第11話

(不思議現象……なら、魔法だよね?)


 二人の大人が言いあう中、陸は魔法の箱を食い入るように見つめた。もし、男の話が本当だとすると、毎時変化していく〝箱の中〟は、確かに眺めるだけで楽しそうだ。


 じゃあ空飛ぶ絨毯も、魔法のランプもあるのかも。


 そもそも自分の怪力だって、ある種のファンタジーだ。そう知っているから、自分以外にもあるんだと分かってなんだかホッともした。


 けれど、そんなことを子供心にワクワクと思った陸は、ふと不安になった。


『――嫌というほど経験してる』


 ノボルの言葉を聞いた際の、嫌な感じがずぐりと胸に戻ってきた。


 冷静になれた。そうやって考えると、未知なる世界には、自分たちが想像できないような〝リスク〟だってある、という現実が不吉な感覚と共に胸に押し寄せてきた。


 常識に収まらないリスクなんて、恐ろしい。


 幼い頃、うっかりコンクリートを陥没させた時、陸は自分が恐ろしいと初めて実感した。驚いたように見つめていた親族たち、壊れ切ってしまった自分の足元の訓練場、それを同時に目へおさめた時に、いつしかその物体が人に変わってしまうのではないかと恐怖した。動けなくなった。


『陸! 大丈夫だぞっ』


 そんな中、親族たちの中から真っ先飛び出してきたのは、ノボルだった。


 俺は怖くないぞと全身で示すみたいに、彼は陸を強く抱き締めた。


『恐れて人と距離を取っては、だめだ。そうしたらお前は本当に孤独になっちまう』


 幼かった陸にはよく分からなったけれど、涙が溢れた。安堵と、恐ろしさの実感と、少し力を入れたらおじを壊してしまうのではないかという恐怖と――。


『これは不思議な力じゃない。お前の素質なんだ』

『そ、しつ……?』

『ああ、つまり才能だ。異能力じゃない、きっとそうだ』


 あの時おじは、自分と周りの親族に言い聞かせるみたいに、そう口にした。


『骨格と筋肉量に比例しなくて現実離れしていようが、その怪力があるのは事実で、お前の才能の一つなんだよ。それを、好きだと思えるようにしよう。それはお前自身の一つだろう。俺は好きだと居会うから言い続けるぞ。シノちゃんも特訓すると言ってくれてるだろ、な? だから落ち着こう』


 料理や家事を習い始める少し前のことだったと、陸は思い出す。


「陸?」


 現実の『おじ』の声が聞こえて、ハタと我に返った。


「ううん、別に」


 陸は覗き込んでいた黒い箱から、そぉ、と距離を取るみたいに正座し直した。


 ただ、中身が変化する箱庭。それなら何も危険はないはずだ。そう自分に言い聞かせて安心感を呼び戻そうとした時、それをぶち壊すように男が言った。


「実はな、私は何度もこの中へ散歩にいっている」

「えっ」

「何っ?」


 陸の上からノボルの非難の声が重なった。男が「なんだねその反応は?」とかえって陸たちが悪いと責めるみたいな目をする。


「君たちは揃いも揃って私の話を聞いていなかったのかね?」

「お前に言われるとすげー腹立つから、やめろ」

「はじめの説明でしていたとは思うがこれを持っていた人間は、ここから水や食料を得ていて、なおかつたくさんの人間を住まわせていたんだ。入れて当然だろう?」

「で、でも、家が建ったとしてもすっごく小さいよっ?」


 だから思い出せなかったのだ。陸が困惑しつつ黒い箱を指差すと、男が不敵な笑みを浮かべた。


「君は、自分の常識に傾きすぎているようだ。この世のことをなんでも知っていると過信してはいけない。発見と発明には、それは邪魔だ。いいかね『ありえない』というのは人間が勝手に作り出したことゆえであって、どんな原理も通用しない物事はある」

「確かにな……見たこともない乗り物で未来から誰かがやってくることも、貼るだけで物に命を与える馬鹿げた代物も、ましてや車が空を飛ぶこともな………」

「おや? ノボルはまだあのことも恨に持ってるのかい」

「当たり前だ! 俺は高いところが駄目だと言っただろうが!」

「まぁまぁ落ちつけ、陸君の前だぞ」


 ぐっとノボルが黙ると、男が気分をよくしてくるりと陸を振り返った。


「どうだい? 興味があるのなら今からでも入ってみる?」

「え。いや、その……僕は遠慮しておきます」


 嫌な予感がして、陸はそれを断った。


 なんたが彼の第六感というか、直感が、面倒なことになりそうな気を伝えてきたのだ。リスクも見えないのに行動すべきではない。


「そうか」


 男は少し残念そうに呟いて、自分の足元に置いてあったフタを両手で取る。


 その時、陸は箱の中から気配を感じてハッと身体を強張らせた。ねっとりと観察されるような視線だ。


 陸が素早く箱の中を見たのと、ノボルが視線を走らせたのは同時だった。


「おい、今……」


 ノボルも同じ〝違和感〟を感じ取ったようだった。鼻歌をうたいながらフタを閉めた男が、そでようやく二人に気付く。


「ん? なんだね?」


 男は何も感じていないみたいだ。


 ノボルが、確認するように目を向けてきた。陸は慎重に頷き、閉じられた箱、続いて男へと視線を戻した。


「あの……その中に、誰か住んでいたりするんですか?」


 誰か、と断言したのは、感じたのは確かに〝視線〟だったからだ。


「面白いことを聞くねぇ。まだ誰も住んでいないよ。建物とくれば人、ということで模型の人形がたまに歩いて箱庭の仕上がりを確かめはするが」

「それ、危険じゃないのか?」

「なんで?」


 尋ねるノボルに、男がきょとんと小首を傾げた。


「お前を見ているとほんっとイラっとする……ではなくてだな、箱が建物ではなく、人型まで作ることについてだよ。たぶんそれが建物のどこかをほっつき回ってる。緯線を感じた」

「ああ、君らはそういうのに敏感だったっけ。そりゃあ箱は生きているんだから、意志を持った視線は感じるだろうさ。けどそれは箱自体の話であって、人を模した人型に自我が芽生えるわけではないんだから危険はないさ」


 男は言いながら箱を、大きなよれよれとした使い古しの鞄にしまい込む。


「本当だろうな?」

「まが疑うのかい。それに、私は出入りできるけど、箱自身の意思は外に出られないみたいだからね」


 けれど陸は、やはり不安がじわじわと込み上げていた。


 箱の中から水やら食料やらを運び出せるというのなら、それは、作り上げた〝人〟も可能なのではないか、なんて怖い想像が頭に浮かんだからだ。


(新鮮な食べ物も可能なのに、それ以外は出てこないとか説明になっていないんじゃ……?)


 どうして、同じ発見をした人はいなくなってしまったのだろう。


 すると難しい顔をして黙り込んでいたノボルが、立ち上がる。


「お前もう帰れ、研究するにしろその箱は家から出すな」

「はいはい、分かってるよ。君の心配性は今に始まったことじゃない。しばらくは私の家からは出さないようにするさ。私の発明が素晴らしい成長を遂げた時、成果が世間に認められて正しかったと賞賛されたら君を心底ばかにしてやるからな」

「仕返しだけがやたら小せぇんだよなぁ……」


 男は立ち上がり、大きな鞄のベルトを肩に引っかけて持ち上げる。


「そりゃあ、君にはたくさん世話になっているからね!」

「自慢するなよ。自覚があるんかい」


 ノボルが、見送りのため男と共に客間から出ていく。その際、陸は鞄から、また向けられるような視線を感じてゾッとした。


 はじめは魔法のようで面白かったのだが、そこには思考する一つの強い意思が宿っていることを想像したら、なんだか怖くなった。


 そもそも、どうして豪邸から誰もいなくなった?


 どうして、当時の持ち主はそれを厳重に保管していた?


 もし害がないのであれば、誰もが欲しがった確かな発明品だったかもしれないのに、それは大きく公表もされていなくって――。


 慣れない正座のせいか、陸は足先がひんやりと冷たくなっていくのを感じた。

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