第37話 心配したんだから 後半
心配そうにこちらを覗く七海に対し、裕作は小さく笑いながら返事をする。
「俺は何ともないよ、ただちょっと安心してな」
「まぁ先輩も相当焦ってましたからね」
今から少し前、沙癒が倒れたことを知った裕作はホームルームなどほったらかして保健室に駆け込んだ。
保健室の先生に殴りかかる様な勢いで沙癒の状態を問いただしたり、今すぐにでも大病院へ連れていくべきだと何度も救急車を呼ぼうとしていた。
そして、裕作より少し遅れて駆け付けた秋音がその慌てっぷりを見かねて「沙癒が起きるでしょーが!」と激昂し……今に至る。
「七海もありがとな、沙癒を助けてくれて」
「た、助けるなんて大げさですよ、僕はただ保健室に運んだだけですし」
七海自身は大したことはしていない思っており、感謝の言葉に対し大げさに首を横に振っている。
「んなことはないよ、七海がいなかったら沙癒は今頃どうなってたか……」
「僕と沙癒ちゃんはもう友達ですよ。友達助けるのは当然でしょ!」
「お前、ほんといいやつだな」
実際、作品を提出しにいった美術室は教室から離れた位置にあり、人通りが少なく授業が無い限り誰も通ろうともしない。
もしあのまま沙癒が倒れたままだった場合、容態は今よりも悪化していた可能性がある。
「本当にありがとな、またなんか奢るよ」
裕作は立ち上がり、頭を深々と下げて七海に対しお礼を言う。
律儀にも取れる姿勢、そして弟を溺愛する数々の行動。
その見た目との差がすさまじく、七海は思わず「いやぁ」と照れくさそうに頬を掻く。
――ほんと、不思議な人だな
七海は心の中でそんな感想を抱いていた。
圧迫感すらあるその巨体は、初めて見た誰もが恐怖感を覚えてしまう。
着痩せしているとはいえ、遠目で見ても分かるくらいの恵まれた体格に、鋭く指すような視線を放つ大きな目。
短く切り揃えられた黒髪に彫りの深い顔つきは、男らしさをより際立たせている。
寡黙、短気、不器用。
そんな言葉が似合うような少年……なのだが。
実際の所はその逆で、裕作は良く喋り、懐が深く、そして礼儀正しく気が利く。
一度は話せば彼に対する偏見が拭えてしまい、誰とでも仲良くなってしまう。
むしろ、知れば知る程に魅力がより一層際立ち、そのギャップにヤラレてしまう人間が多い。
「あ、ああ! 先輩、もしかしてそれ。デートのお誘い……だったり?」
照れくささを紛らわせるためか、七海は突拍子のない事を言い始める。
「……デート? まぁ、飯食いに行くしそうなるかもな」
「じょ! 冗談ですよ! 僕たち男同士だし! まだ早いっていうか……その」
「そうか? ならいいが」
「え……いえいえ、行きます! 僕お腹ペッコペコです!」
照れ隠しの行動とは裏腹に、裕作は間抜けな声で返事を言う。
朴念仁の裕作にとって、相手の繊細な気持ちを察する事など到底出来ないだろう。
「……ちょっと、あんたら何話してるのよ」
そんな二人に割って入るように、口を尖らせた秋音が話しかけてくる。
「き、聞いてくださいよ秋先輩! 僕、先輩にデート誘われまして~」
「ででで、デート!?!?」
助け舟だと言わんばかりに登場した秋音に対し、自分の言った冗談を拡散して場を濁そうとする。
しかし、七海が予想していた以上に彼は過剰な反応を見せた。
「あああ、あんた本気で言ってんの!?」
「いててて! 腕引っ張んなって!」
今日一番の赤面を見せ、秋音は裕作の右腕に掴みかかり、ぶんぶんと左右に引っ張り回す。
「あんた! 他の子にそんなことして! もー!」
「あー違う違う! 飯! 飯を食いに行こうって言っただけだよ! 沙癒を助けてくれた礼に!」
「そ、そうなんですよ! 冗談です! 僕の冗談ですって!」
「な、なーんだ。ただの冗談だったのね、ふんっ! 紛らわしい」
冗談と分かり冷静さを取り戻した秋音は、乱れた髪を手櫛で整え、いつものように腕を組み鼻を鳴らす。
一方、散々腕を振り回された裕作は疲労のあまりその場で座り込み、大きなため息を吐く。
「先輩がなんか奢ってくれるっていうんで、ついテンション上がっちゃって……ほんとすいません」
「七海、あんたそんなにお腹すいたの?」
「お腹の調子はボチボチですが、奢りとあればすっ飛んでいきます!」
「なんて折衝のないやつ……」
七海には遠慮や忌憚という言葉は存在せず、己の欲望に忠実で自由気ままに生きている。
それを図々しさと感じる者もいるかもしれないが、先輩の立場から見ればこれほど可愛い存在はいない。
「それならあんた、今日家に来ない?」
秋音からの突然の提案に、七海は首を傾げて「家?」と質問を投げ返す。
「えぇ、今日は沙癒にちゃんとした物食べさせようと思ってるから、七海もついでにどう? 晩御飯ご馳走してあげる」
秋音の提案に対し七海は、
「い、いいんですか!? やったー、タダ飯だ~」
両手を上げて嬉しそうにその誘いを快く承諾した。
「裕作も来なさい、あんたもどうせ暇でしょ?」
呑気に浮かれる七海に対し、裕作は座り込んだまま「いいのか?」と念のため確認を取る。
「別にいいわよ、二人も三人も変わんないわよ」
秋音はそう言うと、ポケットから携帯電話取り足した。
慣れた手つきで画面を操作して、そのまま誰かに着信を掛ける。
「――あ、もしもし黒川? 今日車回して頂戴。後、夕食の手配もお願い。……そう、沙癒がまた倒れてね」
どこかへ電話をしている秋音を見て、裕作は背伸びをした後にゆっくりと立ち上がる。
「じゃ、俺は帰る支度してくるわ」
「先輩、今手ぶらですもんね」
「あぁ、沙癒の事が気になってホームルーム飛んできたからな」
自慢げに話をした後、裕作は「じゃあまた後でな」と言い保健室を出ていった。
「――おっけ、連絡終わり。沙癒、あんたも帰りの支度済ませて来なさい」
電話を終えた秋音が沙癒に対し帰り支度の催促をする。
「…………」
「沙癒?」
しかし秋音の言葉に耳を傾ける子はなく、沙癒はペットボトルの呑み口をガジガジと噛みながら、ただ一点を見つめていた。
視界の先にいるのは彼……新海七海だった。
沙癒は渡された物を食べながら、ずっと黙って三人の様子を見ていた。
初めはなんとなく三人の様子を眺めていただけだった。
しかし、洞察力に優れた沙癒はある事に気が付く。
それは、秋音に夕食の誘いを受けた瞬間。
七海はほんの、ほんの一瞬だけ。
残念そうな表情を浮かべた。
そして、もう一つ。
教室へ向かう裕作の姿を、七海が少し寂しそうな表情で眺めている事に。
それは、当の本人ですら気が付いてない無意識の行動。
傍観者であったからこそ気が付いた変化。
七海の心の底に、芽生えかけのある感情が存在している事に。
「……デート、か」
裕作が出ていったドアを見つめ、七海は誰にも聞こえないくらいの小さな声で呟いた。
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