第8話

 いくつか食材を買い込んだあと、陸はそのままノボルの家へと向かった。


 広けられっぱなしの木材の大きな道場門をくぐると、真っ直ぐに続いている大きな石畳から左へとそれ、併設している二階建ての一軒家へ続く小さな石畳を進む。


 玄関は横に引くタイプの古いものだ。右側にはノボルが時々大雑把に手入れしている広い庭があり、池では近所の子供たちが祭りで取ったものの飼えなくなってしまった小魚が泳いでいる。


「ただいまぁ」


 引き戸を開けたところで、陸は「おや」と視線を落として立ち止まった。


 広い玄関に、ノボルの履き古したサンダルとは別に、見慣れない大きな白い革靴が並べられていた。


 白い色は汚れていて、ところどころ擦り切れたような部分が見える。かなり縦に長い靴で、先っちょが尖るようなデザインはブランドものだろうか。よれよれになっていたが、主張がいまだ激しい奇抜なピンク色の靴紐は組み合わせが独特で目を引いた。


 その横に自分の靴を脱ぎ、荷物を持って家に上がる。


 歩くと、廊下が小さな軋みを上げる。これも昔っから変わっていない音だ。


「お、今帰ったのか。おかえり」

「ただいま、おじさん」


 台所へと向かう途中にあった客間に、ノボルはいた。高さのない焦げ茶のテーブルに、相変わらずの道着だ。


 そんな彼の向かいには、見知らぬ男が正座をして陸を見つめていた。


 男はノボルと同じくらいの年齢そうだった。長身で痩せ型、こけた頬に癖のある髪がかかっていて、後ろの髪も肩まで伸ばされてやや暑苦しい印象がある。赤黒いシャツ、その上から白衣のような真っ白いコートを着ている。


「あの、えっと……こんにちは?」


 ひたすらじーっと観察され、陸は居心地の悪さを覚えた。ノボルが相手の男に「おいおい」と言って笑いかける。


「お前はこっちに帰ってきたのは久しぶりで分からんだろう。俺の甥っ子で、俺の弟、智道の息子の陸だ」

「何! 智道の息子だと!」


 突然、男が立ち上がって興奮したように目を見開いた。陸は『オバケみたい!』とびっくりして、心臓がどっどっとする音をしばし聞きながら硬直する。


「あいつ、いつの間に息子なんて作ったんだ!」

「結婚の知らせ出したけど? なんならお前、結婚式で好き放題飲みまくっていたうえ、手紙に毎度『子供と幸せに暮らしやがって後輩の分際で』なんて書いてたけど?」

「おぉ! よくよく見てみれば麗しのシノちゃんに似ている! いったいどういうことだ!」

「お前俺の話聞いてた? だから、結婚して、その息子の陸なんだって」


 陸は、ノボルだけでなくその友人も変……なんて思った。


 信じられない、そう男が首を振るのを戸惑い見つめつつ、陸は再び正座した男の視線から隠れるようにノボルの背に寄った。


「あの、おじさん、この人は……」

「俺とお前の両親の、友人だ。問題事ばかり起こす、ろくでもないやつだがな」


 ノボルの言葉に、男が「聞き捨てならんぞっ」と顔を上げた。


「私は至って真面目な学者だ。道場を経営するだけの男に、ろくでもないと言われる筋合いは、ない!」

「ああ、分かった。分かったから、あまり声を荒上げるな。耳が痛い」


 呆れたようにノボルが耳を押さえると、彼は鼻を鳴らして「相変わらず失礼な幼馴染め」なんて言いながら腕を組む。


 こうして会いに来るくらいだから、仲はいいのだろう。


 最近戻ってきた幼馴染なのは分かった。ここはひとまず、二人にしてあげよう。何より陸は、彼といると厄介事に巻き込まれそうな予感がしてそっと廊下へ後退する。


「じゃあ僕、荷物運ぶんで……」

「おう、頼む」

「あ、おじさん昼食は準備してる?」

「いや、こいつが押しかけてきたせいでまだだ。軽いのを頼む」


 陸は内心『よしっ』とガッツポーズをした。


 そのまま客間を離れる。遠ざかっていくその場所から、「やれやれ」とノボルの声が聞こえてきた。ゆっくり歩きながら耳を澄ませると、話しが再開する。。


「おい、お前さん、久々にあの家に帰って来たそうだが、その挨拶にやってきただけなんだろうな? そうだよな? いや、そうだと言ってくれ。そして用件が済んだんなら、とっとと帰れ」

「酷い扱いだな! もう少し私の話しを聞こうとは思わんのかねっ」

「思わん。これまでどのくらい迷惑を被ったと思っているんだ」


 男が、聞いていなさそうな「はぁ、やれやれ」という、もったいぶった短い息を吐くのが聞こえた。


「こんなことはどうでもいいのだ」

「どうでもよくねぇよ。おま、故郷に顔出すたび俺に迷惑かかってんだぞ」

「実はなノボルよ、昔、私が目をつけていた場所である発掘に成功したのだよ!」


 高々と自慢するような声が発せられた次の瞬間、がたがたと騒がしい物音が聞こえてきて、陸は驚いて足を止めた。


 振り返ると、廊下に揉める二つの影が映り込んでいた。


「お前もう帰れ! 巻き込まれるのはごめんだ!」

「何わけの分からんことを言っている? 今度のやつは絶対害がない!」

「ほーらなっ、もう嫌な予感がしてきた!」

「素晴らしい発見になるかもしれないんだぞ!」

「お前、毎回そんなことを言ってるじゃないか。最後にあったアメリカでの騒動、忘れたとは言わさんぞっ!」

「いやぁ、あれは誤算だったというか。智道にも世話になったな、うむ――あれが組織絡みの物だとはまったく見当もつかなかったというか」


 陸は取っ組み合いがなくなったのを聞いて、ひとまず歩くのを再開する。


(彼は『問題事を持ってくる男』なんだな)


 自分の中で彼を要注意人物に位置づけた。これ以上聞いても、と思って買い物袋を持ち直したところで、威嚇するようなノボルの呻り声にハタと立ち止まる。


「いいか、絶対俺たちを巻き込むんじゃないぞ! とくに陸だ」


(僕?)


 陸は、やや離れた客間を振り返る。


「あいつが、智道とシノちゃんの息子だってことを忘れるな。お前が発見したというものを研究するつもりなら、どこかよその場所でやれ。あいつはな、平凡に生きたいって言ってこっちに来たんだ」

「平凡ねぇ。私は嫌だな、暇は人生の天敵ってね」

「お前の自論だろう」

「まぁね。今回のものは、本当に害はないんだよ。そもそも買い換えたばかりの豪邸でやるなと親父たちに言われて、だから私はここに来たんだ。絶対に大丈夫さ」


 そう続けた男に、ノボルの溜息が続いた。


 ノボルが本当に嫌がっているのなら『追い出す』のを加勢してもいい。陸は心配になり、荷物をいったん廊下に残して客間を覗き込んだ。


 すると、そこには予想と違った光景が広がっていた。


 客間には、テーブルを挟んでノボルに胸倉を掴まれる男がいた。けれどテンションが恐ろしく下がってどんよりとした空気を漂わせているのはノボルの方で、男が陸を見て能天気そうに「やっほー」と手を振ってくる。


「何か甘いものはない? 私は少し糖分が欲しい気分だ」

「はぁ……おじさん、何か持って来る?」


 いちおう、家の主に確認した。客として居座らせることにするのか、それともこのままおかえり願うのか。


 すると見られたのがバツでも悪そうにノボルが手を離し、彼を先程と同じく座らせた。


「そうだな。冷蔵庫の中に、午前の体操教室でもらったシュークリームが入っているから、それを皆で食べよう」

「う、ん、分かった。それじゃあ持ってくるね……」


 陸は、ノボルの様子からして過去にいったい何があったのか気になったが、追求はせず台所へ小走りで荷物を運んだ。

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