第9話 真朱を侵す怪奇(3)

 あまりの情報の多さに、紺鉄は頭が痛くなってきた。



 一昨日の11月3日夜。

 真朱の左目がなくなった。屋上に血がまかれた。



 昨日、11月4日。

 紺鉄が屋上で真朱の血痕を見つけた。



 今日、11月5日放課後。

 真朱は一旦下校したにもかかわらず、学校の女子トイレで目を覚ました。

 首には絞められたような跡がつき、左目には淡く青く光る虫が巣食っている。

 どれに関しても、真朱の記憶は曖昧か自覚がない。



 真朱の身に異常が起きているのは間違いない。

 だが一体何が起きているのかわからない。

 何から手を付けていいのかもわからない。

 いっそ匙を投げられたらと考えてしまう。



 しかし紺鉄の耳の奥で中務白月は囁いている。



―真朱のことをお願いね―



 ああ、わかってる。

 瀬田真朱をほうっておくことなどしない。

 紺鉄は白月の声を無視できないのだから。



「あんた、なんで白月を見殺しにしたの?」



 唐突に、真朱の冷たい声が紺鉄に突き刺さった。

 息が止まる。

 紺鉄は横隔膜を強く意識して、ゆっくりと息を吐きだした。



「何度も言っただろ。俺にはどうすることもできなかったって」



「うそよ」



「……」



 真朱の声に紺鉄の臓腑が冷たくなる。

 白月が死んで1年。

 何度繰り返されても慣れることはない。



「私は入院してたから、学校で白月に何があったのか知らない。

 でも白月は焼身自殺するような子じゃなかった。

 それもわざわざあんたの目の前に呼んでなんて。

 白月はあんたに止めてほしかったのよ。

 それなのにあんたは止めなかった。

 見殺しにした」



「俺に白月を思いとどまらせることなんてできないさ」



「白月はいつもあんたの話をしてた」



「……」



「私はあんたを許さない」



 真朱は固く布団を被り直し、それきり何も話さなくなった。

 紺鉄も何も言えなかった。



 時計を見ると、もう夜の7時を過ぎている。

 真朱の体調も、紺鉄への罵倒のキレをみるに回復しているようだ。

 とりあえずは大丈夫だろうと、紺鉄はさっさと真朱の前から退散することにした。



 そのときガララと保健室の扉が開いた。



「え、なに、このカレー臭?」



 保険医の声ではない。

 紺鉄が顔を覗かせると、同じクラスの賢木香が驚いた顔をしてそこにいた。



 手にはカバンを2つ下げている。

 一つは猫のキーホルダーがジャラジャラと鳴っているカバン。

 もう片方はなにもついておらずそっけないカバン。

 賢木は保健室の思わぬ先客に声を上げる。



「なんで京終がいるのよ?」



「賢木こそどうして?」



「私は、真朱が体調を崩したって聞いたから」



「俺はその瀬田を連れてきたんだよ」



「へえ、よく捕まえられたわね」



 いわれてみればと、紺鉄は自分でも少し驚いた。



「真朱ー、元気ー……」



 ベッドの横に立った賢木がクワッと目を見開いた。

 ベッドの脇の椅子の上に、真朱の上着とカーディガンとリボンが無造作に置かれているのを見つけたのだ。



「なに。これ?」



 賢木の声が、急に不穏になった。

 紺鉄は焦った。

 紺鉄に対してあらぬ疑いを抱いてしまったらしい。

 賢木は真朱の友人であり、かつ熱心なファンだ。

 うまく説明しないとややこしいことになる。

 紺鉄は何か言おうと思案を巡らせるが、だが紺鉄より先に斗鈴が口を開いた。



「紺鉄が押し倒した」



 賢木はゆらぁと振り返った。



「京終くぅん?」



 とてもきれいな声と発音で名が呼ばれ、紺鉄は慌てた。



「苦しそうだったから脱がせてやっただけだ!」



「ブラジャーがピンクだって喜んでた」



「斗鈴さん!?」



 紺鉄が悲鳴をあげる。

 賢木はニッコリ笑うと、上着の内側からべっとりと血がこびりついた出刃包丁を取り出した。



「なんでそんなのが出てくるんだよ!?」



「屋台の準備に必要だからよ」



 賢木はのっぺりと笑顔が張り付いた殺人機械のように出刃包丁を振り上げた。

 すわ猟奇殺人事件発生かと思われた時、ベッドのカーテンが開いた。



「香、ストップ」



 瀬田真朱が呆れ顔で茶番劇に水を差す。

 賢木は出刃包丁を振り上げた格好のまま、首だけでグリンと振り向いた。



「起きて大丈夫なの?」



「うん、だいぶ良くなった」



「すぐに京終を殺れるけど?」



「今度にしなさい」



「まあ、京終は何もしないって知ってたけどね」



 賢木は舌を少し出して、いたずらっぽく笑う。

 かわいい、が、その出刃包丁はしまっていただけるとありがたい。



 真朱はベッドからおり、リボンを手にとった。



「大丈夫か?」



「……ええ」



 真朱は憮然と紺鉄に答える。

 真朱がリボンを首にかける。

 紺鉄はその様子をじっと見ていた。

 


 真朱の首にベッタリと張り付いていた青黒い痣は完全に消えていた。

 あれは一体何だったのか。

 紺鉄は、ぼんやりと真朱を見ながら考える。

 不意に、紺鉄の目に真朱の白い太ももが飛び込んできた。



 起き上がった拍子に、短く折ったスカートが際どいところまでめくれあがっていたのだ。

 斗鈴がコツンと紺鉄のスネを蹴った。



「目がやらしい」



「濡れ衣だ」



「あっちもいやらしい」



 斗鈴の視線の先に、真朱を熱っぽく見つめる賢木の顔があった。

 賢木は真朱の一挙手一投足を網膜に焼き付けるように凝視している。

 なるほど、女同士でもそういうのはあるのか。



「瀬田の迎えも来たみたいだし、俺たちも帰るとするか」



 紺鉄は食べ終わった弁当の容器をまとめ立ち上がった。

 今日はもういっぱいいっぱいだった。

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