第27話 その味は多分、甘かったです

「……先輩って、なんか不思議な人ですね」

七海はクシャクシャにした紙ナプキンを広げて、丁寧にしわを伸ばしていく。


「そうか? 別に普通だと思うぞ?」

「いやいや、そんなことないですって」

さっきまでの重たい口ぶりとは打って変わり、弾むような軽い口調になっていた。

どうやらいつもの調子に戻っており、裕作はホッと安心感を得る。


「最初はなんか怖そうだなって思ったんですが、話してみるとそうでもないなぁって」

「もしかして俺舐められてる?」

「まさか! いえ、実はちょっと舐めてます」

「なんだと!?」

「あはは! 冗談ですよ!」


綺麗に広げた紙ナプキンを再び折り始めながら、七海は楽しそうに話を続ける。


「――僕、野球やってたんです」

「へー、そうなのか」


裕作はその言葉を聞いて、妙な納得感を抱いていた。

最初に握った手がしっかりとしていた事、しっかりとついた筋肉の事。

そして何より、ファンから逃げる時に見せた俊足の走力。


何か運動をしているとは思っていたが、野球をしているのであれば納得がいく。


「でも中学最後の大会で肩壊しちゃって、引退したんですよね」

「……そうか」

「あ! そんな重たい話じゃないですよ!? もう半年以上前の話だし!」


七海は悲しげな表情を浮かべる裕作を見ると、席を勢いよく立ち上がり慌てて訂正する。

ただでさえ集めていた視線がより鋭くなり、七海は静かに座り直し「ゴホン」とわざとらしく咳ばらいをした。


「それで色んな事がどうでもよくなって。進学先も適当に選んで、この先ずっと退屈なんだろなぁって思ってたんですよね~」


七海はせっせと紙ナプキンを折り続けながら、話を続ける。


「でも、先輩がいるならちょっとは退屈しなさそうです」

彼にとって、裕作は今までに会ったことのない種類の存在だった。


中学までは野球関連で近寄ってくる人間がほとんどで、高校ではその容姿に引き寄せられたような人間ばかり。


来るもの全員、何かしらのやましい気持ちを抱えている事を七海は常に感じていた。

だからこそ、今まで出会う人間とは一歩距離を置くことが大半だった。

新海七海には、心から信頼できる人間は家族以外に存在しない。


そんな中、目の前にいる裕作はなんの損得勘定も無しに接してくれた。

自分の過去も知らなかった上、彼からは下心をこれっぽっちも感じない。


七海にとってそれは初めての出来事であり、彼は裕作にとても興味を示した。


この人と、もっと話したい。


もしかすると、今抱えているこの気持ちを晴らすきっかけを、この人はくれるのではないか。

そんな期待を込めて、七海は裕作とこれからも関わっていこうと心に決めた。


「――よし、出来た」

折り終わったのか、七海は裕作に向けて紙ナプキンを差し出す。


渡された紙ナプキンは、大きなハートの形を模したものだった。

一度丸めているからしわだらけになっているが、それでもよく出来た綺麗な形をしている。


「へー、こんな形にも出来るのか」

「結構簡単ですよ、何なら今度教えましょうか?」

「お、いいのか?」

「はい! じゃあまた遊びに誘いますね!」


流れるような動きで次の予定を決めていき、次なる手を打つ。

渡された紙ナプキンを眺めている裕作を嬉しそうに覗く七海は、自慢げな顔を浮かべて微笑んでいる。

常人であれば、こんなハートマークを送り付けられただけで意識をしそうなものだが、それでも裕作は「器用だな」くらいの感情しか芽生えていない。


「あぁ、暇な時ならいつでも誘ってくれ」

「えぇ! なんせ何でも奢ってくれる先輩なんて中々いないですかね!」

「おい! 奢るのは今回だけだぞ!」


ツッコミを入れる裕作に対し、大きな口を開けて笑う七海。

周りから見た二人はちゃんと仲がいいカップルの様に見えており、もう既に他人の干渉など出来ない程に関係が仕上がってきていた。


「――お待たせしました」


そうこう雑談をしていると、お待ちかねのパフェが出来上がったようだ。

店員が二人係で運んできたのは、高さ二十センチはあろう巨大なカロリー爆弾だった。


看板に表示されていたサイズに偽り、いや、それ以上に盛られた苺が二人の目の前にそびえ立つ。

軽く引いた表情の裕作に対し、目を星の様に輝かせて今日一番の笑顔を見せる七海。

巨大なパフェを運び終えた店員は、おまけと言わんばかりに裕作の目の前にブレンドを置いてから「ごゆっくり」と丁寧にお辞儀をして席を後にした。


「先輩! これちょー美味しそうっすね!」


ポケットから携帯電話を取り出し何枚も写真を撮る七海を見ながら、裕作は珈琲を一口啜る。

味とか見栄えとかそういう段階の話ではなく、まず食べきれるのかという心配をする。

大食いの裕作から見ても、明らかに異常な大きさをしていた。


「……七海、これ俺らで食いきれるか?」

「へ? 先輩も食べるんですか?」

「は?」


横取りされると思ったのか、中央に置かれたパフェを自分の方へ引きずって独占しようとしていた。


「お前、一人で全部食えるのか?」

「元々そのつもりでしたが」

「うそだろ……」


開いた口が塞がらず、裕作は唖然としていた。

元々二人組で食べきる想定で提供されているパフェを、彼は一人で完食しようとしているのだ。

しかも、七海は冗談で言っているわけでもなく本気でそうするつもりだったようで、両手を合わせ「いただきます」と言ってからフォークを握り絞めて、てっぺんの苺を食べ始めた。


「んー! 甘い!」


大粒の苺を食べた瞬間、頬を抑えながら幸せそうに目をつぶる。

一口目をしっかり味わった後、七海はパクパクと苺を一つずつ平らげていく。


一つ、また一つ。


彼の食欲は留まることを知らず、裕作が珈琲に三回口を付けるころには既に三割程食べ進めてしまった。


赤く熟した苺を口に入れる度に「んー!」と嬉しそうな声をあげて食べている姿は、誰が見ていても飽きない。


「もぐもぐ」

「――ほんと、うまそうに食うな」

「ほりゃ、もっちゃふまいへふはら」

「飲み込んでから話せ」


唇に生クリームを付けたまま「ごくん」と喉を鳴らして飲み込んでから、

「めっちゃ美味しいですよ!」

と、子供のような無邪気な笑顔を裕作に見せた。


「そりゃよかったよ」

裕作は頬杖を突きながらなだめるように相槌を打つ。

この調子なら一人でも完食出来そうなので、このまま食べ終わるまで待っていようと思っていた。


「――先輩も食べます?」


すると、七海からある提案が入る。

「いいのか?」

「いいですよ、元々先輩のおごりなんですし」


気を利かせたのか、七海は手元にあるパフェを中央に戻した。

せっかくのご厚意だと思い、裕作は別で用意されたフォークを手に持ち苺を一つ突き刺そうとした。


「はい、あーん」


しかし、それよりも先に七海は自分のフォークで指した苺を裕作に突き付ける。

「お前、何してんだよ!」

「何って、食べさせようとしてるだけですけど」


前のめりのまま話しかける七海に対し、後ずさりするように距離を置く。


「いやいや、それは流石にまずいんじゃ」

「でも僕たち、今はカップルの設定ですよ?」

「うっ」


周りはカップルばかりで、ここでは別に珍しい光景じゃない。

現に、先ほどから他の席にいる男女のペアのほとんどは同じように食べ合わせを行っている。


「早くしないと落ちちゃいますよー」

苺に付いた生クリームが重力に従って落下しそうになっており、タイムリミットの様にカウントを始める。

流石に机を汚すわけにもいかず「ったく」と一言挟んでから、裕作は姿勢を前に起こして口を持って行く。


「あーん」

「あー」


少し照れた表情を浮かべながら、裕作は大きな口を開けて苺を一口で豪快に食べる。


「ん、これは――」

しかし、そんな恥ずかしい気持ちが一瞬にして吹っ飛んでしまうような甘さが口の中で広がる。


生クリームは程よく甘く、舌の上でとろけていく。

大きな苺は噛むたびに柔らかい果肉からすっきりとした甘い果汁が口いっぱいに溢れてくる。

今まで食べたこともないような美味しさに、裕作は感動を覚えた。


――確かに、これは美味いな


「えへへ、どうですか?」

ニヘらに笑う七海に対し、裕作が味の感想を話そうとした、その時。



――ゴン! と何かがぶつかる鈍い音が鳴った。



「……?」

苺を口に頬張った状態で音のした方向へ視線を向けると、そこには……


分厚いガラスに額を押し付けた才川沙癒が、迫真の表情を浮かべてこちらを見ていた。


「――?」


微かに聞こえる声は怨念が込められたように冷たく、裕作の体の底から震え上がらせる。

口に入れた甘いはずの苺の味は、もう何も感じなくなっていた。

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