第36話 とても幸せな夢


 その追及は、覚悟していたことだった。


「アイル殿、記憶喪失だというのは本当なのか⁉」

「あ、ヴルムくんから聞いた?」


 その日の晩、やっぱりヴルムから報告を受けたらしいユーリウスがアイルを問いただしに来た。場所はアイルの寝室。寝酒として隠し持っていたボトルを空けようとしていたときである。


 そんなアイル待望のウイスキーボトルは呆気なく取り上げながらも、ユーリウスはそのことに言及することなくアイルに詰め寄る。


「具体的にいつからいつまでの記憶がないんだ? 生活に支障はないのか? 体調に不便などは? 夜な夜なひとりで泣いていたりは?」

「えーと……寝酒がないと落ち着かないくらい?」


 なんともかわいらしい心配なのだろう。

 とりあえず酒瓶を返してもらいたいアイルだが、ユーリウスの表情があまりに絶望していたので、思いとどまってしまう。


「眠れない病も併発していたのか……」

「病っていうほどかな、それ?」


 ちなみに、当然ながらアイルはもう寝間着に着替えていた。ゆったりとしたワンピース型のパジャマである。浴衣ほど破廉恥になりにくいとはいえ、下着も付けていないし、開放感の多い服装。しかもベッドに座っている。


 いつもなら、すぐ顔を赤らめそうなものなのに。

 ユーリウスはまるで自分を責めるような口調で言った。


「どうして、もっと早く言ってくれなかったんだ……」

「じゃあ、一緒に寝る?」

「は?」


 その一言に、途端ユーリウスは目を丸くする。

 そしてアイルの目測通りに、彼はすぐ視線を逸らした。


「しょ、初夜というものは結婚式を挙げた日の夜にするものではないのか?」

「あ~、そういうのじゃなくて。あくまで添い寝のつもりだったんだけど」

「なるほど?」


 一瞬悩んだユーリウスが、再びおずおず尋ねてくる。


「お、俺が怖くないのか?」

「襲われるんじゃないかって?」


 アイルの疑問に、ユーリウスは顔を真っ赤にしたままコクリと頷く。

 ランタンの明かりのせいとも言えるが、まるで銀色の髪まで赤く染まっているようにも思えた。だから、アイルなりのまっすぐな信頼を伝える。


「生贄として食べられるなら、もっと早くに食べられていたと思うな?」

「久しいな、その冗談も」

「いや、最初はマジだと思ってたんだけどね?」


 この天空城に来てから、一か月と少し。

 短いというには長くて、だけど長いというには短い、そんな期間。


 それなりに信頼関係を築いてきた二人は苦笑し合いながら、同じベッドに並んで腰を落とす。


「勇者たちと気まずそうにしていたのも、旅した記憶がなくなっていたせいだったのか?」

「相手の反応からして、多分良くしてくれていたとは思うんだけど」


 思い出せないものは、思い出せない。

 だからあっけらかんと口にするアイルに対して、ユーリウスは泣きそうな顔で言う。


「それは……つらかったな」


 ――そんな、あなたがそんな顔しないでも。


 それこそ、二人でお酒を飲んでバカ話でもしようと、アイルが小棚に置かれた酒瓶に手を伸ばそうとしたときだった。


「これから、俺がアイル殿にたくさん幸せな思い出を作ってやる」

「えっ?」


 ユーリウスが固い口調で、そう言って。

 思わず、アイルは彼の顔を見ることしかできない。


「たとえ過去のことを思い出せなくても、これからの時間のほうが長いんだ。もうきみが寂しい思いをしたくてもできないくらい、共に楽しい思い出を作っていこう」


 なんて、優しくて力強い笑みなのだろう。

 アイルは、心臓がぎゅっと掴まれたような心地だった。


「もしきみが望むなら、あの勇者たちと交流を続けるのもいい……まぁ、今日みたいなダブルデートはもう勘弁してほしいが」

「……あはは」


 辛うじて絞り出したのは、乾いた笑み。


 ――本当のこと、全部知らないくせに。


 それでも、アイルの胸があたたかくなるのは事実だった。


「あいつらのことは正直気に食わないが、悪いやつらではないことくらいわかる。かわいいお嫁さまのためなら、嫉妬の一つや二つや三つくらい呑み込むのが男というもの――」

「ありがとね」


 アイルは無理やり、ユーリウスを押し倒す。

 そして慌てる彼の背中側で無理やり自分も寝転んでは、その広い背中を掴んだ。

 饒舌だったユーリウスが、なんとか覇気を絞り出したのを感じる。


「あ、当たり前だ! 俺はアイル殿の旦那なんだからな!」

「……ほんと、ユーリウスは強いなぁ」

「伊達に怪物伯と呼ばれていないぞ? それにアイル殿も聖女として優秀だろう」


 ――そういうつもりじゃないんだけどな?


 だけど、そんな勘違いもかわいいから。

 アイルはクスクスと笑って、ユーリウスの背中を掴んで身体を丸める。


「今晩はあたたかいね」

「今まで寝ていて寒かったのか?」

「別にそういうわけじゃないけどさ」


 ――どうせ、このあたたかさも忘れてしまうから。


 アイルは必死に奥歯を噛み締める。

 このあたたかさも、いつか忘れてしまうと思うから。 


 この涙が、優しくて強い旦那様ユーリウスにバレないように。




 その日、アイルは夢を見る。

 天空城での何気ない日常だ。当たり前にフリフリエプロンを着たユーリウスがいて、こどもの姿のリントやヴルムがいて、なぜか勇者たちもいて。


 花咲く中庭で、皆で楽しく宴会をしている光景だった。

 お酒もあるにはあるけど、甘くておいしそうなスイーツがたくさん並べられている。それを、アイルはとても嬉しそうに食べていた。


 大樹から舞い落ちてくる桃色の花びらは、なんていう花なのだろう?

 


 たとえ、その樹の名前は知らなくても。

 アイルにとって、それはとてもとても、しあわせな夢のような光景。

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