第40話 わたしたちの希望(怪物伯side)


 勇者たちが戦っているのは、教会から山を一つ超えた先の沼地だった。

 大気が紫帯びてみえるほど、周囲にはマナの瘴気が蔓延している。


 そこに巣を作っていたモンスターの卵が孵ってしまい、親モンスターを含めた討伐を勇者一行が任されたらしい。そんな話を、近くの村人が駆け込みで持ってきたらしかった。そもそも教会に押し寄せる患者や怪我人らも、その沼地に増えた魔物や瘴気の影響らしい。


 空から沼地を見下ろして、ユーリウスが勇者一行を見つけたのは、沼地のど真ん中。装備も半壊し、泥汚れもあってかなりくたびれた様子だ。どうやら小型の魔物に囲まれているらしい。


 ユーリウスはヴルムから飛び降りがてら、手近の一匹を大剣で叩き切る。


「ずいぶんと不甲斐ないな」


 空から飛び降りても、驚いたのは聖女役のメルティ嬢だけ。

 勇者はユーリウスが作った隙に聖水を一気に飲み干してから、雑に口元を拭う。


「何しに来た。お貴族様が来るような場所じゃないだろう」

「助けに来てやったのに、ずいぶんな言い草だな」


 ユーリウスとて、一応天空伯というお貴族様。

 怪物として貴族扱いされないのに慣れているゆえ、いざ貴族と嫌みを言われると想像以上に腹が立つ。


 だから、ユーリウスはすぐさま片付けようとヴルムに命じた。


「やれ」

「やめろ!」


 ドラゴンの口から、クルトの制止の声なんて掻き消すほどの轟音と共に、赤黒い炎が吐き出される。その渦に巻かれ、魔物の醜い悲鳴が沼地に響く。 


 しかし激しい熱波の中で、じゅわっと気化する瘴気が周囲の大気をより色濃く染めた。竜の血を引き、普通の人間よりも何倍も魔素に耐性のあるユーリウスでも、思わず口を覆うほどである。


 蒸気がはけるとともに、沼地に楕円形のオタマジャクシのような遺体がプカプカと浮かんだ様子が視界に入る。酸っぱい臭いが不快だが、魔物討伐なんてこんなもの。


 ――なんだ⁉


 だが、ねちゃりという音にここまで背筋が凍る思いを、ユーリウスは初めて経験する。


 ふつふつと沸騰する沼の中から、まるで『ここにいたのか』と言わんばかりに口角をあげた顔が沼地から顔を出した。


 四肢は人間のものだった。サイズもユーリウスよりは少し小柄か。だけど、顎がやたら大きく、つぶれた顔に付いた目玉がカエルのようにギョロギョロとしていた。肌の色はとび色で、関節もおかしな方向に曲がっている。


「なんだ、あの人型の魔物は……」

「呼称をつけるなら『悪魔』あたりか。人間だって動物だ。獣が魔物になるなら、人間も魔物になっても何もおかしくない。口から吐く泡には気をつけろ。俺の剣が溶けたからな」

「泡を吐くなんて、もうカエルの化け物だな」


 正直なところ、あんな雑魚相手に勇者らが苦戦していることに違和感を覚えていたのだ。

 だけど、なるほど。どうやら苦戦していた相手はこいつらしい。

 これほどまでに邪悪な殺気を持つ魔物相手なら、無理もない。


「来いよ、カエル人間。引導を渡してやる」


 ユーリウスが上に向けた指を曲げてみせた直後だった。


 ――早いっ!


 顔の目の前に、長い舌が迫る。だけど、それはユーリウスの顔面を貫く直前に横に逸れた。横から女魔導士が一撃を食らわしたらしい。


「ユーリウスさんは絶対に傷つけさせないわっ!」


 だけど、女魔導士が次の攻撃をしようとした瞬間、カエル人間は大きく跳躍し、その鋭い爪で魔導士の胸を切り裂かんとする。そんな攻撃をその身で受けたのが戦士の男だった。


「魔導士が前線に出るなって、何度言えば……」

「――――ッ⁉」


 勇者が膝から戦士の中を叫ぶ。その背中からは真っ赤な血がだくだくと流れていた。

 青白い顔をした勇者が即座に指示を飛ばす。


「メルティ、治療を!」

「もうやだ……もう家に帰りたいですわ……」


 そんな泣き叫ぶ令嬢なんて、まっさきにカエルの餌になるだろう。

 カエル人間がメルティ目掛けて一直線に跳ぶも、それを炎を帯びた蹴りで吹き飛ばす青年がヴルムだった。そんな有能な家臣にユーリウスはすぐさま命令する。


「すぐに彼女を連れて逃げろ! 邪魔なだけだ!」

「あるじは大丈夫なのか?」

「おまえらは俺をそんなやわに育てたのか?」


 語るまでもなく、ユーリウスに戦闘技能を含め、戦い方を仕込んだのはリントとヴルムだ。

 ヴルムは小さく鼻を鳴らしてから、ドラゴンの姿へと戻る。そして聖女の首元を容赦なく咥えて、空高く飛び上がった。今日一番甲高い悲鳴に、ユーリウスの耳が痛い。


 ――わざとだな。


 そんなヴルムの茶目っ気はさておいて。

 勇者が折れた剣でカエル人間に斬りかかるも、無論なまくらの刃は片腕で防がれていた。

 すぐさま飛んできた泡を後ろ飛びで躱すのは、さすが勇者というべきか。


 そんな勇者に、ユーリウスは今度こそ前に出て、自慢の爪でひとなぎ食らわせる、も。痛みを覚えたのは、ユーリウスのほう。とっさに飛びのけは、竜の爪がじゅわじゅわと溶け始めている。


「肉弾戦は無理だ、下がってろ!」


 残った三人の勇者たちが、ボロボロの身体でユーリウスの前に立つ。戦士もすぐに意識を取り戻したようだが、当然背中の血は止まっていない。女魔導士までユーリウスの前に立ってしまうのだから、当然ユーリウスは感謝どころか腹が立つだけ。


「おまえら、なにを――」

「怪物伯も帰ってくれ」

「俺を弱者扱いするのか⁉」

「ちがう、おまえはアイルの旦那になるんだろう⁉」


 もう刃がほとんど残っていない剣を構える勇者の隣で、女魔導士が泣きそうな顔で振り返る。


「パーティーであなたとアイルを見て、すごく安心したの」


 もう魔法を撃つ体力も残っていないのだろう。沼地なこともあり、すぐに足を滑らせそうな姿勢の悪さだ。


 それでも、前を向く女魔導士は両手で固く杖を握っていた。


「お願い。わたしたちの代わりにアイルを幸せにしてあげてね」

 

 そして勇者たちはユーリウスの目の前で、またひとりと倒れていく。

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