第6話

  今日は授業が午前中だったため、陸は無事に全授業を終えたのちに他の生徒たちと『帰りの会』を受けていた。


 驚くことに、この学校は週に二回は午前だけの授業なのだとか。


 教壇に立った田沼が生徒たちと談笑しながら進めている。陸は、今日早速借りた二冊の本を鞄に詰めた。


「日が暮れるまでに帰ること、変な人に声をかけられてもついていかない――……」


 などなど人のよさそうな田沼の話が続く。


 陸は、背中に感じる強い視線に鞄をしめながら溜息を密かにもらした。うっかり先輩男子生徒を引きずってしまってから、海斗の視線が痛い。


 彼は何をするでもなく、一日中陸を観察している。


(問いつめられるわけでもないし、……変には思われていない、はず)


 穏やかな学校生活に早速不安が込み上げている。へたに話しかけて、余計に不審がられても困るし――。


 ここはいつも以上に気をつけて生活しよう。


 と、田村の話しが終わった。


「それでは帰りの会はここまで、さようなら」


 その声に生徒たちの「さようなら」が続き、教室内はいっせいに騒がしくなった。


 弁当を持って部活に行く生徒、帰宅する生徒が教室を次々に飛び出していく。あっという間に室内には担任の田沼と話す女子生徒たち、数人の男子生徒が午後の予定を話し合う声だけになった。


 相変わらず外の天気いい。


 少し夏を感じさせる暖かい日差しが、カーテンの隙間から教室に差しているのを陸はついつい眺めてしまう。


(ほんと、穏やかなところだよなぁ)


 だから『見慣れた金髪』とか、ちよっと予想外だった。


 ノボルが今日は、早めに道場の生徒たちが来ると言っていた。熱くてくたくたになるであろう彼を思うと、今日はあっさりとした味付けの夕飯に冷たいデザートのフルートを足そうかと考える。


(よし。帰ろう)


 いまだ後ろの海斗が立ち上がっていないことに他名をこらえつつ、なら自分が先に帰ろうと思い、陸は立ち上がってリュックを背負った。


「陸君、帰るの?」


 気付いたクラスメイトたちの視線が集まる。


「えっと、うん。スーパーに寄って帰ろうと思って……」

「何買うんだ?」


 子供の数も少ない地域だ。中央の机に集まっていた二人の男子生徒が、興味を示したように人懐っこく話しかけてきた。


 昼飯はおじさんの料理がヤバくないことを祈りつつ、夕食の買い出しついでに――と思いつつ、自炊できる云々で話の幅が広がりそうな気がして、陸は一言で応えることに決める。


「果物だよ。帰りにスーパーに寄ろうかなって」

「果物ならカシワの野菜屋がいいぜ。いつも新鮮な野菜とか、フルーツとか置いてる。すげぇ安いんだ」

「そうなの?」

「そうそう、母ちゃんおすすめの場所だぜ」

「肉なら、サクラスーパーだけどな」


 男子生徒たちの笑いに、女子生徒たちが「あんたたちが買うのは、アイスクリームとお菓子だけでしょ」と言って茶化す。


 その様子を眺めている素振りで、陸は向こうをさりげなく確認する。


 安心したみたいに田沼がにこにこして、教室をあとにしていった。


 すると笑い合っていた男子生徒たちが陸の後ろに気付いた。教室内で唯一座りっぱなしのクラスメイトを見て、顔を顰める。


「海斗、お前どうしたよ?」

「まだ帰んねぇの?」

「今日は先輩たちと待ち合わせしてるんじゃないのか?」


 陸は振り返るのも気が引けて話し声につい耳を傾けた。後ろから「別に」と声が上がり、雑誌をめくる音が続く。


「まぁいっか。買い物行くのはいいけど、その店の後ろにある古びた建物には近付かないほうがいいぜ」


 こちらに顔を戻した男子生徒に、今度は陸が疑問に顔を顰めた。


「悪趣味な豪邸っつうか、施設みたいな家があるんだけど、ここじゃ有名な幽霊屋敷なんだ」

「幽霊屋敷?」


 二人の少年は真面目顔で頷いた。


 陸は、後で海斗が鼻で笑うのを聞いた。彼は幽霊なんて信じていないみたいだ。


「それで、その幽霊屋敷って?」

「最近まで誰も住んでなかったんだけどさ、変なおっさんが住み始めたって聞いたぜ」

「でも電気もついてないし荒れ放題。その家を出入りしているっていう話も滅多に聞かないけどさ……そのおっさん、なんだかやばそうな感じだったって噂だし気をつけろよ?」


 あまりにも真剣な忠告顔に、陸は次第におかしくなってきた。


「ふふっ、幽霊に気をつけろってこと? それとも、そのおじさん?」

「幽霊もおっさんも、気をつけるんだよ!」


 彼らがとても優しい少年だとは分かっていた。噴き出したのは悪気はなかったのだが、彼らは陸に理解させるように言い聞かせてくる。


「信じてねぇなその顔、取り憑かれたりしたらどうすんだよ」

「それに、ほら、そのおっさんが何かしないとも限らねぇしっ」

「お前こっちに来たばっかじゃん。小さいし、その、顔……いやなんでもねぇっ。とにかく、用心しろよって話だ」

「幽霊なんていないよ。それに、この辺の治安はすごくいいって聞いてる」


 いちおうは気をつけるからと彼らを納得させて話を切り上げ、陸は教室を出た。


 すると、後ろから少し距離を置いて足音が続くのが聞こえた。まさか、と思って廊下を曲がる際に素早く確認したら、海斗が威嚇する顔でついてきている。


(ええぇ……なんて大胆)


 学校が終わっても続ける気だろうか。


 陸はどうしようか考えた。面倒なことはヤだ、という気持ちに心が傾いて歩く速度を上げる。後ろの足音も速くなった。


 このまま家までついてこられてもまずい。


 陸は、進路を変更して図書室へ向かうように早足で進む。


 すれちがった数人の上級生が、「不良一年生が転入生のあと追っかけてるけど、いったい何だ?」と視線を向けていく。


(かなり目立ってるけど、そもそもなんでついてくるの?)


 意味が分からない。学校外でも観察とか勘弁して欲しい。人に見られるのは好きじゃないのだ。


 しかも、陸まで目立っているこの状況には我慢できなくなってきた。


 こんなこと続けていられない。陸は、自分の心に忠実になって走りだした。後ろから「くそっ」舌打ちが上がって、海斗も走りだす。


「なんだなんだ?」


 すれ違った際に、ぶつかりそうになった上級生らしき男子生徒たちが、驚いたような声を上げた。


「すみませんっ、ちょっと急いでるんで」

「あれ、お前が転校生? ふうん、廊下ではあまり走るなよ、危ないから」


 親切だ、なんて感動しつつも陸は思う。


(だったら、後ろにいる海斗にそれを言ってやって)


 そのまま廊下の突き当たりを左へと曲がった。しばらく進むと『理科室』と『視聴覚室』と書かれてある広い教室が並んでいて、閉め切られたその部屋に沿って敷かれている廊下には誰もいない。


 陸は、咄嗟に開いている窓へと目を向けた。


 後ろを振り返り、海斗がまだ廊下を曲がっていないことを確認して、彼は窓の外へと飛び出すことを決意する。


「よし、行く」


 迷うくらいなら突き進む。それが陸のモットーだ。


 彼は窓の縁に手を置くと、軽い身のこなしで足を持ち上げて窓の外へと出した。そのまま真下へと落ちていく。


 そこは校舎の裏にある塀が少し向こうに見える場所だった。下の壁際には雑草の群れがある。


 それを落下の一瞬で素早く確認していった陸は、衝撃に備えた。


 直後、落下の衝撃音を土と草が吸収した。彼の外見からは想像できないほど強靭な両足が、落下した陸の肉体とリュックの重みを完全に支える。


 衝撃で、千切れた葉っぱが宙を舞っていた。


 ひらひらと舞い降りてくる葉の向こう、陸はぱっと頭上を見上げた。


 しばらくじっと気配を殺していると、開いた上階の窓から、急くような足音が遠ざかっていく。


「……ふぅ」


 一難が去ったことを理解して息を吐いた。風で乱れた髪に葉っぱが乗ったのに気付いて「あ」と目を向けつつも、歪んだネクタイを片手で直す。


 目の前に広がっていたのは、真新しい校舎の芝生の光景だ。


 新鮮な空気を吸いながらそれをしばし眺め、校舎の左横だと地図を思い浮かべる。ここが敷地内では一番狭い場所になっていた。二メートルもしない距離には、校舎を囲う背の低い塀がある。


 右側からはテニスの音が響いていた。そこには確かテニスコートがあったはずだ。そこをみると、芝生はぷつりと途切れて道ができ、正門近くに設けられた自転車置き場も視認できた。


「…………とりあえず、帰ろう」


 陸は「よし」と膝を叩いてリュックを背負い直したが、上階の開いた窓から慌ただしい足音が聞こえてきた。


「まさか、いや、でも」

「ほんとだって、お前も見たろ」


 聞き覚えのある声がする。実に騒がしい。


「いったい今度は何――あ」


 頭上の窓を、ぐりっと頭を後ろに倒して見上げる。すると陸の逆さまになった視界に、魔時窓からちょうどこちらを覗き見た金髪組みと目が合った。

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