第9話

 まずは買い出しした食材を手早くしまった。冷蔵庫に入っていたケーキ箱を取り出してみると、確かに中身はシュークリームだった。


(大きくて美味しそう)


 眺めたら、食べるのが楽しみになった。


 シュークリームが数個たっぷり収まった大きなケーキ箱と、客間のテーブルに何も出されていなかったことを思い出してグラスを三つ。そして冷茶のペットボトルを持って、客間へと戻る。


「ノボルは客人にお茶も出さないのか。まったく、私は喉がカラカラだったのだぞ」


 男はグラスに茶を入れ、差し出した陸に礼を言ったあとでそう愚痴った。


「お前だけだ」


 ノボルは不機嫌そうに言い返し、お茶を喉に流し込む。


 男との関係性は知らされたが、名前を教えていないところにも陸はノボルの機嫌の悪さがうかがえた。


(今尋ねられる空気ではなさそうだし……)


 いったい、名前は何さんなんだろうと思いつつノボルの向かいへ視線を移動する。


 ノボルの一方で、相手の方はかなりくつろいでいた。


「ささっ、君も座るといい。早速シュークリームを食べようではないか。糖分は必要だ、好きなところに座りたまえ」

「はぁ……」


 茶会のホストのごとく進行する男に、またしてもノボルのこめかみに『怒』のマークが浮かんだのが見えた。


 ノボルは怒らず無言で陸の席を指差す。


 陸は、向かい合うノボルと男の間に位置する場所で腰を降ろした。


 そうしてシュークリームを食べることとなった。ほどよく冷えていて、中のクリームがふわっふわとした弾力感なのも素晴らしい。


(うん、すごく美味しい)


 とはいえ、無言でそれぞれ食べている男たちの様子が気になった。


 ノボルは黙々と食べているし、向かいの男は、すでに二個目を取って口の周りについたクリームを舐め取りながらどんどん食べていく。


 その食べっぷりに陸はある種の感心のような気持ちを抱く。


「ったく、呆れるぜ」


 ノボルが珍しく、そんな口調でぼやいていた。


 ただひたすら食べているおじさんを眺めているというのも、なんだかシュールだ。というより自分は必要ないのではなかろうか。


(やっぱり、甘い物よりも米のほうが腹も膨れるし……)


 そう、ここは食事の支度をしよう。


 席を離れる口実がピンと浮かんだ陸は、二個目のシュークリームには手を伸ばすのをやめて「ごちそうさまでした」と告げた。だが立ち上がろうとしたところで、男が濡れ布巾で手を拭いながら呼び止めてきた。


「まぁ待ちなさい。布巾までしっかり用意して女子力の高い君」

「変な呼び方しないでくだい」


 陸の目が初めて、すぅ、と坐った。


「おい、やめんか」

「なんだ、褒めただけだろうに。まぁいい、陸君は、芸術や未知なる発見に興味はあるかな?」


 ノボルがますます顔を顰めて「やめろ」と言った。だが男は、期待の眼差しで陸を見つめて返事を待つ。


「はぁ…… えっと、難しいことはあまり……? 読書は好きですけど」

「ちっ、智道と一緒か」


 男が即座に舌打ちした。色気もない自然美な庭を眺める。


「先代が手入れしていた時と比べて雑すぎるこの庭だが」

「おいやめろ、いきり俺をディスるな」

「なんだカタカナ用語を使いよってっ。お前は私と同じ年齢だからな!」


 何やら男がムキになってちゃぶ台を叩く。


「お前の魂胆は分かってる。自然と本題に入ろうとするな」

「ちぇっ、お前だんだん智道に似てきたんじゃないか? ともかくだ、陸君」


 あ、僕をダシにした、なんて陸は思った。男の顔がこちらに向くそばで、ノボルが彼の横顔を憎たらしそうに「こんなのクソ野郎め……」と歯ぎしりしている。


「庭というのはたとえだ。それには人間の知恵が必要で、美的センスも必要だ。つまりこの庭をご覧の通り、ノボルはセンスが壊滅的に――」

「おい、いちいち俺の悪口を挟んで楽しいか?」

「私に自己紹介のタイミングも挟ませないお前への嫌がらせだ。これで平等だな」

「陸を利用しているから五分五分じゃないぞ、俺の精神は着実にダメージを積もらせているからな。俺のハートは繊細なんだぞ」


 陸は、その部分については密かに首を捻っていた。


「うむ。そんなことはどうでもいいのだ。つまり庭には知恵と、そして人の手がいる。だがもし、〝自分で成長し続ける〟小さな箱庭があるとしたら?」


 彼の向かい側で腕を組んで聞く姿勢を取ったノボルが、途端に眉間の皺を深くする。


「小さな……箱庭? つまりこんなに大きいものじゃなくて、工作とかの小さな?」


 陸が手で胸のあたりに大きさを描くと、男は興味を持ってくれたと取ったのか嬉しそうな顔する。


「そう、まさにそのくらいの大きさだ」

「待て。お前まさかそれ実在し――」

「おいコラ、口を挟むなノボル。たとえば一枚の紙に情報を記してその箱庭に入れると、こちらが何をするでもなく、その箱庭は教えられた情報をもとに考え、自分の小さな世界を作り出していく」

「えーと……つまり学習する? IAみたいに?」

「そうだ。そしてその箱庭は〝成長〟する」

「……成長……?」


 陸はよく分からないという顔で考える。


「また厄介なものじゃないだろうな」

「違うね。全然そうではない」


 ちゃぶ台に腕を乗せて胡散臭そうに頬杖をついたノボルに、男が茶を飲み、きっぱりとそう言った。


「これは革命的大発見だよ。私はソレを〝小さな世界〟と呼んでいる」


 陸は、すかさず手を上げて二人の間に割り込んだ。


「あのすみません。話しがあまり分からないんですけど、それは、箱って名前の生き物なんですか?」


 男がニヤリとした。


「実にいい疑問だ。それは確かに見た目は箱だが、生きているんだよ」


 すごさにようやく気付いてくれたかと言わんばかりに彼は胸をはり、演説っぽく誇らしげに続ける。


「いいかね、これは大発見なのだよ! 制作者は不明たが、あんな素晴らしいものを作り上げたのに〝頑丈にチェーンと鍵でがんじがらめにしたあげく、巨大な岩の下敷きにして土を何層も重ねた〟意味が、私にはまったく分からないね!」

「――え」

「もしあの謎に包まれた魅力的な〝箱〟の不思議を解明できれば、小さなスペースに何人もの人が住むことだってできる箱を、何個も作ることができるんだ!」


 陸は次第に嫌な予感がして口をつぐんでいた。


 男は話しながら腰が浮いていて、最後は大満足で座り直して残り冷茶をぐびーっと飲み干す。それを待ってノボルがあからさまに嫌な顔で言う。


「おい、大事なことだから確認するぞ――隠されていたのか? それを、お前がわざわざ発見したのか?」

「そうだが?」

「ばっかやろう!」


 途端、ノボルの大きな声が客間に響いて、陸は男と共に自分の耳を押さえていた。


「そうやって隠されていたのなら、厄介なものだと言っているようなものじゃないか!」


 ノボルはちゃぶ台を指で叩きながら主張した。


「はあ? 何を言っているんだい、自分だけの秘密にしていたいからああやって大層に隠すものだろう!」


 ――違うと思う。


 陸は頭の中で答えていた。この男の感覚は、自分たちと少々ズレているか風変わりなのは間違いなさそうだ。


「いったいどこで見つけたんですか?」

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