第37話 心配したんだから 前編

早乙女学院高等部の一角である保健室。

その中は現在、異様な雰囲気に包まれていた。


百九十センチを超える大男が瞼に涙を貯めながら、正座をして俯いている。

制服の裾は何度も鼻を拭った事でテカテカになっており、親に怒られている子供の様に体を縮こませ震えている。

彼……才川裕作はなさけなくすすり泣き続けている。


一方、その大男に正面から怒りをぶつけているのは、裕作よりも何倍も小さな人物だった。


清潔感のある青のオフシェルダーに黒のショートパンツに身を包み、ふわふわで可愛らしいシュシュで手入れの行き届いた髪をまとめサイトテールにしている。

そんな可愛らしい恰好をした人物が、頭上から蒸気が噴き出しそうな程に顔を赤らめている。


この学院が誇るアイドル、早乙女秋音はガッチリと腕を組み、大変ご立腹な態度のまま仁王立ちをしている。


「もうほんと! ばか! ばか!」

裕作は反抗することもなく、ただ秋音の言うことを受け入れ続けている。


秋音の声は甲高く綺麗な声をしており、とてもじゃないが恐怖を感じるような声色をしていない。

その上、普段秋音は悪口などまったく言わないので、暴言は言いなれておらず驚くほど語彙力に乏しい。

その姿はまるで小動物のようで、事情を知らない人間がみれば可愛らしいとすら感じてしまうだろう。


しかし、そんな迫力の無い声に何度も肩をびくつかせ、裕作は今にも大泣きしそうになっていた。


「もう! なんで沙癒にロクなもの食べさせなかったのよ!」

「だって、いつも締め切り直前の沙癒は何与えても全然食べてくれないんだよ……」

「じゃあ今度から無理やり詰め込みなさい! 何のための筋肉よ!」

「でも」

「でもじゃない、無理やり詰め込みなさい! じゃないとあの子、絵描いてる時まともに食べないでしょーが!」


倫理観などお構いなしの会話を繰り広げる二人に対し、フォローを入れるように沙癒が話しかける。


「……秋、裕にぃ」

沙癒の存在に気が付いた二人は、今までの出来事など無かったかのように急いで沙癒の元へ駆けつける。


「沙癒! あんたもう起き上がって大丈夫なの!?」

「……うん、心配かけて、ごめん」


カラカラになった喉から絞り出されたかすれた声を聞いて、裕作は泣き出しそうになりながら声を掛ける。

「ごめんな沙癒、俺がついていながらこんなことになっちまって」

「ううん、裕にぃは何も悪くないよ」

私は何ともないと見せつけるように、沙癒は小さく微笑む。

優しく、それでいて儚い笑みを見ると、裕作は何も言えなくなってしまう。


「でも――」

「裕にぃ、もう平気。ほら、もうこんなに元気に……っと」

本当はまだ意識がもうろうとしている沙癒だが、なんともない振りをするためにわざとらしく両手を上げる。

しかし、体がユラユラと揺れており、千鳥足のようにバランスが取れていない。


「嘘つき! あんたまだフラフラじゃない!」

そんな様子を見た秋音はすぐさまそばにあった鞄を取り出して、中身がパンパンに入ったナイロン袋を取り出す。


中にはスポーツドリンクや携帯食料、塩分補給が出来るお菓子などが大量に詰まっており、学院の売店で売られている商品をあらかた買ってきた様子だった。


「もー、あんだけ体調には気を付けなさいって言ってるのに」

プンプンと小言を言いながら、秋音は袋の中からゼリー状の栄養剤を取り出して沙癒に呑ませる。


「……なんだか、久しぶりに何か食べた気がする」

「うそ、まさかあんた昨日から何も口にしてないってこと!?」

「……いや、裕にぃには噛みついた」

「バカ! あんな硬くてゴツイの口にするんじゃないわよ!」


沙癒はストレスが溜まると、何かに噛みつく癖がある。

最初の方はガムやストローといった小物を噛んで紛らすが、徐々にエスカレートしていき最終的に裕作に噛みついてしまう。

故に、今の裕作は体中に歯形の跡が残っており、見方を変えれば彼の方が重治療が必要なのかもしれない。


「ほら、それ呑み終わったらこのサプリも」

「んっ」

「水分も取らないとね、はいこれ」

「んーー!」


次から次へと口元へ買ってきた食べ物を突き付けられる沙癒は、口をパンパンに膨らませ成すすべもなく受け入れ続けている。

一見苦しそうに見えるが、先ほどよりも血色がよくなってきている。

栄養のある物を摂取したこともそうだが、何よりも秋音と接することにより表情が柔らかくなってきている。


「ほんともー、世話焼けるんだから」


秋音は沙癒のおでこに手を当て熱を測ったり、身体中をくまなく触って外傷がないかを何度も確かめている。

その姿はまるで過保護の親が子供に対し過剰に心配するようだった。


「ふふっ 秋、くすぐったいよ」

「も~、ほんと心配したんだから、これくらい我慢しなさい」

小さく微笑む沙癒に釣られてか、いつのまに秋音の表情もパッと明るくなり、いつもの調子に戻っていた。

まるで有り余る元気を分け与えられたように、少しずつ活力が戻ってきているように感じる。


ここは秋音に任せてもいいだろうと思い、裕作は背後にあった椅子にどっしりと腰を下ろす。

裕作も裕作で、心の底から沙癒の体調を心配しており、緊張の糸が切れたように大きな息を地面に吐く。


「先輩、大丈夫ですか?」

そんな様子を心配してか、近くにいた七海が裕作の背中に手を置きながら話しかけてきた。


※後半へ続きます

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