第35話 サイコーのお嫁さん


 ◆

 

 その瞬間は、まるで夢を見ている心地だ。

 自分は自分ではなく、夢の視点主になる。


 そして、毎度殺される。たとえ死ななくても、大怪我をする瞬間、大失敗をする瞬間――そんな胸がギュッと苦しくなる瞬間を、何度も、何度も、体験する。


 そんな疑似体験、自分はまるで望んでいないのに。

 何度も、何度も、アイルは苦しい思い出だけを重ねていく。


 ――あーあ、本当にやっちゃったねぇ。


 二日酔いとウソを吐いた眩暈のときは、比較的軽い夢を見ていた。

 意中の男を口説くために一芝居しようとしたところ、こどもとぶつかるなど不運が重なり、町の大事な防壁クリスタルを壊してしまうのだ。


 眩暈の強さは疑似体験の衝撃によって、変わるもの。

 今回のように胸が『ひゅっ』となる程度なら立ち眩み程度で済むし、これが死亡疑似体験となれば、一晩寝込むくらいになる。


 なので、絶賛体調不良という体であるアイルは、戦闘態勢に入った美男子二人の背後で守られていた。


「アイル、下がってろ!」

「お嫁さまは下がってろ!」


 二人の声は同時だった。世界のどこを探しても、勇者とドラゴン、こんな頼もしい背中はどこにもないだろう。だからアイルは呑気に口笛を鳴らす。


「仲いいね~」

「そんな呑気なこと言ってなくていいから!」


 勇者クルトに怒られてしまった。それこそ、誰にでも優しい彼に怒られる人物も世界中を探してもどこにもいないかもしれないが……アイルはベンチに座ったまま周囲を観察する。


 魔物は小型のモンスターばかり。

 だから、魔物の討伐は町の自警団などでも対応はできているし、今は勇者もドラゴンもいるのだ。ならば、アイルが為すべきことは他のこと。


「ちょっと様子見てくるかなー」


 なのでヒョイとベンチから立ち上がるアイル。体調不良もしょせん二日酔い程度だ。

 必至に戦闘している勇者らの脇をてくてく呑気に歩くアイルに、突撃してくるスライム。


 勇者クルトの叫び声が聞こえる。


「アイルゥゥゥゥ⁉」

「いや、過保護が過ぎるから」


 ただ、ちょっとだけ気分と機嫌が悪いだけ。

 思わずこぶしに魔力を込めすぎて、ぶつかったスライムが激しく四散した。


 ぶびゃっと広がった体液が赤かったため、なんともグロテスクである。


 ――一般市民からしたら脅威に違いないけどね。


 大人の命の別状はなくても、こどもが狙われたら危ないし、肌がかぶれるとなかなか治りづらい。それに露天の商品などは諸々ダメにされてしまうだろう。


 あと、こうした小型モンスターを狙って、大きなモンスターがやってきてしまう恐れもある。

 なので、結界を放置しておくわけにはいかない。


「ヴルムくんは私の護衛はいいから、市民たちを守ってあげてねー」

「しかしお嫁さまは――」

「『お嫁さま』の命令が聞けないの?」


 そう言いながら、アイルは再び突撃してきたスライムを拳ひとつで爆砕すれば。

 ヴルムは野性味あふれる笑みを浮かべる。


「うちのお嫁さま、ちょーカッケー」

「そりゃどーも」


 そして、未だ心配そうな目で見つめてくる勇者を尻目に、アイルは防壁クリスタルがある場所へ向かう。昨日、ユーリウスとこの町の酒屋巡り……もとい、散策をしていてよかった。


 町の栄えた広間の象徴のように、地面から伸びる巨大なクリスタル。その崩れた破片の山のそばで、ひとりあたふたしている聖女がいる。


 ――やっぱり直せないかー。


 呆れを顔に出すのはよくないと、アイルが気安く声をかけたのは彼女なりの優しさである。


「何してるのー?」

「アイル殿⁉」


 そんなアイルに真っ先に声をかけてくる男がひとり。

 当然、彼女の旦那(仮)のユーリウスである。人が多い場所では自慢の大剣や爪で戦いにくいのか、肉弾戦を強いられ不便をしている様子。そんな彼は手近の一角ウサギを拳で叩き伏せてから、ずんずんとアイルに近づいてきた。


「一人で来るなんて……勇者とヴルムはどうしたんだ⁉」

「別に要らないかなって置いてきた」

「ドラゴンが要らないだと⁉」


 ちょうどスライムが飛び掛かってきたので、アイルも魔力をこめた拳で爆散。

 すると、ユーリウスが目を丸くする。


「……女の子が、こぶしで魔物を粉砕……?」

「あなたも似たようなことしてるよね?」

「怪物伯とか弱い女の子を一緒にするなあ⁉」

「武力も自信あるよ……って言ったのは他の人にだっけ?」


 まぁ、彼が男のロマンと現実のギャップに頭を抱えるのはいつものことなので。

 アイルは華麗にスルーをしながら、今度こそ聖女メルティのそばに寄る。


「どうしよう、どうしよう……」


 ただただオロオロするだけの彼女に、アイルは小首を傾げた。

 この防壁クリスタルの管理も教会の役目なのだ。なので、教会所属の聖女ならば、クリスタルの扱いも多少なりと把握している責任がある。


 たとえ、どんな偉大なパーティーに所属していたとしても。

 彼女が教会に所属する『聖女』であり続けるのであれば。


「自分で修復できないんだ?」

「だ、だって、わたくしは勇者たちの治療をするのが仕事ですのよ⁉ こんな大がかりな修復は十数人がかりでやるのが当たり前じゃないですか⁉」

「じゃあ、私やるよ」


 本来なら、もう教会からも追い出されたアイルが手を出すのはおかしな話なのだが。

 すでに教会に連絡がいっていると思うが、メルティの言う通り、修復に必要な数の聖女が揃うまで、半刻はかかってしまうだろう。


 ならば、とアイルが袖を捲ると、ユーリウスが驚いたように目を見開いている。


「できるのか⁉」

「教会付属の聖女なら一通りは習ってるよ。ま、お代はお酒たくさんってことでどうかな?」

「酒なら、昨日やまほど買って帰っただろうが……俺に酒樽を担がせたのを忘れたとは言わせないぞ?」


 別の意味で瞠目するユーリウスに対して、アイルは「そうだっけ?」と苦笑して。

 話しながらも、アイルは自身のマナをクリスタルのまわりに展開させれば、メルティが「でも、それはみんなでやるもので――」などと自身の弁明を始めていた。


 ――ごちゃごちゃうるさいな。


 別に、彼女が直せないことを、誰も責めてなんかいないのに。

 それでも、「自分は悪くない」と誇示するだけの女の話を聞き続けるほど優しくないアイルは、とっとと魔法式の展開を終わらせる。


 クリスタルの周りだけではなく、彼女のマナは町全体へと広がっていく。

 青い空の下で、まさに奇跡を行使する聖女は厳粛に短い祝詞を呟いた。


梟の祝福フェイ・オブ・オウル


 清らかなマナが町全体を清浄化し、町中で暴れていた魔物たちから瘴気が抜けていく。

 拍手と歓声が、誰から始まったのかわからない。


「こんな荒業ができる聖女なんて、アイルくらいだ」

「勇者クルト……」


 喝采の中で、その輪に合流した勇者クルトに、旦那であるユーリウスはハッと指摘する。


「とにかく、俺のお嫁さんはアイル殿だけだ! わかったな⁉」

「なんの話?」


 やれやれと肩を回しながらアイルが小首を傾げれば、振り返ったユーリウスが思いっきり唾を飛ばしてくる。


「俺のお嫁さんがサイコーってだけだ!」


 その安易すぎる賛辞がむずかゆくて。

 アイルは思わず「何言ってるの」とはにかむけれど。


 同時に、どうしても考えてしまうのだ。


 ――この記憶も、どうせすぐに忘れてしまうのだろうな。

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