第15話
錯覚や幻聴だったのかもしれない。
陸は混乱した気持ちをどうにか落ち着けようとして、そんなことを思いながらノボルの家へと急ぐ。
有り得ない箱の存在に強い衝撃を受けた覚えはないが、怖い、という感情に胸がざわついているのを感じた。不安で、胸のあたりがどくどくしている。
道場には生徒たちがいた。ノボルにレジ袋を渡し、予定していた組み手は休ませて欲しいと陸は初めて伝え、自分の部屋に入るなり俯せで横になった。
衝撃の余韻が引き始めると、ダンのことが頭に浮かんだ。
彼は今頃、あの小さな箱にあったビルの一室で、借りられた刑事ドラマでも見てくつろいでいるのだろうか。
「陸、大丈夫か?」
組み手がなくなったので、そのまま切り上げたみたいだ。タオルを首に引っかけたノボルが、襖をそっと開けて室内を覗き込む。
陸はちらりと見やった。ノボルがその様子を見て、部屋に入り、陸の向かいにどかっと腰を降ろす。
「何かあったのか?」
「……それを、じっくり考えていたとこ」
いつもより返事が遅いことを気にしたのか。ノボルがタオルで首回りを拭い「話なら聞くぞ」と告げた。
「帰って来た時、元気がなかったんで心配してたんだ。……チカンとか?」
「ぶっとばすよ。僕、男の子だよ」
陸は、ようやく身を起こした。
「そういう事件じゃないってば」
「そうか、よかった……お前に何かあったら智道に殺されちまう」
陸は思わず笑ってしまった。
「父さんが、おじさんに敵うわけないでしょ」
「そうでもないんだな、これが」
ノボルが肩をすくめて見せた。
「兄だから強いとか、弟だから弱いとかははないんだからな。お前の父さんは強いんだ。あいつに笑顔で威圧感を張りつかせて迫られた日にゃ、生きた心地がしねぇよ……」
「父さん、そんなことしないけどなぁ」
「お前は智道の裏の顔を知らないからそう言えるんだ。お前も才能を持っているが、智道も天才すぎる戦闘センスの持ち主でな。素手だけで、テロリスト共を制圧し――おっと、これは秘密だったな」
陸はノボルの話の続きが気になったが、今は、先程あったことでいっぱいだったので尋ねなかった。
「……おじさん、あの箱って、怖い物じゃないよね?」
「うん?」
ノボルが、なんだ突然、と眉根を寄せた。
「俺の聞き違いじゃないよな、今、怖いって言ったのか? お前が?」
しつこく訊き返されて、陸はちょっとだけ恥ずかしくなる。
「怖がってるのは認めるよ。その、呪いとか、幽霊とかそういうのは……ちょっと苦手というか……」
ごにょごにょと答えた。
陸が幽霊を信じないのも、呪いや霊が怖いので、信じたくないだけなのだ。
どんな不良も恐ろしい生き物も怖くはない。彼らは血肉が通っていて、どんなに攻撃でも対処できるからだ。
しかし、映画などで見る呪いや幽霊は触れることもできない。
何もできることがなく、襲われるがままだから、怖い。
しばらく陸の様子を見つめていたノボルが、突然豪快に笑いだした。
「ライオンもクマも怖がらないお前が、幽霊にね! おかしな話だ」
「ちょっと、僕は真剣なんだけど!?」
「あ、悪い悪い。そうだな、えぇと、なんだったか。あの箱の話だったな」
ノボルが慌てて居住まいを整え、考えているふうで腕を組んだ。それを見る陸の目は完全に冷めていた。
「俺が思うに、生み出すための材料もいらず、箱の中で作られた物が外に出るってのは警戒してしまうな。そんな夢のような話なんて経験上ない。魔法じゃないからな、不思議な現象は俺たち人間みたいになんらかの事情があって動いているんだ。何か、裏がありそうな気がしてなぁ……そう考えると、使い手の意思から外れるのは有りだ。俺だって、怖い物だと身構えちまうよ」
――起こることについては予測不可能なため、怖い。
陸は、あの不思議な箱に対する自分の感情を理解した。そうしてあのショッキングな、ある種のホラーな出来事だ。
彼は唾をのみ、慎重に尋ねる。
「あの、さ、おじさん……あれって果物とかだけじゃなくて、生き物まで作らないよね?」
ノボルの顔つきが変わった。話しがもと陸の間違いで、確信もないのに大袈裟になってしまったらどうしようと思って、陸は『もう一人のダン』とは言えなくなる。
「もしかしたら僕の見間違いかもしれないけど、箱から出てきた人型みたいなものっぽいのと遭遇した、ような……」
「なんだと?」
「作り物っぽい感じがあったんだ。ホラーかな、と思ってぞわっとした」
昼間あったことを思い出すと、背筋が冷たくなるのを感じた。
「箱自体に意思があるって言ってたけど、それが成長してさ、おじさんが言ったみたいに使い手から離れて、ダンおじさんが知らない間に町を偵察している、なんてことはないのかなぁ、とか?」
「お前、ダンに会ったのか?」
「たまたまだよ、幽霊屋敷を知りたいって質問されたんだ」
ノボルは状況を察したみたいに、額に手を当てて天井を見た。
「果物とかも生きているわけでしょう? それなら、学習すれば生き物も作れるのかなぁって……あの箱って勝手に動いたりしない? 大丈夫かな?」
「まぁ落ち着け、お前がそう聞いてくるのも珍しいな、それくらい見かけたモノにびっくりしたということだよな。うむ」
「不思議な箱は、実は呪いの箱だった、みたいな……!」
「いやいや、呪いはないだろう。分かった、あいつにちょっと聞いてみるか」
ノボルが一階の固定電話へと向かって歩く後ろを、陸もついていった。
「番号知っているって、仲良しだね」
「これまで場所を転々としていたから、番号だけはちゃっかり共有してくる」
「スマホから連絡すれば――」
「あいつは金が有り余っているから気にしないが、長話になったら俺の電話代がやばい」
あ、確かに、と陸は思った。
道場への連絡先としても使っている固定電話から、ノボルがダンの方へ電話をかけた。間もなく賑やかな声が受話器からもれた。
【やぁノボル! 嬉しいな! 引っ越して設置した新しい固定電話、君が初めての電話の相手だよ!】
「マジかよ。切ろうかな」
陸は、ノボルの脇をつっついた。向こうからの話が聞こえるように設定されていたので、陸もダンの声を聞けた。
ノボルは、先程陸に聞かされた推測について話した。するとダンは、すぐ面白そうに笑い飛ばした。
【つまり、箱から意思そのものが出て町を侵略するとでも思っているのかね? 子供の考える『怖いこと』だねぇ】
「おい笑うな、陸が切れる」
【それはすまない。シノちゃんと同じ顔で怒られるのは、きついな。うむ。いやいや箱から意思か出るとかはあり得ないよ。箱に植えつけられているその意思が、どうやって一人歩きするっていうんだい?】
パソコンのデータと同じで、本体から離れられるはずがないだろう、
ダンはおかしく思っているのかもしれない。
【まぁ研究段階だから、まだまだ調べてみないと分からない点も多いが、生き物が作れないことは確かだよ】
「本当か?」
【昨日、試しに犬とハムスターの情報を与えてみたんだが、作り上げることは無理だった。ただ、知能は確実に上がってる。ビルも頻繁に改装されてどんどん綺麗になっているし、町だって私好みの芸術品なよさも……】
「分かった、分かった。お前の自慢話しは聞きたくないから、切るぞ」
無情にもノボルは告げた通りに、電話を切った。
「だ、そうだ。とくに問題はなさそうだな」
「そう……」
犬も、ハムスターも〝模型〟を作らせることに失敗した。
とすると、ダンに見立てた動く人形だって作り出すことは不可能なのだろう。箱が作れるのは食料や物質といった無害なもの限る――のか。
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