第4話

 教科書などはすべて学校に届いているということで、陸は新しいノートや筆記用具などが入ったリュックを背負って家を出た。


 港町中学は、広い敷地に大きな体育館なども備えて立派だった。立て替えたため近代的で、広さを活かした造りは都会でも羨ましがられそうだ。


 とはいえ、建物のこじんまりとした感じがこの学校に通う生徒の少なさを陸に分からせた。


(お~、後者も人がごったがえさなさそうで、いいっ)


 ――陸には、好印象だった。


 後者に上がってみると、靴箱を無くして外国式に土足での出入りだということも陸は気に入った。


 既にホームルームが始まった時間のためか、廊下に生徒の姿はなかった。


 建物は三階建て。開けた正面入り口から上がって左に進むと、これまた新しいガラス窓や扉を持った職員室がある。


 そこを訪ねると、編入の説明でノボルと共に校長や学年主任と共に座っていた、担任教師が出てきた。


「前日はよく眠れたかな? お父さん、ああおじさんと来なくて平気だった?」

「先生、僕は高校生です」


 来たら来たで暑苦しいことになるので、勘弁したい。


 ノボルは道場のアピールをするのだ。町に来て期間が浅い田沼には〝ぜひともその体幹までひょろっちぃのを改善しないか!?〟と、またうるさ――いや、無駄に大きな声――ではなく、情熱的な姿勢で誘うに決まってる。


 田沼は、ひょろっとした長身の若い男だった。出身は隣町だ。


 色白で細く、丸い眼鏡の奥にある垂れた瞳は、優しげで声もやや高い。いかにも平凡、陸はそう受けた第一印象が好感触だった。


(平穏な学生生活のいい兆しが見える気がする!)


 そんな失礼なことを考えられているなど露とも知らず、田沼は「うん、よかった、顔色もよさそうだ」と親切心全開で頷く。


「僕は君の担任だ。何かあればなんでも相談してね。五月から急に学校が変わって、君も心細いだろう」


 心細いというより、浮かないかは少々心配だ。


「大丈夫です。田沼先生も、――それから先生方もこれかよろしくお願いします」


 陸は彼の向こうに見える職員室の、教師の席の少なさに内心またしても『見慣れない光景だなぁ』なんて思いつつ、頭を下げる。


 中に待機していた数人の大人たちが、少しの驚きと、それから嬉しそうに「こらこそ」と声をかけてきた。それを見届けて陸は、田沼のあとに続いて歩きだす。


「あの道場の、血縁、なのよね?」

「全然そうは見えないわねぇ」

「迷惑をかけないなら大歓迎だ」


 職員室から自由な会話が聞こえてきた。何やら体育会系っぽい教師が力強く頷いているのだが、いたいノボルがどんな迷惑をかけているのか気になった。


(まぁ……とにかく僕は力の加減に気をつけよう)


「緊張してない? 平気? リラックスしてね」


 黙っていたのをそう取られたようだ。


「はい、先生のおかげでリラックスできそうです」


 ひとまず陸はそう答えておいた。


 校舎はどこもかも白かった。さすがはほぼ新築だ。少し進むと階段があり、田沼はそこを折れて左へと入って行った。


 教室の数は三つしかない。手前の一つは、空き部屋でがらんとしていた。


「放課後に部活で使っているんだ」


 陸が目で追いかけたのに気付いて、田沼がほんわかとした声でそう言った。一年生たちの教室は、奥の二つが埋まっている。


【一年二組】


 そう書かれている扉の上を眺めつつ、陸はその扉を開けた田沼に「どうぞ」と促され、おずおずと足を進める。


 生徒は男女合わせて十四人。教えられていた通り、少ない。


 直前まであったお喋りは止まり、陸が黒板の中央まで歩いていくのを、男子生徒も女子生徒も興味津々と眺めていく。


(どこにでもあるような広さの教室だけど、机と椅子が少なくて開放感があるなぁ)


 意外だったのは、シャツをズボンに入れている男子生徒はいなかったこと。


 ノボルが言っていた通り、ネクタイの存在は教室から綺麗さっぱり消えていた。つい『制服の意味』なんて思ってしまうけれど、何か行事があればネクタイまでぴしっとするんだろうな、と陸は思った。


 そんな思案をしていないと逃げ出したいくらい、教壇に立つまでの静寂が居心地悪い。


(目立つのは嫌いなのに……みんなが僕を見てる……)


 今だけだ、挨拶を済ませたらこの場所からは解放される。


 頭の中で呟いて足を止めて、かなり嫌ながらクラスメイトたちと向き合う。


「前に伝えていたと思うけど、今日からこの学校に通う寅々炉陸君です。みんな、今日から仲良くしてあげてね」


 分からないことがあったら教えてあげるように、と田沼はにこやかに続ける。


 手前の一列を埋めている女子生徒も、男子生徒たちも「はーい」なんて愛想よく言ってくれたが、陸は愛想笑いに失敗した。


「あの、よろしく……」


 軽く手を上げて応えたものの、口元がぎこちなく引きつる。


 どうやら生徒たちの席順は自由のようだ。男子も女子も配置に法則性がない。そこに陸は戸惑いつつ、一番後ろに一つだけ離れた席に先程から目が引かれて困った。


 そこには赤いTシャツに、制服の白いシャツをジャケットみたいに着ている、いかにも不良っぽい男子生徒が座っていた。


(うわぁ……若干神風赤いけど太陽焼け……ということでいいのかな。というか一人だけ席離すのもオーケーなの?)


 どうやら彼は後ろのロッカーに荷物を置いているらしい。じろじろと鋭い目で陸を見ていたが、思わずガン見してしまったらロッカーから雑誌を取り出し、読みだしてしまった。


(なんて、自由)


 ではなく、誰も気にならないのだろうか。


 陸は笑顔を必死にたもっていた。仲が良い生徒同士が隣合わせのためか、田沼が「家族の事情で引っ越しを」と紹介し始めると、生徒たちの会話が絶えない。


(――僕にはっ、その不良がぼっちに見えて仕方がないんですがっ)


 ツッコミたい。非常に、言いたい。


 とはいえ怖がられているからあの構図になっているかもしれないし、『生徒の自由も同時に尊重して学びやすい環境に』という感じのことがパンフレットに書かれてあったので、これがこの学校では普通の光景かもしれないし……。


 不良がいるのも珍しいくらいだとノボルも言っていた。


 力が知られてしまうような事柄からは徹底して距離を置きたいのだが、陸の知っている不良よりは全然害がないようにも思える。


 田沼が一通り生徒たちに自己紹介をしてもらっていたが、頭には入ってこなかった。雑誌を広げた不良っぽい少年が、その拍子に陸へと視線を戻し、またしてもずっと睨みつけるみたいに観察していたせいでもある。


(……どうしてこっちを見てくるのかなぁ)


 陸は、面倒事が起きないように気を引き締めようと心の中で呟いた。


「俺は、松本(まつもと)だ」


 その赤っぽい髪の不良少年は、そうとだけ言った。


 どうやら他の生徒たちからは好印象で迎えられたようで、陸は一番後ろの窓側に置かれた席に腰を降ろすまでの間「あそこが席だよ!」「俺たちが運んできたんだ」「新品だぜ」なんて、声をかけられることになる。


「これから馴染んでいけるから、大丈夫だよ」


 彼は何がなんでも『緊張している』と思いたいのか、田沼はにっこりと笑いかけてきた。


(僕が若干挙動不審になっている原因の方を、何か言って欲しいですけどね)


 着席した陸は、リュックをそろりそろりと横に下ろしながら思う。少し離れた後ろの席から、例の少年の強い視線を感じ続けていた。


 すると、担任よりも心強い奴が一人発覚した。前の席にいた、ほとんど丸坊主に近い少年が振り返って励ます。


「心配すんなって。あいつ、ちょっと人見知りしてるだけだからさ」

「はぁ、人見知り……」


 人見知り扱いされちゃってるけど、いいの君、と陸は背中に感じる視線の主に言いたくなった。


 なんともゆるい気がした。全体的に、こう、担任を筆頭にふわふわしている。


『のんびり過ごすのが好きなら、絶対おすすめだから! な!?』


 ――なんてノボルに『うちにこい!』という説得で推されていた内容の一つが脳裏に蘇ってきた。


 まさか授業も、なんて推測したらあたっていた。


 一時間目は担任の田沼が受け持っている数学だったのだが、時間内にノートに書き留めて、という緊張感とは無縁だった。

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