13 診察

初美はダンボール箱を先に田舎に送り、残りの机やベットなどは、マスターに頼んで処分してもらうことにした。

そして一週間後、東京駅から東北行きの新幹線に乗り、東京に最後の別れをした。

久々の新幹線に乗ることも、かなり緊張していた。ここでもし倒れたらどうしようと、考えていた。緊張の汗で脇の下がぐっしょり濡れる。

自由席に座り、乗っている間ずっと窓の外を眺めていた。

さよなら、東京。十五年間ありがとう。大学生活は一年足らずだった。事故に合い、音楽教師の夢は敗れたけれど、マスターのお陰で、カランコロンで働くことができた。

人混みは苦手だった。カランコロンのお客さんはみな、優しかった。

星空も田舎とは違って、ビルとビルの隙間からしか見えなかった。満点の星空や、澄んだ空気が懐かしく思うこともあった。

ブルーになることも多かった。でも田舎に帰りたいとは、殆ど思わなかった。それは、マスターと真琴のお陰だ。二人には感謝し切れない程感謝している。そうでなければ、あの事故から立ち直ることはできなかった。

新幹線の窓に時々雨粒が斜めに伝って行く。そうかと思えば虹が現れた。

通過地点の様々な景色は、初美の緊張をほどいてくれた。

そして残り一時間弱になり、東北地方最初のトンネルの中に入った。トンネルを抜けると続けてまたトンネル。山が多いことを教えてくれる。

ようやく幾つかのトンネルを抜けると、パァッと晴れて太陽が眩しく見えた。


「お帰りなさい」

「やっときたね。待ってたんだよ」

初美が田舎に帰ると、多恵子とアリスが出迎えてくれた。

「心配かけてごめんね」

「何いってるの。家族じゃない」

「うん、ありがとう」

アリスは初美を抱きしめ、

「良かった。無事に帰ってきてくれて…」

と言い、涙を流した。

「さあ、今晩は初美の好きなハンバーグよ。楽しみにしてて」

多恵子の声が弾む。

「初美、部屋に行こ」

アリスが初美のキャリーケースを持ち上げ、二階に誘導した。

懐かしい我が家。高校卒業以来ぶりだ。家独特の匂いがした。

部屋に入ると高校生の時のまま、ビタミンカラーでまとめてあった部屋だった。何も変わっていない。ベットにある掛け布団カバーは黄色で、カランコロンのエプロンを思い出させた。

黄緑色とオレンジ色の丸いクッション。ベージュに葉の模様のカーテン。何もかも、初美が出て行った時のままだった。

数時間後、父親の信行が帰ってきた。今日は初美が帰って来るから、残業を断ったらしい。

「お父さん、ただいま」

「よく帰ってきた。みんな待っていたんだぞ」

「うん。帰って来るのが遅くなってごめんね」

「もういいんだ。これからのことを考えよう」

「うん」

「さあ、みんなご飯にしましょう」

「あれ?初美のハンバーグ、みんなより少し大きいんじゃない?」

「ふふふ、今日は特別よ」

「ずるーい!」

「あはは!」

和やかで明るい笑い声が、リビングとキッチンいっぱいに響き渡った。だがそれも、ほんの幾日かに過ぎなかった。


初美はバスに乗り、白井から紹介状を渡された病院に行った。

「園田初美さんですね?白井先生から訊いています。受け付けをしますので、少しお待ち下さい」

初美は緊張していた。手のひらに汗がにじむ。一体どんな先生が担当医になるのだろう。不安で仕方なかった。

「園田初美さん。先に身長と体重測りますね。その次に血圧計測します」

看護師に言われるがまま、計測していく。血圧は正常だったが、心拍数は100を超えていた。

「すみません。また待合室でお待ち下さいね」

「はい」

時間が経てば経つほど、初美の心臓はバクバクと音を立てていた。唇は乾き、手汗もひどくなり、履いていた黒のプリーツスカートで、手のひらを拭った。思わずこぶしをギュッと握る。

喉も渇き、廊下の端っこにある浄水器で潤した。途中貧乏ゆすりを数回した。それでも緊張はほどけなかった。

隣の席に座っている人が、スマホでゲームを必死になってやっていた。声こそ聞こえはしないが、ゲームの音を小さくしていても初美には聴こえていた。とても耳ざわりだと思った。

それから一時間程経っただろうか。看護師が初美の名前を呼び、診察室へと誘導した。

扉を開けると、そこにはアキラが黒い椅子に座り、パソコンを打っていた。

「白井さん?どうして?」

「とりあえず椅子にどうぞ」

初美はクリーム色の椅子に座った。一気に冷や汗が流れ、髪の毛の隙間から額、頬と順番に流れる。脇の下や背中にも、じわっとした感覚があった。

「驚いたよね。実は前の病院を辞めて、紹介状に書いたここの病院に務めることにしたんだ。責任感ってやつかな。初美ちゃんを最後まで診察しようと思って、何度も院長に直談判したんだよ。これは内緒ね」

「ああ…、こんなことって…」

初美はボロボロ泣き始めた。全身の力が抜け肩が下に降りた。

プリーツスカートに涙が落ち、濡れていく…。

「泣きたい時は泣いていいよ。ボクが責任を持って、初美ちゃんの診察をするから。ずっと不安だったでしょ?もう安心して」

「ありがとう…ありがとうございます…」

初美は止まらない涙を、カラフルな水玉のハンカチで拭った。

「じゃあ診察はじめようか」

アキラは今までの診察データを元に、現在の体の調子を初美に尋ねた。





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