神に挑む狐 弐


 観戦席でキャラメルポップコーンを食べていた椿姫が、「ふうん」と声を漏らす。


「夜葉の姿なら、案外五隊総長二人がかりで倒せるんじゃない? 万里恵なら、暗殺で一匹でもいけるかも」

「暗殺しても第二形態があるから負け戦じゃん。ってか、柊ってマージで真似の術使えるんだ」


 万里恵がワッフルを齧る。


「お前ら危機感なさすぎだろ……」

「俺はどっちが勝ってもおかしくないから、興奮と冷静の狭間で揺れてるよ」


 男組の燈真と蓮はそんな反応だった。が、燈真は膝に桜花を乗せてあやしつつ、蓮はビール片手である。一応彼らは〈庭場〉形成を行っているが、まあ、観戦にも集中するために分担したのだから、これくらいはご愛嬌だ。


 菘がじっと夜葉を——いや、常闇様を見ていた。


「どうしたんだい、菘」

「ごかく。ようりょくも、にくたいも」


 彼女の目には二重の同心円。神眼で見抜いているのだ。

 竜胆は顎に手を当て、


「柊って、ああ見えて本当に神格だったんだな」


 するとそれまで黙っていた伊予が、微笑む。


「本当に稲尾之神社になったりしてね」


×


 ぐんっ、と常闇様が剣を薙ぎ払った。

 ロボットアニメのビームソードよろしく妖力で刀身を嵩増ししたそれは、刀身の長さが優に三〇〇メートルを超える。質量を伴わない妖気の刃ゆえ、それを振るう常闇様にはなんの負担もない。


(ふん。常闇様に膂力云々を持ち出すのは無駄だな)


 柊は毛針硬化を発動。九本の尾を盾に、斬撃をいなす——が、衝撃でゴムマリのように吹っ飛んだ。城壁がわりの門を二枚貫通、そこで姿勢を半回転させて三枚目の城門に足をつけて垂直に着地。鬼の顔が彫られた門を歪に凹ませて、衝撃を殺した。


(くそ、燈真に殴られる以上のパワーだ。なんて女だ……クク)


 左右の手には、風の刃が逆巻く。それを合わせ、激しく波打つ暴風の刃を生んだ。

 さながら質量を与えられた竜巻のごとき勢いで、不可視の刃が暴れ狂った。

 木々、岩、社、そして岩盤までをも叩き切る風の斬撃。

 常闇様はことごとく四本腕に纏った術で弾き、防御。体に纏った『万物反転の鎧』は術としての出力よりも即座に攻撃弾く反射性に割いたカウンター用の術だ。それを上回る攻撃は防ぎきれない。

 天然の鎧と言える肉体を、うっすらと裂いた。それだけだった。


(まだ終わらんぞ)


 常闇様が何かを察知したのか腕を引いた。直後、妖気で弓が形作られた。

 かつて蕾花——に成る前の邪神を穿った、霊弓である。


「さあ、女らしく、度胸と漢気の勝負と行こうかしら!」

「あァ、妾とて望むところ!」


 柊が、胸郭が変形するほど空気を吸い込んだ。常闇様が矢を番え、放つ。

 妖力と霊力が激突する。

 吐き出した膨大な吐息は、合成された術であった。

 凄まじい暴風と、それに乗せられた絶対零度がごとき冷気。

 柊が息を吹いた、前方奥行き四〇〇メートルが一瞬にして凍結。冷気を孕む風の刃が切り裂いた対象はことごとく凍結していき、それを真正面から浴びた矢が一気に失速した。

 加えて、氷塊をいくつも砕いていくうちにさらに勢いが殺されていく。

 やがて、妖力そのものが凍りついた。

 矢の形をした妖力の氷像が、ごろんと落ちて転がる。


「戦国時代に妾を暗殺しに来た猫と、生意気な息子の良き妻の術でな。使い勝手がいい」

「なんで異なる二つの術式の併用ができるのかしらね。……それ、私にもできないのに」




「幽世妖怪の法則としてはな、生まれ持った術は原則併用できない。というか、同一の器に二つ以上共存できないんだ。互いに阻害しあって、まともに機能しない」


 見習いアトラ:さっきの穿牙は?

 だいてんぐ:あれは妖力の塊であって、術ではないんじゃない? 妖力の操作の範疇なんでしょ。まあ、柊様は例外的に併用ができる方だからわからないけど

 きゅうび:基礎術は妖力操作だから、身体強化と狐火はできるってことか……あくまでも、幽世では、だけど

 トリニキ:バトル漫画みたいやな……

 ユッキー☆:柊様、まさか二つの術を使うときに体の左右にそれぞれ違うものを刻んで、こう、妖力で肉体を分断して併用してるんじゃないか?

 きゅうび:それ、常に自分で自分を両断してるってことやぞ

 MIKU♡:不死身なら可能なのでは?

 オカルト博士:理屈では可能やね。二つに割った体に、それぞれ術の扱いを完結させてるわけだし


 コメント欄の読みは——ユッキー☆こと雷園寺雪羽の読みはドンピシャだった。

 柊は術を併用する時、自ら妖力で肉体を切り分けている。分裂した肉体を妖力操作でくっつけて維持し、気が狂うような激痛を『慣れ』だけで耐え、馬鹿げた運用を行っているのだ。

 柊もまた狂人の部類である。むしろ、始祖である彼女が最も狂っているのだ。


「そっか、それなら……俺にもできるかもな。へえいいこと聞いた」




「妖力って凍るのね。でも、私の矢は弾性力で飛ばしてるわけじゃないのよ」


 ぐぐ、と凍りついた矢が持ち上がった。

 表面の氷に亀裂が入り、柊は瞬時に結界を張る。


「念力は、妖怪だけのものじゃないわ」


 その念力で、内側の妖力を暴走。連鎖反応的に膨れ上がったそれが制御を外れ、爆発した。

 周囲一体の氷原が一瞬で蒸発。草と土も消し飛び、その下の岩が煮えたぎり溶岩と化す。

 加えて常闇様は、神社街の境内にあった大岩を念力で持ち上げ、柊の頭上から落とした。


「岩戸落とし」


 純粋な質量による圧殺。攻撃側にも防御側にも一切の小細工を必要としない、力技だ。

 けれどもやはり、柊には対策があった。


「術ではないから併用はできんが……これは、常闇様も知らんだろ」

「見せてちょうだい」


 ごう、と落ちる大岩を、柊は右腕一本、突き上げた拳で粉々に砕いた。


「妖力を力に変換する能力。燈真が当代で取得した妖術もどきだ」

「ハッ、バケモノみたいに強くなっていくわね、私の部下は」


 だが、代償もある。

 柊の額にはうっすらと汗が浮かんでいた。

 無限の妖力。それに付随する不死身の肉体。模倣しストックした無数の術式。

 術式を刻み変える都度、柊の肉体は傷つく。併用する都度、肉体を二つに切り分ける。

 痛みには耐えても、治癒する代謝の反応——上がり続ける体温は、増大するエントロピーまでは超越できない。これは、不死身の宿命である。


「稲尾柊。お前の健闘に応えようか」


 常闇様の声質が変わった。

 法陣が、その形状が変わる。

 シンプルな二重円だったものが、歯車のように円と円の間に柱ができ、出っ張りが生まれる。その出っ張りの先で、都合八つもの小さな二重円が生まれた。


「光栄だ、常闇様。だが、妾はまだ自前の術を見せておらんぞ」



 観覧席に、俄かにざわめきが生まれた。


「柊の術……禁術中の禁術ね」

「なにそれ」「きになる」


 菘と桜花が椿姫の顔を見上げた。

 その質問に答えたのは、柊の旦那である善三であった。


「俺も一度だけしか見たことがない。何、小難しいことはない。狐火だ」

「私たちの〈千紫万劫せんしばんこう〉みたいな?」

「その比じゃないのよ、椿姫ちゃん。柊の火は、その燃焼対象に概念を含む。時空を超える千里天眼、術の模倣、そして神炎。知ってる? 柊は、因果を破る術を三つ持って生まれた狐なのよ」


 伊予がそう言った。

 燈真はかすかに、恐怖さえ感じた。

 おそらく、柊は使うのだ。その神炎を。



「因果律は、いわば可能性。可能性とはすなわち、妖力。……実現されず折りたたまれていった無限個の可能性。あらゆる生命がそれを秘める。それに気付いたもの、触れた生物が妖怪へ覚醒し、妖力を得る」

「妾はさしづめ己の可能性を、胎児の頃に自覚したのだろうな。可能性という、制限のないエネルギー。それが妖力。この幽世世界の絶対法則だな」

「そう。私の最高最強の技は『穿牙』と原理は全く同じよ」


 柊の両手のうちで、月白の狐火が渦を巻く。

 常闇様が四本の手の中に生成した宇宙で、無限の妖力が惑星のような輝きを放つ。


「女妖怪らしく——」

「——度胸比べといこう!」


 彼我の距離、およそ八〇〇メートル。

 妖気が爆ぜた次の瞬間、視界も、モニターも真っ白に染まった。



 ————、————————、————。

 ————————。————。


「あー、あ、あ。よし、回線が生きててよかった」


 きゅうび:記憶が飛んだかと思いました

 だいてんぐ:可能性が折りたたまれる、って話は面白いですねえ

 ユッキー☆:本当にこれ生物が起こしてる現象なんか

 トリニキ:まあ世界の法則が違うからね

 がしゃどくろ:やばい、三本目

 すねこすり:ペースはやっ

 MIKU♡:ワイは飲みすぎるわけにはいかんので節制


「皆さん、これカメラ機能してるからね。壊れてるから真っ黒なわけじゃないんだぜ」


 カメラが映し出す映像。

 それは、一面の漆黒である。

 物理的な地平も、情報的な地平もないのだ。ただ、そこだけ虚無というものが横たわっているような感じである。


 隙間女:無、ですね

 見習いアトラ:どう見ても何もない

 オカルト博士:概念を焼き払うってこういうこと……?


 と、その無の内側に光が灯った。ぼう、と燃えるのは紫色の狐火。

 一歩、二歩。闇から滲むように歩いてきた柊を見て、幽世の民がまさかの下剋上成立に驚愕したが——。

 ふらり、と柊は倒れた。

 そして彼女を抱き抱えるのは、異相の神。慈母のように慈しみ、その手で上がりすぎた柊の体温を下げる。


「私の勝ちってことでいいのかしらね」

「くそ、流石に創世神には敵わなんだか。どう防いだ?」

「因果の反転回数を底上げしただけ。力比べなんだから当然よね。私は小手先の術より純粋なぶつかり合いの方が得意だし」

「それで勝てればかっこよかったんだがなあ」


 柊は、負けを認めたように笑った。


「まあ、楽しかったからいいか」

「そうね、久々に面白かった」


 神に挑んだ狐は、純粋な力比べで負けを認めた。

 しかし、神をも恐れぬその豪胆さと、最強にこだわるその狂気は幽世の民以外にも、ある種の畏怖を刻み込むのだった。

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