第28話 俺を幻滅させないでくれ(怪物伯side)


 ◆


 とりあえず、ユーリウスは皇帝エーデガルトを一発ぶっ飛ばしておいた。

 勇者ではない。皇帝のほうである。


 だってアイルの前では聞こえていないふりをしていたが、実は遠くから見ていたのだ。なんならヴルムの魔法で盗聴もしていたくらいである。


 ――俺からお嫁さんを奪うなど、誰であろうが許すまじ!


 ただ実力行使を後回しにしたのは、アイルの目を避けるためだけ。


 ――もし粗野で物騒で短気な男と、アイル殿に嫌われてでもしまったら?


 ただお嫁さんからの好感を維持するためだけに、グッと我慢していた……いい子ぶりっ子していただけの男ユーリウス=フェルマンは、愛すべきお嫁さんがいなくなった即座に、我慢をやめただけである。


 ユーリウス自身は我慢強くなった自分に大変満足していたものの、怪物伯が皇帝を言葉通りこぶしでぶっ飛ばしたことで、会場は大変な騒ぎとなっていた。


 来賓たちは悲鳴をあげて逃げていくし、代わりに兵士たちは集まってくる。


 だけど、兵士ごときに簡単に捕らえられるようなら『怪物伯』などという異名など付いてない。

 ユーリウスは眼光だけで兵士らを威圧しながら、壁に倒れたテーブルにもたれかかる皇帝の襟首をつかみ上げる。


 派手に殴ったけれど、皇帝の怪我は致命傷には程遠い。皇帝自身が武芸に秀でているというのもあり、せいぜい顔に痣ができて、口の中を軽く切ったくらいのものだ。


 だけど、ユーリウスは怒りのパフォーマンスをやめなかった。


「長い付き合いだからこれで勘弁してやるが……俺を幻滅させないでくれ、エガおじさん・・・・・・


 そんな小さい頃からの呼称を敢えて使えば。

 皇帝エーデガルトは、本当に甥っ子を心配するかのように眉を寄せる。


「おまえこそ……あの聖女の本当の価値を知っているのか?」

「アイル殿の価値?」


 すると、皇帝は逆にユーリウスの襟元を掴んできて。

 耳元で、小さくも懸命に訴えてくる。


「いいから、あの聖女だけはやめておけ。利用したいというなら私も力を貸すが……おまえはそういうやつじゃないだろう? 彼女とでは、おまえが幸せになれない――」

「勝手なことを言わないでくれ!」


 だけど、ユーリウスはその言葉に耐え切れずに、再び伯父代わりの男を突き飛ばす。

 情けなく倒れる皇帝を、ユーリウスは悲痛の表情で見下ろしていた。


「俺もこれ以上、おじさんだと思ってきた人を殴りたくないんだ……」

「いいか。無理だと思ったら、いつでも言ってきなさい。如何様にも私が丸く収めてみせるから――」


 その言葉を、ユーリウスは最後まで聞けなかった。

 ただただ、純粋に『結婚おめでとう』と言ってもらいたかった。


 それだけでよかったのだ。両親は早くに亡くなり、親代わりのドラゴンたちはいても、人間の親戚で自分に優しくしてくれたのは、このエーデルガルトだけだったから。


 たしかに普段は口うるさくて、お喋りが鬱陶しいと思える人だった。

 たしかに好色家という噂も絶えない人だった。


 それでも、毎年誕生日のたびにこれでもかと贈り物をくれて、どんなに忙しくても必ず電話はくれる――そんな『おじさん』から、ただただ祝福されたいだけだった。


 ――その顛末が、これか。


「それじゃあ、俺も帰るか」


 もう、こんなパーティー会場に何も用はない。

 勇気を出した兵士らがユーリウスを捕えようと構えるも、皇帝の「放っておけ!」と一言で道が開く。そのまったく嬉しくない花道を、ユーリウスは一人で歩いていくのみ。


 それなのに、とても目障りな勇者が無理やりユーリウスの腕を引く。


「これだけ聞かせてほしい」

「これ以上俺の機嫌を損ねるなら、どうなるか保証はできんぞ」

「アイルは、元気にやっているか?」


 その、とてもシンプルな質問は、とても不安そうな顔から放たれていた。


 ――本当に、こいつは勇者なのか?


 思わずそう疑ってしまうほど、ユーリウスを掴む彼の手は震えている。

 だから、ユーリウスもシンプルに答える。


「元気なら、有り余っているほどじゃないか?」

「それならよかった」


 ホッとした表情を見せるのは、勇者クルトだけではない。

 他のテレーゼという女と奥の戦士風の男も、安堵の色を隠せていなくて。


 ――どうして、こいつらはこんなに泣きそうなんだ?


 ただひとり、アイルの代わりに入ったらしい少女だけが、うっとりとした様子でユーリウスを見てきている。実はこの令嬢の顔を知っているユーリウスだが、挨拶をするようなタイミングでも、間柄でもないから無視をする。


 だってそんな反応をするのは、この四人だけだから。ユーリウスは周囲の視線に敏感だ。来賓客たちが、皆、ユーリウスをに怯えている。


 だから、ユーリウスはすぐに踵を返し、まっすぐに王城を正門から出て。

 やたら、世界が暗いことに気が付く。


 たしか、今日は星がきれいな夜だったはずだ。それなのに、空には黒い巨岩のようなものが浮いている。どうやら『島』ごと、迎えにきてくれたようだ。その島から、大きなドラゴンが舞い降りてくる。とてもかわいく、生意気な声音とともに。


「ちょっとあるじー! 問題起こさなかったでしょうねー?」

「大したことはない。皇帝ぶん殴ったぐらいだ」

「はあ⁉」


 盛大な疑問を鼻で笑い飛ばしながら、ユーリウスは慣れた手つきでドラゴンの背に乗る。飛び立ったリントに、ユーリウスは淡々と尋ねた。


「アイル殿の様子は?」

「酒が飲み足りないって暴れているだわさ」

「……今日は飲酒制限を解禁にするか」

「勘弁してよー。もうすでに飲み始めているんだけど、あるじはまだかー。つまみを出せーってうるさいのなんのって……」


 リントの言葉に、ユーリウスの頬は自然と緩む。


 ――俺のお嫁さんが、俺を待っている。


 ユーリウスはすべての疑問や苛立ちを、夜風に流す。

 自分の新しい家族になってくれた女性が、自分を必要としてくれているのだ。


 たったそれだけで、どんな疑問や問題も、すべては些末な問題になる。

 物騒だと疎まれた空飛ぶ島で、たった一人で育った青年にとって。

 それは何よりも――かけがえのない宝物だ。

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