第13話

 彼のところから逃げ出したのは数時間前だ。気まずい。


「や、やあ、こんにちは……」


 海斗は、陸が持っている薬局のレジ袋と彼とを、交互に見た。


「………おう。先輩から聞いたけど、お前習い事してるんだってな」


 してはいない、と答えたいけどそう言ったら面倒そうな予感がした。


 逃げられたのも習い事をして体力はまぁまぁあるから、という具合に金髪組みの先輩たちは納得させたのかもしれない。


「えーっと。たしなむ程度だよ、うん、その、父さんもおじさんもやってて……?」


 詳細はぼかした。海斗が「ふうん?」と言う。


「胡散臭そうな道場なら見かけたことはある………そのおじさんってやつは、強いのか?」

「えっ? あ、うん、強いよ。いろいろな師範免許とか持ってるし、若い頃は国際大会とかも結構出ていたとか……?」


 ノボルは事実、強いのだ。


 陸は幼い頃彼を散々負かし続け、家の庭へ放り投げたりしたものだが、若い頃ノボルは『暴れ牛』とまで言われていたほどだとか。


 道着姿で外国を歩き回っていた青年時代、彼は『サムライ』と人々から尊敬の眼差しで見られていた――とは父が話していたことがあった。同じ教育を受けた父は、不思議と自分の武闘話は全然しなかったけれど。


 陸も、父はほんわかしていて生真面目だったので、一族の男という印象はなくて尋ねなかった。


 ノボルの家の倉庫には、亡き祖父がとまっておいてあげていた埃をかぶったたくさんのトロフィーがある。それを見た時、陸はノボルの管理能力がいい加減過ぎると呆れたものだ。なぜか母は、彼の人柄を褒めていた。


「お前は、その……強いのか?」


 気になった様子で、海斗がズボンのポケットに両手を突っ込でもじもじと切り出した。


 いったい先輩たちに何を言われたのか気になる。睨まれていたより、もちょっと状況が悪化していないか陸ははらはらした。


「僕は、ようやく少し体力がついた、くらい?」

「俺に聞くなよ」

「うん、そうだね……あははは………」


 会話が続かない。逃げたことに関して胸倉を掴まれる展開も、問い詰められることだってなさそうだし、ここは話しをそらしてとっとと帰ろう。


「えーと、こんなところで何してるの? あっ、僕はおじさんのお使いだよ」


 レジ袋を掲げて見せたら、彼が眉を思いきり寄せる。


「そんなの、見てたから分かる。俺はこれから先輩たちと合流だ」

「へぇ……」


 荷物をいったん家に置いて、出て来た感じだろうか。


 学校帰りそのまま遊びに行くわけでもなく、それぞれ家でしっかりと昼食を食べてから集まる、というのもやはり陸の知っている不良とはずいぶん違う気がした。


 その時、海斗が陸の肩越しを見やって顔を顰めた。


「なぁ、あれ」


 彼が短く言葉を切る。なんだろうと思って陸は振り返り、先程ノボルと話していた男が大きく手を振っている姿を見た。


「……変質者に見えるけど、知り合いか?」

「え? うん、まぁ、さっき知り合った人、というか」


 白衣を着たうえ、靴まで少々個性的だからのどか田舎では少々浮く人物になっているのかもしれない。


 そんなことを考えている間にも、男が長い足でものすごく速く歩み寄ってきていた。


「やぁ陸君! 素晴らしい偶然だね!」

「はぁ……」

「ん? 隣は、陸君の友人かな?」

「クラスメイト」


 警戒心丸出しで海斗が答える。


 男は興味もなさそうに海斗から視線を外すと、陸を見下ろした。


「自己紹介がまだだったね。私は、学者のミスター・ダンだ。本名ではないが、まぁ、皆にはそう呼ばせている。ダン教授、ダン先生、好きな方で呼ぶといい」

「じゃあ、ダンおじさんで……」

「ふむ、よろしい。それもまた新鮮だ」


 まさかの自分で呼ばせているのか、と陸は自称学者のミスター・ダンを、海斗と同じ警戒する眼差しで眺める。


「ところで、このあたりに幽霊屋敷があると聞いたんだが、君たち知らないか? 本当に幽霊は出るんだろうね?」


 ダンはそれが聞きたくて陸に声をかけたらしい。


 陸は、学校でそれらしいことを聞いたとぼんやり思い出した。ちらりと海斗を見ると、彼は知っている感じだが、勝手に話し始めたダンへ胡散臭そうに視線を戻す。


「私は住所を移した際に、ここ一帯を確認したがね。幽霊屋敷なんて一つもなくて、悲しかった。ガセネタだろうか……地元の幽霊に会えると楽しみにしていたんだが」


 すると、海斗が未知の反対側から見える丘を指差した。


「幽霊屋敷は、この裏通りにある古びた豪邸っすよ」


 答えた海斗の声色には、不審者に対する棘があった。


 ダンが眉を顰める。


「豪邸? ガーゴイルの像がある?」

「さぁ、なんの像かは知らねぇスけど、悪魔の家みたいな屋敷」

「悪魔の屋敷? ははっ、その素晴らしい屋敷は私の家だよ!」


 自慢したダンスが、途端に「ショックだ」と言って溜息を落とした。


「……なんということだ、幽霊屋敷なんてどこにもなかったのか……約二十年放置してみた私の家の一つも、幽霊なんて出なかった……空家にそれらは居付くと思っていたのに、古民家を買い取ってみたが検証はどれも失敗したしな。うむ、つまりこの町には幽霊屋敷はないのか、残念だ」


 ダンが嘆く。見た目も怪しげなその痩せ型の長身男を、通りの人々がよそよそしく通り過ぎて見ていく。


 陸には、ダンの考えが分からなかった。


「あのぉ……悪魔の家みたいって、本当なんですか?」

「ああ、あれは最高の出来だよ! 戻ってきたら以前よりそれらしくなって、とても気に入ってしまった! 雰囲気があって、古風な美を感じる」


 やはり彼は、人の話を聞いていないのかもしれないという説が、陸の中で強まった。話しがかみ合っていないのを感じる。

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