第39話 嫌いな男の危機(怪物伯side)

 ――果たして、なんて答えるべきか。


 アイルのしっかりした様子から、特に未来を視たとかというわけではないらしい。本当に、参拝客などから聞いた話なのだろう。


 そんなウソは本当かもわからない話に、アイルは震えた声で聞いてくる。


「私、手伝いに行ってもいいかな」

「ダメだ」


 ユーリウスは即答した。

 そんな危ない場所に自分が彼女を行かせるわけがないのに、アイルは必死に自分を説得しようと言葉を並べる。


「でも、勇者なんて認定される冒険者パーティはここ数年クルトたちだけだよ? ここで失くしたら国中の大きな損失に――」

「そんなこと、一人の女の子が考えることじゃない」


 それこそ、皇帝とかもっと偉い人が考える話だ。本当ならば、アイルは教会からも追い出されて、聖女ですらない。なんだったら、まだ籍は入れていないのだから、ユーリウスのお嫁さんですらないのだ。


 それなのに、彼女はこれから誰かに降りかかる『不幸』のために、また誰かを助けようとしている。もしかしたら、また自分の『幸せ』を犠牲にするかもしれないのに。


 ――まいったな、いい女がすぎる。


「……ユーリウス?」


 ずっと険しい顔でだんまりだったからだろう。

 自分のお嫁さんアイルに不安そうな顔をさせてしまった。


 急いでユーリウスは不器用な笑みを作り、アイルの頭に手を載せる。


「どこに行けばいい?」

「えっ?」

「俺が助けに行く。アイル殿はここで待っていてくれ」


 だから、ユーリウスがそう結論付けるのは当たり前の話だ。

 好いた女の願いを最善の形で叶えてやる――それだけの話にすぎない。


 アイルは少しむくれた様子で顔を逸らした。


「女の子なら頭を撫でときゃモテるって考えはやめたほうがいいと思うよ」

「お……俺はアイル殿にモテれば、それでいいんだ⁉」


 慌てて手をどかしたユーリウスを、アイルが嬉しそうに笑う。 


「正直、ヴルムくんにもう出発の用意してもらってあるの」

「あいつも俺の許可くらいとれよ」

「ヴルムくんは……お嫁さまが危ないところに行くって言いだしたら、間違いなくあるじは『俺が行く、キリッ』って言うだろうって」

「よくわかっているじゃないか」


 キリッという擬音語はさておいて。

 外へと歩きながら、「そういえば」とユーリウスは思い出す。


 やっぱり面倒事のあとには褒美が必要だろうと、そんな軽い気持ちで。


「サクラの苗木をもらえそうな場所に心当たりが付いたんだ。ごたつきが終わったら一緒に貰いに行こうな」

「えっ?」


 途端、アイルは足を止めてしまって。

 ユーリウスが「アイル殿?」と振り返れば、慌てて笑顔を作ってくる。


「あ~、あれね。うん、楽しみにしているね」


 ――忘れていたんだな。


 例の話を聞く前だったら、ユーリウスもショックを受けたのかもしれない。

 だってサクラの話は、初めての晩餐のときに四人で盛り上がった話だったから。


 アイルがサクラの木の下で花見をしたいと言って。だったら結婚記念に植えてみようかとなって。自分たちだけしかいなかった天空島に、彼女の好みのものが一つでも増えたら嬉しいと思って。


 しかも、調べてみればサクラの色は、彼女の髪の色にそっくりだというじゃないか。


「忘れたなら、遠慮なくそう言ってくれ」

「ユーリウス?」

「たとえきみが忘れても、俺が全部覚えているから。だから、いつか絶対にサクラの木の下で花見をしような」


 それを告げた途端、アイルの青い瞳から涙がこぼれた。


「あ、あれ……目にまつげでも入っちゃったかな……」


 そう目元を拭う手には、彼女の瞳と同じ色の指輪が嵌められている。

 そんな彼女が何よりも愛おしくて、彼女の顔が傷つかないようにと手を止めようとしたときだった。


 途端、アイルの膝が崩れる。


「アイル殿⁉」

「……やっぱりやめよう」


 彼女の頭がぐらぐらと揺れていた。目がまわっているらしい。

 それでも、彼女はうつろながらもユーリウスに笑みを向けてくる。


「勇者たちを助けに行くの、やっぱなし。ほらユーリウスは勇者たちのこと嫌いでしょ? だから……」


 ズルズルと、アイルはその場に座り込んでしまった。

 もちろんユーリウスは彼女の身体を支えるものの……その身体が、とても冷たくて。


 ――もしかして今、未来を視たのか⁉


 本当に一瞬。ただ、ユーリウスの指先がアイルの手に触れただけ。

 もう、彼女の目はほとんど開いていなかった。それでもなお、おぼろげに「行かないで」と自分を止めてこようとする健気なアイルを、たまらず、ユーリウスは抱きしめていた。


「だが、彼らがアイル殿を捨てなければ、俺がきみと出会えなかったのも事実だ」

「ユーリ……」

「たくさん恩を売って、格の違いを見せつけてきてやる」


 ――たとえ俺が嫌いであろうとも、彼女の彼らの無事を願うのならば。

 ――それすら守ってやるのが、男ってものだろう⁉


 がくんと首から力が抜け、アイルは意識を失っていた。細い息遣いに安堵しながらも、ユーリウスはその愛おしい顔にかかったサクラ色の髪をのけてやる。


「任せろ。なんたって俺はきみの夫なんだからな」


 そして、ユーリウス=フェルマンは決意する。

 たとえ自身にどんな『不幸』が襲い掛かろうとも、全部切り裂いてやると。


 怪物伯の、名に懸けて――

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