第5話

 他の生徒が入学時に終わらせている調査書もする必要があったので、陸は一時間目が終わってすぐ、休憩時間を利用して書き込みした。


 好きな教科や苦手な教科、考えている将来があるのなら聞かせて欲しい――簡単にいうとアンケートみたいなものだ。


 職員室に足を運ぶと、先程教室で別れたばかりの田沼に驚かれた。


「提出期限はゆっくりなのに……君は真面目なんだなぁ」


 顔から、ネクタイへと視線を下ろされ気がする。


「はい。僕は真面目なんです」

「え、あ、うん、そうなんだね。ああそうだ、次の授業は一学年合同の保健体育で、女子は視聴覚室、男子は図書室で自習なんだ。図書の貸し出しについて説明するね」

「分かりました、ありがとうございます」


 今日からでも本を借りたいので楽しみだ。自然と職員室を出ようとした陸は、そう考えたところで足を止めて振り返る。


「あ、移動ですよね。図書室ってどこにありますか?」

「職員室の上だよ、階段をのぼってすぐのところにあるから分かりやすいと思う。読書は好き?」

「はい、好きです。僕はスポーツ派じゃないので、のんびりすることなら、なんでも好きです」


 陸は推しておく。


「そっか、なんだかそんな気がするよ。おっと失礼」


 田沼は申し訳なさそうに口を手で押さえた。けれどその発言は、陸にとってとても満足いくものだった。


(ふふん、おじさん、やっぱりネクタイを締めていてよかったよ)


 田沼が見ている分部が、身長や体格も含んでいることについては考えないことにする。陸だって、きっとこれから大きくなるはずだ。


「そうだ、うちの学校は部活が少ないのだけれど、非運動系でいうと将棋部がおすすめだよ。僕が顧問なんだけど、どう?」

「いえ、伯父の家に世話になっているので、今は部活を考えられないんです」

「そうか。そういえば道場だったねぇ」


 君も何か特訓させられそうだね、なんて田沼は話しのキャッチボールを続けるみたいに言って笑った。


(それは僕の、全体的な小ささからそう言っているのでしょうか?)


 ――なんて思いつつ、陸は愛想笑いを浮かべて速やかに退出した。


 その手の話題は陸には地雷だ。道場で今後学んだり鍛えたりする予定があるのかどうか、といった突っ込んだ話題はされたくない。


(言い訳を考えるのは、苦手)


 田沼とはしばらく話し込んでしまっていたみたいだ。


 教室まであと数歩の距離で予鈴が鳴った。あ、しまった、なんて思って急かされる思いで教室を覗き込むと、誰もいない。


 うわー、なんて思ったのも一瞬だった。


「あれ?」


 黒板に、目立つ大きな走り書きがあった。


【リク君へ、男子は図書室で自習です。穴井できなくてごめんね! 地図は左を見て!】


 文章の左側には、落書きのような地図が書かれている。陸が知っている学校では見慣れない風景た。


「なんだか嬉しいかも」


 小学校であったよね、なんて頷いたところで胸が早急に落ち着いた。


「……僕はなんて失礼なことを。みんな、高校生じゃん」


 少し、震えてしまった。


 とにもかくにも図書室へ行こう。陸は自習用に筆記用具とノートも持つことにした。読書するだけなら必要ないけれど、以前まで通っていた高校の習慣というのはなかなか抜けない。


 そのまま教室から出ようとした直前、吹き込んだ風につられて立ち止まった。


 教室の窓は全開のままだった。少し前、両親と暮らしていた大都会の進学校では考えられない光景だ。


「今の時期に冷房をつけていないのも、またいい感じだよね」


 海のいい香りがする、と思いながら陸は動きだす。教室を出る直前、黒板の字を消してあげることも忘れなかった。


 だが図書室へ向かって間もなく、通路をわざとらしく塞ぐみたいな横一列で並んで待ち構えている三人の男子生徒を見つけて、陸は顔を顰めた。


 一人は朝に『松本』と自己紹介したクラスメイトだ。


 他の二人の男子生徒の顔は知らない。隣のクラスか、体格もまぁまぁいいので上の学年だろうか。


「こいつが転入生か」


 短い金髪の少年が気づき、調子よく歩み寄ってきた。向かってくるもう一人も、短い袖から立派な筋肉が覗いている。


(うん、上級生だな)


 そんなことより陸は、似合わなすぎる金髪に大注目してしまう。無理やり脱色したみたいない色だ。


(……というかここも、金髪生徒なんているんだなぁ)


「おい、こいつびびって動かないぞ」


 その声に陸はハッと我に返った。やはり『松本』より背が高い二人の金髪男子生徒が、いつの間にか目の前に立ってしげしげと小さな陸を観察している。


 そもそも、本鈴がそろそろならないだろうか。


 自習なので比較的ゆるいだろうなと、先程呑気に話しを続けて引き留めた担任教師を思い返せばなんとなく推測はつくものの、そわそわしてくる。


「えっと、こんにちは。どちら様ですか?」

「どちら様ですか、だってよ」

「お前こそどこの坊ちゃんだよ。なぁ、海斗?」


 二人目の金髪が振り返る。そこにいて様子を見ていた『松本』が、面白がるような悪い笑みを浮かべた。


 陸は、彼の名が『海斗』であるらしい頭に入れ、正面にいる上級生たちを見上げた。


 面倒事は避けたい。ここで教師でも出てきてくれれば非常に有り難いのだが。


「えーと……それで、何か用ですか? 僕はこれから図書室へ行くのですが」


 陸は片腕でノートを抱え直し、右手の仕草を交えて低姿勢で尋ねた。


「新米が入ってきたっていうから、どんな奴なのかと思ってよ」

「はぁ……僕は見ての通り至って普通の学生ですが…」

「お前、俺らのパシリになるか?」


 ツンツンしている方の金髪頭がにやにやと見下ろしてきた。


(すごい。暴力と脅しからじゃなくて、にこやかに聞いてきた。実のところいい人なんじゃないの? ほんわかする――じゃなくって)


 陸は心の中で一度、頭を振った。


「すみません。僕はパシリになるために転入してきたわけじゃないんで……」

「どうせ、前の学校でも苛められて来た口なんだろ? 自慢じゃないけどうちの学校、転入生なんて滅多に来ないもん」


 もんって言った、可愛い。


「海斗が、パシリになってくれそうなのが転入してきたって言ってたから」


 金髪コンビが、揃ってやや後ろを指差す。


 陸は『ええぇ』と思って海斗を見やった。彼が朝から観察し続けていたのは、まさかそんなふうに推測していたのだろうか。


「あの、僕は苛められてないんだけど」


 むしろ苛めているのを見て〝ぷつんと切れ〟て、他校の不良たちを『二度とうちの精とに手出すなよ』と約束させ一人残らず泣かしてしまったことなら、ある。


「苛められっ子は、みんな同じことを言うもんさ」

「はぁ……」


 地元から出たことないのなら彼が見た例は少ないのでは、なんて思ってしまう。


 陸は誤解を解こうとした。けれど本鈴が鳴り響いてハッと思い出した。目の前に立ち塞がっている先輩たちの間を、慌てて通り抜ける。


「すみませんっ、僕遅刻したくないんで! 僕、ほらっ、真面目な優等生だし!」

「優等生が優等生って言うもんなのかな……」


 金髪の一人が首を捻っていた。もう一人が「遅刻くらい放っとけって」と言って、焦って負い、陸の型を大きな手で掴む。


(確か図書室はここを真っすぐ進んでの……)


 と、頭の中で黒板描かれていた地図を『きちんと活用してあげないとね!』と思い返しながら小走りで進んでいた陸は、先輩の手にまったく気づかなかった。


「ちょっ、待てって――うわっ」


 陸の細い肩にそのままグンッと引きずられ、「うわぁ」と情けない声を上げる。


「一郎!」


 慌てたようにもう一人の金髪が後ろから彼の腹に両腕を回して踏ん張ったが、陸にどんどん引きずられていく。


 海斗が、体格の立派な少年二人と陸が通り過ぎていくのを、茫然と見送る。


「ってそうじゃない! 待て!」

「だから待たないですってば。もう完全に遅刻だよ……はぁ」

「じゃなくって、先輩たちを置いてけ!」

「――ん?」


 陸はようやく立ち止まった。振り返り、「あら」なんて可愛らしい声をもらしてしまう。


 肩から手を離すタイングを忘れていた金髪が、緊張が解けたみたいにべしゃっと床に崩れ落ちた。彼の腹を抱えていたもう一人の金髪も、体重につられて彼の上にどごっと頭突きをくらわし、「一郎すまんんんんっ」なんてくぐもった声を上げる。


「……えーと、すみません。気付かなくて」

「気付かない!? なぜ!」

「俺結構悲鳴上げてたよ!?」

「集中すると聞こえなくなるアレです」


 陸は適当に答えた。だって、気付かなかったのは気付かなかったのだもの、仕方ないじゃないと、狼狽えつつ思う。


「ごめんなさい、とにかく僕、行きますから」


 急いでいるんでと慌ててつけ足し、陸はその場を後にした。転入初日から授業に遅刻した転入生、といわれて注目を浴びるのが嫌だったのだ。


 慌てたように去っていく陸の後ろ姿を、二人の上級生と海斗が、いまだ事態を飲み込めない表情で見送っていた。

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