第27話 勇者、再び

 勇者クルトはパーティーということもあって、軽鎧を脱いで正装をしていた。

 白いタキシード姿は、まるで王子様。


 しかも、バルコニーに来たのは彼だけではなかった。


「ちょっと、アイル……アイルなの⁉」

「テレーゼさん? どうしてここに――」

「この辺の魔物を討伐した褒美に、貴賓として招いてもらったんだけど……あぁ、アイル。元気そうで何よりだわ!」


 アイルに抱き付いてくる豊満な女性にアイルは覚えがあった。

 勇者クルトのパーティはアイルを入れて四人メンバーで。彼女はその中の魔法使いである。パーティの中で一番年上の彼女には、アイルもそれなりに世話になったと記憶している。


 そんな知り合いを紹介するだけなのに。

 アイルの唇が震えてしまい、上手く喋ることができない。


「あ、彼女は勇者パーティの魔法使いで……奥の彼も盾役で、昔一緒に旅をした仲間……だった人たち、です……」


 ついでにいえば、アイルも知らない人がひとり。

 華奢で、清楚な見た目ながらとてもドレスを着なれた印象を受ける十代後半の少女だ。


 ――私のあとに入った治療役かな。


 勇者クラスの冒険には回復薬が必要不可欠だ。その役の聖女が脱退した以上、代わりのメンバーを入れるのは何もおかしな話ではない。アイルが抜けた後も、こうしてパーティメンバーに大きな怪我が見られないのは、彼女のおかげなのだろう。


 だからアイルは、彼女に何も恨みはない。

 ただ感謝もないし、関心もない――ただ、それだけ。


 それでも、どうしても視線を落としてしまうアイルの前に、大きな影ができた。


「すまないが、彼女から離れてもらえるか?」


 かつての仲間の女性をそっと退かして、アイルを背中に隠してくれる男。

 黒いタキシードを着た背中が、とても大きくて。

 小柄なアイルなんか、その頼もしい背中にすっぽり隠れてしまって。


 そんなユーリウスに口を開くのは勇者クルトだった。


「失礼だが、あなたはアイルとどのような関係で?」

「彼女は俺のお嫁さんだ」

「……おまえが噂の『怪物伯』か」


 どうにも、この数週間でクルトはアイルの情報を集めていたらしい。

 勇者から低い声音で「怪物伯」と呼ばれたことで、ユーリウスの重心が若干下がる。勇者からわずかに発せられた殺気に反応したのだろう。


 ――この場で一触即発は勘弁してよね。


 仮にも今は皇帝が主催した夜会の真っ最中である。

 有名人がこぞってバルコニーに集まっている以上、どうしても注目を集めているようだが……ホールで鳴り続ける優雅な管弦楽曲に反して、アイルの身体から力は抜けない。


 その中で、クルトはあからさまに大きくため息を吐いてからユーリウスを見上げていた。


「もちろんオレらは彼女に危害を加えるつもりなど毛頭にない。だから少しだけ彼女を借りることはできないか? ただ昔話をしたいだけなんだ」

「断る――ヴルム!」


 それは突然だった。

 ユーリウスが従者を呼んだ途端、外から強風が吹きすさぶ。


 そして、黒い翼を大きくはためかせて。

 夜空に浮かぶ燕尾服の青年・・が、アイルに向かって手を差し伸べていた。


「お嫁さま、こっち!」

「ヴルムくん⁉」


 その爪の長い手を、アイルは反射的に握っていた。

 野性味あふれるヴルムが「よし」と八重歯を見せた次の瞬間には、アイルは空飛ぶヴルムに幼児のように抱きかかえられる。


 アイルの重さなど意ともしない彼は呑気とも思える口調で主に問うていた。


「あるじも帰るのか?」

「いや、俺は陛下に挨拶してからにする」

「あいわかった」


 翼を大きくはためかせた瞬間、ヴルムはクルトに対して鼻を鳴らす。


「追ってこれるなら追ってきやがれ」


 そして彼の身体が光ったと思った瞬間、アイルはドラゴンの背に乗って空高く舞い上がっていて。あっという間に、アイルはパーティー会場から離れることに成功する。


 夜風がとても心地よくて、ようやくアイルは呼吸ができたような気がした。


「ヴルムくん、助けに来てくれてありがとうね」

「いや……礼を言うのはおれのほうだ。うちのあるじを選んでくれてありがとう」


 ――どこで話を聞いていたの?


 ユーリウスを選んだと思われる場面は、皇帝にお酒をぶっかけたときくらいしか思い浮かばないが……。


 まあいいか、とアイルはそれ以上考えるのをやめる。

 ただ杞憂なのは、ひとり残してきてしまった男のことだ。


「ユーリウス……勇者たちと喧嘩しないといいな」

「どうしてだ? だってあいつら、お嫁さまを捨てた薄情者なんだろ?」

「そうとも言い切れないと思うんだよ。……よく覚えていないんだけどね」


 空には満点の星が瞬いていた。手を伸ばせば、ひとつくらい掴めそうで。だけど絶対に掴めなくて。アイルが空っぽの手のひらを見つめていると、ヴルムが「まあオレにはわからないけどよ」と前置きしてから、力強く宣言した。


「だけど、これだけは保証するぜ。うちのあるじは、ぜったいにお嫁さまを幸せにする! もちろん、おれとリントも全力でサポートするからな」

「……どうせ、ぜんぶ忘れるのに」

「お嫁さま?」


 アイルの小さなつぶやきは、大きなヴルムに聴こえなかったようだ。

 だから弱音は彼の大きな羽ばたきに吹き飛ばしてもらって、アイルは大きく伸びをする。


「あーあ、もっとお酒が飲みたかったなー!」


 二杯目を皇帝にぶっかけてから、アイルはお酒を飲んでいない。


 だから今日のことを――アイルは忘れられそうになかった。

 それも当分のことだけかもしれないけれど。


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