10 病名

診察予約日。

この日はカフェ、カランコロンも休業日にした。

初美はマスターに連れられて、アキラの務める病院にやってきた。

初美は痩せて頬もこけ、ぐったりとしていた。もう以前のような初美の姿ではなかった。

「園田さん、一番の診察室へどうぞ」

看護師に名前を呼ばれ、二人一緒に診察室に入ると、そこには白衣を着たアキラが椅子に座り、パソコンを打っていた。

「改めまして。白井アキラです。今日から園田さんの担当医になります。よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

「先日のマスターからのお話では、アルコールを日中から飲んだり、道を忘れたり、黒い虫が見えたり、部屋が散らかっていたりと、言っていましたね。その他に気になる点はありますか?」

「時々ボーッとしたり、布団からでられなかたり、自分の名前を忘れたことが数回ありました」

「そうですか。それでは頭の検査をしてみましょう。待合室で待っていて下さい」

「はい」

二人は一旦、待合室で待っていると、看護師がきて、

「頭の検査をしますので、私に着いてきて下さい。四十分くらいかかりますが、寝ているだけで終わりますから、心配いりませんよ」

看護師はそう言うと、二人を連れて

MRIの検査室の前にきた。

「ここからは患者さんのみ入って下さい。付き添いの方はこちらでお待ち下さい」

そう言って看護師は離れて行った。

「大丈夫だよ、初美ちゃん。ボクがここで待っているからね。心配いらないよ」

「はい」

「園田初美さん、中へどうぞ」

名前を呼ばれると初美は中へ入って行った。

一時間くらい経っただろうか。初美が着替えを終えMRI室から出てきた。

するとまた看護師がきて、

「診察をしますので、また診察室の待合室でお待ち下さい」

と、言った。

二人は少し緊張していた。

そして、三十分くらい待ってから

「園田さん、診察室の中へどうぞ」

と、看護師に言われ、またアキラの待つ診察室の中に入った。

アキラは初美の頭の画像を何度も見て、

「マスターも初美ちゃんもよく訊いて下さいね。初美ちゃんは、若年性アルツハイマー病を患っています。今の症状はうつ病です。そして、アルコールを長年に渡り日中から飲んでいたこともあり、脳の萎縮が見られます。以前頭を大きく打撃したことはなかったですか?」

「あ、あります。十八歳の時に自転車に跳ねられて、その時頭を強く打ったけれど、あの時は傷をおったくらいで、脳は以上ありませんでした」

「その時の影響があり、今アルコールと重なり萎縮しているのだと思います」

「白井さん、なんとかなりませんか?」

「今は、薬で症状を遅らせることは少しなら可能す。しかし、老年のアルツハイマー病と違い、若年性の場合は完治は難しいです。そして寿命が十年前後と言われています。残念ですが、今、私にできることは、薬を飲んでもらって、進行を遅らせるだけしかありません」

「そんな…」

マスターはガックリと肩を下ろした。

初美は現実を受け止められず、何も言えなかった。

「ご両親にもちゃんとお伝えしなければなりません。ボクの方からお伝えしますか?」

「私の口からは無理です…」

「それじゃお願いします。とてもボクからは伝えられません…」

「分かりました。ボクも、なるべくカフェに寄るようにしますから。見守っていきましょう」

マスターと初美はカフェ、カランコロンに戻り、カウンター席に座った。

「初美ちゃん、大変なことになったけど、これからは白井さんに任せよう」

「私…死んでしまうの?」

「まだ先がある。薬飲んで頑張ろう。白井さんもここに様子見に来るって言ってたし、きっと早々にどうにかなる訳じゃないさ」

「マスター、私怖い。死ぬなんてイヤ!」

初美はようやく現実を受け止め、瞳から涙が溢れでた。


「もしもし、わたくし愛敬病院の白井と申しますが、園田さんのお宅でしょうか」

アキラは初美を診察した次の日、早速初美の実家に連絡をし、初美の病状を母親の多恵子に説明した。

「まさか、そんな…。初美がそんなことになっていたなんて…」

「今は薬を飲んで頂いて、病気の進行を遅らせることしかできません。あとは初美さんと話し合って、今後どうするか相談なさって下さい」

「はい…。ご連絡ありがとうございます」

初美の母親の多恵子は、電話を切ったあと、しばらく呆然とした。すぐにはどうするべきか、解決策が見つからなかった。

そしてその日の夜、父親の信行と姉のアリスに、初美のことを相談した。

「そんな!急に言われても信じられない!」

アリスは動揺を隠せなかった。父親の信行も、

「こうなった以上、もう東京へ一人暮らしは無理だろう。初美に帰って来るように、伝えた方がいい」

「そうよね。そうしましょう。今電話をしてみるわ」

多恵子は初美のスマホに電話をかけた。

初美は頭から布団を被り、体を丸めながら泣いていた。そして、電話の音で驚く…。

「もしもし…お母さん?」

「そうよ。お母さんよ。初美、今日病院の先生から電話がきたの。病気のこと訊いたわ。迎えに行くから、すぐに家に帰ってらっしゃい」

「私…。このまま東京にいたい。ここにはマスターもいるし、真琴もいるから…」

「そんなことダメよ!今はまだしっかりしているけれど、病気が進行してからじゃ、帰って来るのが大変になるわよ。ねえ、帰っていらっしゃい」

「…。それでも今はここにいたい。私の居場所なの…」

「考え直して。初美の為なのよ」

「うん。分かってる。でもここにいて、仕事ができるうちは、黄色いエプロン着けてここで働きたいの」

「働くって…。マスターにも迷惑かけるでしょ?」

「う…ん…。訊いてみる…」

「分かったわ。それじゃマスターとちゃんと話し合って、連絡ちょうだい」

「ありがとう、お母さん」

プッ!

電話が途切れると、初美は思いっきり泣いた。本当は帰った方がいいのだろう。それは分かっている。でもこのカランコロンの居心地がいい。できることなら、このままここにいたい。でもマスターには迷惑をかけてしまう。

初美の頭の中はぐちゃぐちゃになっていた。

そして思わず冷蔵庫を開けた。そうだ。ビールはないんだ…。こんな時ビールがあれば…。

初美は自分の弱さに情けなくなっていた。

そして、散らかった部屋のゴミを一つ一つ片付けていった。

次の日腫れた目をしながら、初美は黄色いエプロンを身に着け、笑顔で、

「おはようございます!」

と、マスターに挨拶した。

「初美ちゃん!体調は大丈夫なのかい?」

「はい。今日は気分がいいんです。部屋をキレイにしたからかな」

「そうかい。それは良かった。それで親御さんには話し合ったかい?」

「はい。それでお願いなんですけど…」

「なんだい?」

「マスターさえ良ければまだここにいてもいいですか?迷惑かけてしまいますが…」

「ボクは構わないよ。でもね、よく考えた方がいい。この先どんどん症状は、悪くなっていくと思う。初美ちゃんとボクだけでは、どうにもならないんだよ」

「分かっています。でもここにはたくさんの思い出がある。それに真琴も白井さんもきてくれる。居心地がいいんです」

「分かった。初美ちゃんがそういうのなら、ギリギリまでボクが面倒見よう。体調の良くない時は絶対に無理しないこと。いいね?」

「はい。ありがとう、マスター」


初美はもう少しだけ、カランコロンの看板娘を務めることになった。







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