第4話

 桜の花が散り終わり、新緑の葉が芽吹いていた。

 その日、神泉苑へと呼び出された小野篁は、殿の前にいた警護の近衛府の役人に太刀を預けると、建物の中へと入っていった。

 篁が通されたのは、あの広間であった。あの時と同じように御簾が設けてあり、その向こう側には人の影があった。


「小野篁にございます」


 床に膝をつくと、篁はゆっくりと頭を下げた。


「うむ。待ってったぞ、篁。入れ」


 篁はその言葉に従い、御簾が設けてある広間へと足を進める。

 御簾の脇には見覚えのある顔があった。

 つるりと剃り上げた坊主頭で、愛嬌のある顔に笑みを浮かべる僧、空海である。


「先の鞦韆の件について、わかったことがございますので、篁殿の耳にも入れておきたいと陛下がおっしゃりましてな」


 空海はそう言うと、広間にいた他の人間たちに出ていくように合図をした。

 どうやら、これから話されることは秘密の話のようである。


「まずは、あの女官のことから話しましょうか――――」


 そう言って、空海は話をはじめた。


 あの日、乱心を起こして公卿を斬り殺した女官。彼女は、以前に公卿のところで女房として仕えていた者だった。

 働き者として重宝されていた彼女だったが、それと同時に公卿から気に入られて、公卿と男女の関係となってしまった。

 そのことが公卿の妻に知れることとなり、公卿の家はちょっとした騒ぎになった。

 自分が手を出したことを認めれば良いものを公卿がシラを切ったことから、彼女は女房としての役目を解かれ、家から放りだされることとなったのだ。

 彼女は、そのことから公卿のことを恨むようになっていた。


 あやかしというものは、人の弱った心につけこむ性質がある。

 彼女についたは、彼女の心の中に燻っていた公卿への恨みつらみを利用し、憎悪の塊とすることによって、自らの力を蓄えていった。


 そしてあの日、公卿を殺害させたというわけだ。


「なぜ、あの女官が陛下の命を狙う必要があったのでしょうか」


 篁は空海の説明に口を挟んだ。

 すると空海は「わかっておる。焦りなさるな」と篁をたしなめた。


 帝に対する恨みを抱いていたのは、彼女ではなく、あやかしの方だった。

 あやかしの正体については、篁があの場から頭蓋骨を掘り起こしたことによって判明したのだという。


 帝への恨み。それは直接、帝が関わっているものではなかった。

 ただ、間接的には帝も関係していることである。

 あの頭蓋骨の持ち主。それは、かつて帝に仕えていた女房であった。

 その女房は、ちょうど帝が鞦韆についての漢詩を書いた際に、鞦韆で遊んでいたひとりであった。

 彼女は、帝に気に入られ、寵愛を受けたひとりだったのだ。

 しかし、彼女の身分は帝から寵愛を受けられるようなものではなかった。

 そのことに気づいた公卿のひとりが、手をまわした。

 公卿は事を表に出さぬよう金で雇った者を使って、彼女を拉致し、亡き者にした。

 そして、殺された彼女は誰にもわからぬよう、あの桜の木の下に埋められたのだ。

 まさか神泉苑の庭に死体が埋まっているなどとは、誰も考えないであろう。

 殺された彼女は、強い恨みを抱いていた。

 その恨みが彼女をとして生まれ変わらせた。


 彼女はまず、自分を殺した者たちを呪い殺した。

 呪いによって相手を殺すと、その力も増大していく。

 そして、自分と同じ境遇にあり、恨みを抱く、あの女官を見つけたというわけだ。

 しくも、あの女官が恨みを抱いていた相手は、自分を排除するために金で男たちを雇って、自分を嬲り殺しにした公卿だった。

 彼女は鬼と化し、女官に手を貸し、公卿を斬り殺させた。

 そして、帝の命も奪ってやろうと考えたのである。


「そこへ我々が居合わせたというわけですね」

「そういうことだ」


 空海は語り終えると、茶を啜った。

 茶は当時、高級なものであり、身分の高い貴族や僧だけが飲むことを許されていた。


 あの頭蓋骨は空海が寺へ納め、丁重に葬ったとのことだった。

 それで、あのあやかしも満足したようであり、鞦韆は風もなく揺れることはなくなったそうだ。


「小野篁、よくやった。褒めて遣わそう」


 御簾の向こう側から声が聞こえ、篁は頭を下げた。

 事の真相はわかったが、この話はすべて篁の心の内に秘めておかねばならぬことであった。


 あやかし憑かれ、篁と共に池に落ちた女官について、空海はその後どうなったかという話をしなかった。そのことについて、篁も聞かぬ方が良いことなのだと察し、口にすることはなかった。


 ふと帝が顔を外へと向けた。

 釣られるようにして篁もその方へと目を向ける。

 そこには、鞦韆があった。

 鞦韆は風に吹かれ、揺れていた。

 もう、あの鞦韆には誰も乗ることはないだろう。

 そんなことを思いながら、篁は鞦韆の脇に佇む女に優しい笑みを向けた。

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鞦韆《ゆさはり》の女 大隅 スミヲ @smee

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