる事態に出会った。その後無事に救出されたものの、この時芽生えた衝動があの出来事を生み出してしまう。


 修学旅行から洋一アイツが戻った最初の週末、洋一アイツの家でおうちデート、そういう触れ込みで洋一アイツに誘われていった洋一アイツの家の洋一アイツの部屋で。


 洋一アイツは部屋に入った途端、あたしを急に抱きしめ洋一アイツのベッドに押し倒し、あたしの唇を無理に奪った。あたしの胸をまさぐりながら、あたしの唇をむさぼり尽くし、次のステップへと進もうとした――そのとき、抵抗を続けていたあたしは力を振り絞って、洋一アイツの下から抜け出して距離をとった。それから先、何を非難し、どうやって自分の家まで戻ったかは、あいまいな記憶だ。ただ、洋一アイツの部屋を出る直前の洋一アイツの様子はを感じさせるものとして印象に残っている。


 その後に二人の間にあったのは、メッセージアプリでのやり取りのみ。


『(洋一)ごめん』

『(咲依)わかった』


 その先には事務的な事柄を時々やり取りするだけで、それさえも途絶え、疎遠期間に入ってしまった。


 それから事態が動いたのは、およそ半年後の中学3年生になっての春から初夏に切り替わる季節。あたしは洋一アイツを嫌いになり切れなかった――だから、直接会って確かめて、本当の絶縁それとも恋人関係の継続を決めようと思った。あの時はただ嫌悪感しかなかったあの行為も、疼きを覚えた今なら受け止められるだろう。あたしも成長したはずだ、と思ったから。


 けれど、連絡を取り、いざ会ってみると、洋一アイツの隣には春宮が既に居て。あたしは状況を質したけれど、春宮から積極的に洋一アイツにキスをして、元カノは及びじゃないと春宮が宣って。終始春宮に好きにさせている洋一アイツに言葉を投げても、ただ自信なく笑うだけ。あたしの知る洋一アイツではなく――あたしに告白するほど気概のある人物ではなくなっていたことを受け入れきれず、喪心したままその場を後にした。


 あたしは自宅に戻った途端、涙を流し――洋一アイツへの想いを心の奥底に沈め、二度と出すまいと決めて、初恋を終わらせた――あたしの中に宿った疼きも一緒に沈めながら――


   ◇◆◇


 あふれ出す想いと記憶を、再び心の奥底へ沈めよう――あたしが心の平静化に苦慮していると――


「あれ? そこにいらっしゃるの、庄子先輩、ですか?」


 ひょっこり現れたのは、後輩のまき孝志たかしだった。どうしてここに、と思っていると――


「家業の商品を配達して戻る途中だったのですが、人影が見えましてね。ここに居ては不用心だから、移動を促そうと思ったわけでして」


 尋ねるまでもなく言い訳を始めていた。相変わらず、こちらの考えてることでも分かるのか、的確に答えてくる。相手するのは楽でも、心を許していいのか判別つかない、困った後輩ヤツだ。


「何か、あったのですか?」


 察しのいい後輩ヤツだから気になったのだろう。どう答えたものかと考えていると――


「もしかしてですが、元カレさんですか?」

「……そうだけど、悪い?」


 いつまでもダンマリでは悪いと思うも、察しの良さに面白くないこともあって、態度悪く反応する。けれど後輩はニンマリするだけでノッてこない。しかたなく、今日の出来事を話し聞かせた。


「また迷惑かけられたものですね。何とか縁切りしてはどうですか?」

「簡単にはできない話なの、理解してるでしょう?」


 洋一アイツの彼女、春宮とは今更疎遠にはなれない。特に春宮には、くれぐれも洋一バカを制御してもらわなければならない。そのためにも、春宮にはあたしから助言して関わらないといけない――そのことは後輩も理解してるはず。それでも無茶を言ってくる。


「なら、彼氏を作ってはどうですか? 何なら、もう一度立候補しますよ?」

「遠慮するわ。もう、こりごりよ」


 洋一アイツとの疎遠期間にこの後輩に告白された。あたしは別れたと思っていなかったから、一度目は振ることになった。ただ正直なところ、あたしとこの後輩は似た者同士だと思うから――あたしとは相性が悪いと思ってるから、この申し出は洋一アイツを出汁にお断りした。たぶん、この気持ちも察しそうだけど。


「また振られてしまいました。一先ず駅前まで送りましょうか?」

「それぐらいは大丈夫よ」


 振られた割に動揺一つなく後輩はおどけて見せ、夜道を心配してくる。でも、今は一人で居たい。


「わかりました。お気をつけてお帰りください」

「ハイハイ」


 あたしは早々に去れと言わんばかりに手を振り。後輩は気遣い一つ残して、物わかり良く去っていく。その去り行く背中は、あたしでなければ頼もしく見えたはずで。


 後輩が見えなくなり、再び自分の心を確かめると、既に冷静になっていたと感じた。後輩との気の置けないやり取りが、洋一アイツへの想いや洋一アイツとの記憶を沈めるための潤滑油になったのだろう。そのことには素直に感謝を覚えた。けれど――


 あたしの中の疼き、これだけは沈められそうもなくて。洋一アイツを真の過去にするためには、疼きを昇華するためにも、後輩の言う通り新しい――恋人が要るのかもしれない――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る