幕間5 シンメトリーのマリアージュ

宙に飛ぶサッカーボール。

誰もが見上げるばかりで動かない。


普通ならばそのままフィールドの外へ飛び出す軌道。

そんな中、一人の青年だけがそのボールに反応出来た。


「いけー七海!」


クラスメイトからのパスを受け取った七海は、掛け声と共にドリブルを開始する。


立ちはだかるは三人のデフェンス。

七海を徹底マークするよう言われ、全力で張り付いたサッカー部。


「行かせるか!」

「今度こそ!」

「止めてやる!」


三位一体の姿勢で挑む男子に対し、七海はそのまま突っ込む。

体育の授業だからといって、彼らは手を抜くことは一切しない。


三人、それも現役のサッカー部が立ちはだかっている。

いくら運動神経が良い七海でも、これを突破するのは不可能。


そう、誰もが思っていた。


「よし! いくよ!」


小さく笑った後に、七海は更にスピードを上げる。

七海はドリブルの際フェイントを織り交ぜ、走りに緩急をつけ、ボールを宙へ打ち上げる。

複雑で多様な攻めの前に、彼らは成す術がない。


「なに!?」

一人を抜いて、

「くそ!」

二人目を抜いて、

「まじかよ!?」

三人目も華麗に抜き去った。


絶望する相手チーム、黄色い声が鳴り響く外野。

そのまま七海はドリブルを続け、ゴール前まで一直線に駆け抜ける。


「おいしょ!」


声と共に放たれるシュート。

しなやかな足で蹴られたボールは、まるで矢のように空を切る。


スパイクを履いていないにも関わらず、ボールは正確な狙いでコーナーギリギリの鋭い角度で飛んでいく。

現役選手顔負けのお手本のようなシュートをキーパーは止める事が出来ず、そのままゴールネットへ突き刺さった。


試合終了間際に入った三点目。

それは、新海七海がハットトリックを決めた瞬間でもあった。


▼ ▼ ▼


「なんなんだよあれ〜」

「何も出来なかったしよ〜」

「俺らサッカー部なのにな〜」


三人は体育が終わった後に、授業で使ったボールを集めていた。


負けたチームはそのままグラウンドの片付け。

その条件で勝負を吹っかけた三人は敗北を噛み締めながら、彼らは体育で使った備品の後片づけを終えた。


試合に参加した生徒の他にも、ただボールを蹴って遊んでいた生徒もいる兼ね合いで、倉庫から出されたボールの数はそこそこの数になる。

三人で運んだとはいえ、それなりの時間が掛かってしまった。


「あいつ運動神経も良いのかよ」

「やっぱ人気者はかっこいいだけじゃないね」

「流石『王子』って言われるだけあるわ」


七海がこの学院にて呼ばれる呼称。

既に高等部の中でもトップクラスの人気を誇り、女生徒にモテまくっている。

女の子にモテたいという理由だけでサッカー部に入った彼らは当然嫉妬し、この体育の授業を利用して七海に勝負を仕掛けた。


しかし、結果は惨敗。

彼らはもう嫉妬をする事など諦め、ただ男としての格の違いを感じ、三人ともため息を吐く。


「ようやく終わったよ」

「あー、もう昼始まってるわ」

「腹減ったー」


三名は体育倉庫の戸締りをした後、愚痴を溢しながら食堂へ向かう。

もう既に昼休憩が始まっており、体操服姿のままなのはこの三名だけだ。

本当は着替えてから食堂へ向かいたいが、育ち盛りの高校生三人は食欲を抑えることが出来ない。


体育で全力で試合をした後に片付けまでした体にはもう体力は残っておらず、彼らは棒のようになった足でフラフラになりながら歩く。


私立早乙女学院には学食の定額制度があり、月々の支払いをしていれば学生証を提示するだけで昼食を楽しめる。

特に運動部に所属している学生の多くがこの定額制を利用しており、彼らもそれに該当する。


財布を持っていない手ぶらでも、学生証さえあれば何に問題もなく昼食にありつける。


「ようやくついたはいいが……」

「なんかいつもより混んでね?」

「うげー、今日あの日じゃん!」


いつも学生で混雑している食堂だが、今日はそれ以上の人混みになっている。

そう、学食に新メニューがラインナップされる日だ。


私立早乙女学院の学食は安い上に美味い。

その上、月に何度か新しいメニューが登場し、学生を飽きさせない。


今日はその新メニューが登場する日であり、普段食堂を利用しない学生も来る一番混雑する日。

こんなに限って体は疲れ切っている。

あの人混みの中へ飛び込み、注文をしてくる程の体力など残されていない。


「お前行って来いよ」

「いやだよ、もうクタクタだ」

「腹減って倒れそう」


ギュウギュウと満員電車の様に圧縮された人混みを見つめながら、彼らは今日何度目か分からないため息を吐く。


「――あれ?」


すると、今の状況に絶望する三人の前にある男が現れる。


「や! さっきぶりだね三人とも!」

軽快な挨拶と共に、先ほどサッカーの試合で戦った相手……新海七海と出会う。


「新海か、何の用だ?」

「つか、何でお前体操服のままなん?」

「俺らより先に教室帰って着替えたはずじゃ?」


立て続けに聞かれた質問に対し、七海は頭を掻きながら唸り声を上げた。


「ん~、体育終わった後に女の子たち追われて。着替える暇なかったんだ」

そう。彼は今さっきまで外野にいた女の子に追われ、なんとか逃げ切った後だった。

当然着替える暇などなく、体操着のまま食堂へ来たということになる。


「そういう君達は着替えないの?」

七海がそう答えると、

「体育の後始末をやっててな」

「それが長引いてしまって」

「今になるってわけ」

三人は息の合った返事をする。


その言葉を聞いた七海は、申し訳なさそうな表情を浮かべる。

勝負を吹っ掛けたのは彼らの方で、七海は何も悪い事をしていない。


「……なんかごめんね、僕のせいで」


しかし、彼も人が良い。

彼らが遅れたのは自分のせいだと思い、頭を軽く下げて三人に謝る。


「いやいや、元々俺らの提案だ」

「お前のせいじゃない」

「ほんとほんと、気にすんなって」

「でも、そのせいで遅れちゃったし……」


彼らは慌てて言葉を投げかけるが、それでも七海は納得が行っていない様子だった。


食堂を利用する人間にとって、昼休憩に出遅れる事は死を意味する。

人気の席は取られる上、人気メニューは直ぐに無くなる。

特に、今日の様に人が集まる日に出遅れた場合は昼食をまともに取れるかすら怪しくなってくる。


「――よし、待ってて! 僕が四人分の食券取ってくるから!」

「え! 今からあの人混みに行ったら死ぬぞ!」

「そうだぜ、俺らも諦めようとしてたとこだ」

「おとなしく自販機で菓子パンでも買ってしのごうぜ」


彼らが指さす先……食堂の食券売り場には暴動の様に生徒が密集し、昼食争奪戦が繰り広げられている。

そこは無法地帯であり、順番など関係なしのバトルロワイヤルと化している。

既に何十人といる集団に突っ込んだ所で揉みくちゃにされるのがオチだ。


「ははっ! 安心しろって、僕に任せろ!」

七海は胸に拳をドンっと突き出して、ニカっと白い歯を見せつけて彼らに笑って見せる。

その笑顔をは柔らかく、屈託なく、そしてとても可愛らしいものだった。


これが新海七海の持つ二面性。


頼りになるその言葉とは裏腹に見せる、少女のような純粋無垢で眩しい可愛らしい笑顔。

三人の思考はぐちゃぐちゃになり、思わず見惚れてしまう。


「んじゃ! 行ってくる!」

そういうと、七海が何の躊躇もなく人混みの中へ単騎突撃をしていった。


「……なんかあいつ、王子っていうより」

「……戦場に向かう姫って感じだよな」

「……正直好きになった」


彼……新海七海は今日も無自覚にファンを増やしていくのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る