14 悪化
二回目の診察の時に、信行と多恵子、アリスの三人が呼ばれ、別室で今までの経過とこれからの変化について、アキラから説明があった。一緒に入ってきた看護師が、ノートパソコンで話の内容を書き留めていた。
そこで初めて、若年性アルツハイマーには寿命があること、残り数年だということ、徘徊もあるかもしれないということ、少しずつ認知症が強くなり、家族のことも忘れてしまうことなど、アキラは説明した。
「そ、そんなばかな…」
信行は肩を震わせた。多恵子とアリスは、
「ウソでしょ?そんな…」
「初美が…初美が死んでしまうなんて…」
三人は突然のことで、現実を受け止めることができなかった。
「先生、初美を助けてあげて下さい」
「なんとかなりませんか!」
「驚くのも無理はありません。私も努力はしてみますが、薬で進行を遅くなる方法しか、今のところないのです。申し訳ございません」
アキラは深深と頭を下げた。
「まず、物の置き場所に注意して下さい。例えば財布や大切なものをなくしたと勘違いすることがあります。それから先程も申し上げたように、徘徊する可能性があるので、玄関のカギは常にかけておくようにお願いします。それと、東京にいた時に直接初美さんに折り紙やパズルなど差し上げておりましたので、それを必ず毎日やるようにお声がけをお願いします。手を動かすことと、計算やパズルは頭の体操になります。微々たることですが、初美さんの為になると思います。それから、これはご家族のみなさんにご協力して欲しいのですが、初美さんはかなりのアルコール好きです。絶対にアルコールを買わないようにして下さい。脳の萎縮が早まります。決して目を離さないようにお願いします。そして、これは最終判断のことですが、次第に食欲がなくなり、口から食べ物を入れられなくなります。寝たきりになりますので、そうなった場合、病院で点滴をして延命治療をするか、ご自宅に帰るか考えていて下さい」
「自宅に帰った場合は?」
「とても残念ですが、覚悟をお願いします」
「死ぬのを待つだけなんて…」
多恵子は泣きながら、信行の腕にしがみついた。
アリスは言葉が出なかった。
信行も目頭を時々抑えながら、
「分かりました。覚悟しておきます」
そこにいるみんなが肩を下ろし、部屋中にすすり泣く声が響き渡った。
それから一年後、初美はすっかり変わっていった。
時には暴れだし、多恵子に罵声をあびせた。
そしてアキラが言った通り、
「財布がない!どこだ!」
と叫びながら、家中のあらゆる引き出しをひっくり返して探したり、
「アンタが取ったのか!」
と、多恵子をにらみつけることもあった。
この時にはもう、アキラがくれた折り紙やパズルなど、何の役にも立たなかった。
暴れたと思ったら、急になんでもないかのように、
「コーヒー飲みたいな。お母さん、コーヒーどこだっけ?」
と、キョトンとし、多恵子を見ては、
「お母さんどうしたの?こんなに散らかして」
と、あやふやな言葉を言う時もあった。
食欲もだいぶ落ち、イラストが描いてある子供用のお茶わんで、ご飯を食べるようになった。
その食べ方も、箸を使わずに手で鷲掴みで食べることもあった。
家の中の雰囲気はぐちゃぐちゃだった。信行は仕事で帰りが遅く、アリスも仕事をしていたから、日中初美を見ているのは多恵子だけだった。
初美は、夜はご飯を食べたことを忘れ、夜中に冷蔵庫を開けては残り物のおかずを、少しずつ食べたり、マヨネーズやケチャップを直飲みすることもあった。
もう多恵子は限界だった。変わり果ててゆく初美の姿が、とても歯がゆく感じた。
そんな時に日中、初美が多恵子の目を盗んで出かけてしまった。
多恵子は慌てて、信行とアリスに連絡し、探し回った。
アキラにも連絡があったが、アキラは他の患者の診察中で、身動きが取れなかった。
アキラは心配ながらも動けない状態が、もどかしくて仕方なかった。
そして初美はスーパーで万引きしたところを発見され、警察に身柄を確保されていた。
だが初美は、警察にいても自分の名前も分からないし、裸足で出歩き、足には豆ができていた。
その頃信行達は、自分達で探すことが限界になり、ちょうど捜索願いを近くの交番に届けた。
そして初美が、警察署に確保されていると訊き、ようやく安堵した。
「初美、心配したのよ」
多恵子は泣きながら初美を抱きしめた。アリスも多恵子と初美の二人を抱きしめた。信行は泣きながら、
「本当にお世話になりました。ありがとうございます」
と言った。
「見たところ、普通の状態ではないようですね。怪我や事故に合わなくて良かったですよ。ご家族の方も大変だと思うので、施設なり病院に入院させるなり考えた方がいいかもしれませんね」
「はい。分かりました。考えてみます。本当にありがとうございました」
信行と多恵子とアリスは頭を下げ、初美を車に乗せ家に帰って行った。
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