第3話
◆◆◆
寅々炉家の墓がある本家の実家であり、ノボルの住んでいる地域は田舎だ。
かといっても畑ばかりが広がっているというわけではない。
大きな映画館やショッピングセンターがないだけで、中心街には立派な町が広がっている。近年でレストランやジム、岩盤浴やプールを備えたセンターができ、道もきれいに舗装されていた。
土地が十分にあるから、広場や公園も充実している。
高台には誰でも使える展望台公園と呼ばれている場所もあった。
高層ビルがないだけ非常に見晴らしがよく、住みやすい場所だといってもいい。
そこから少し離れると、ようやく畑が続く。とはいえ年に数回祭り会場になる球技場や神社があり、人通りがなくなることはなかった。
町から少し離れているということもあって、ノボル宅の近辺となると民家がぐっと少ないだけだ。
畑を持っている人や昔ながらの古い一軒家は、たいていこのへんに建てられている。
ノボルのところは、昔から道場であることが知られていて、一見すると古風な感じは屋根の向こうに見える山の傾斜の神社と、いい感じで風景がマッチしている。それを見ると陸は、なんだか田舎の新鮮な空気に心が洗われる気持ちだ。
引っ越した際に陸は、日を分けてノボルに土地を案内された。
この地域には、少人数の古い小学校と繋がった中学校、そして数年前に立て直された高校がある。
高校は広い敷地を活かし、豪華な運動場といった具合に隣には市立の運動公園があった。
「それぞれの学校は町を挟んで右の山と、左の山の手前だ。そこからしばらく下って行けば町だから、道に迷うことはあるまい」
ノボルは自信たっぷりに言った。
それぞれの学校から車で数十分の場所には、港と特産物販売店もあった。そこにあるフェリーで少し離れた小島にいくことができるので、観光客も多い。
陸が以前まで住んでいたところと違うのは、住民数だ。
とくに、若い人が少ない。
小学校も中学校も、ノボルから話しを聞くに、生徒の数は平均よりも半分以下だ。港に近いことから、みんなは『港町』なんて名前で学校を呼んでいるのだとか。
陸が通うことになるのは、つまるところ『港町高校』になる。
山岳が囲むようにして港を持った小さな町。隣の市もまた子供の数が少なくて、寮に住んで通っている少数の生徒もいるそうだ。
そしてほとんどの若者は、進学や就職先を考えて中学か高校の卒業のタイミングで引っ越していってしまうらしい。
「まぁ、それで習い事とし通ってくれる少年はいないな。学生は、隣町の専門学校から大学生が何人か――まっ、ここはパチンコもゲームセンターもないし治安はいいぞ。これでお前が〝お人好し〟を発揮してしまうこともないだろう」
「ふうん」
ノボルは自慢げな言いっぷりだった。その内容は、彼が陸の両親に押しに押していた『自分のところに預けるのがもっともいいぞ!』で、熱く語っていた理由の一つだ。
(そんなに跡取りとして欲しがられてもなぁ……)
そもそも今回、三者の思惑が見事にズレているといっていい。
陸は、地元の高校から遠くに離れたい。ノボルは、陸に挑むチャンスを得て跡取りにしたい。そして親族たちは、ノボルが独り身をやめてくれることを期待している。
ノボルは、性格的にもみんなに心配されていた。
「事件なんてもんは、ほぼないと言ってもいい。小さな交番も一つあるが、ほとんどお年寄りの話しの場になっている。だから、お前にもいいだろう」
「そっか」
事件がなければないほど、陸は力を使わずに済む。
ここがとても静かな場所であることは、陸も、聞き慣れた騒音が一つも聞こえない夜に実感していた。
(虫の声と、木々の葉が泳ぐ音と、風の通り道の声――)
たまに両親と自然の空気を満喫しに行ったものだが、その雑踏のない心地よさは、陸は好きだった。
それが、今や自分の生活になろうとしている。
すぐそこには海、後ろには山。不便も多い地方での高校生活について、陸は少なからずワクワクした気持ちもあった。
学校だけが、ネックだけれど。
騒がれず、一人でのんびりといたい。あまり集団生活は得意ではないのだ。
――そして、いつも通り伯父との勝負が道場で繰り広げられたその日。
陸は、とうとう港町高校の登校日を迎えた。
制服を作りに行って以来ぶりに、その新しい夏用の制服に袖を通す。
「まずは、第一印象が大事だよね」
古い壁掛け鏡の中を見つめながら、陸はネクタイをしめた。
少しくすんだ鏡の中には、黒髪黒眼の真面目そうな男子生徒が映っている。半袖の白いシャツには校章も何も入っておらず地味だが、それがまた陸はいいと思った。
薄い印象の藍色で統一されたインパクトのないネクタイも、ズボンも、自分を平凡な少年に見せてくれている気がする。
「そうかぁ? お前、自分の顔をもう一度、じっくり鏡で見てみろ」
独り言として口から出ていたらしい。
「どういう意味?」
訝って顰め面を向けると、開けた戸の向こうにある二階の細い廊下に、窮屈そうに立っていたノボルが渋い顔をする。
「我が一族はな、代々がこうだ」
ノボルが、再確認するみたいに自分を指差す。
陸はネクタイから手を離しつつ、ますます『はあ?』みたいな顔をする。するとノボルは、熱でもこもったみたいな声で続けた。
「だがお前の親父、つまりは俺の弟は、遺伝子変異した」
「ちょっと、僕の父さんをそんな言い方しないでくれる? 遺伝子がそうほいほい変異してたまるか」
「本当のことだ。見て見ろ、お前のこの細い腕! 首も肩も、ちっさ!」
「『ちっさ』て、おじさんはもう少し勉強した方がいいよ」
「それからな、お前はほんと若い頃のシノちゃんそっくりだ! 彼女はな、俺たちの下の学年で小中と、そりゃあモテにモテた都会っ子の社長令じょ――」
「人の数が少なかったからでしょ、母さんそう言ってたよ」
陸は気にして、鏡でもう一度ネクタイの位置を確認する。
ノボルが「ぐおぉおっ」と野太い声で、余計に煩い声を出した。頭を両手でかいた彼の足元が何度か床を踏みしめて、ぎしぎしと音が鳴っている。
「お前に鏡を見せてやりたいっ」
「もう見てるけど」
「見てるのになぜ分からん!?」
あまりにも伯父が暑苦し――うるさ――いや、騒いでいるので、陸は『いちおう聞くよ言ってみて』という表情でじっと見つめ返した。
「ほれっ、俺の顔のパーツと、いや全部色々と違いすぎるたろう!」
「僕もこれから成長するんだから、そうなったら同じだよ」
「お前、自分の父が俺と違ってスーツがバチッと似合う男なのを忘れたのか……それから、あれだ、シノちゃんの兄弟も見ているだろう。あいつら年齢不詳のバケモンだぞ」
げんなりとノボルが肩を落とし、遠い目で床を見てそう締めた。
「大切な親戚をそう言うのはだめだって、母さんが言ってたよ」
母の名前を出すと、ノボルは「ぐ、ぅ」と唇を噛んで残念な顔になる。
いつもこうだ。中学まではここで一緒に過ごしていたという母は『素敵なゴリラよね』と、親戚の中で一番ノボルを気に入っていてよく褒めもする。だが陸は、その感想がいまだよく分からない。
「似合うかな」
落ち込んでいる伯父を励ますべく、くるりと一周してみた。
「おう、なかなか似合っているな。このへんだときっちりと着る学生は見慣れないが。そもそもネクタイはしないでいいんだぞ陸、ほとんどの奴が使わん」
「しないのはしないでちょっと居心地が……」
「まぁ前の親父もきちっとしてるものな。まぁ、いいさ。あとは見栄を張って大きめのサイズを選んだんだから、早く成長するといいけどな」
鞄を背負って部屋の外に出た陸の、腕をほとんど隠しそうになっている大きな白い袖を、ノボルが指でつんっと弾く。
「高校一年生らしいと言えば、らしいが」
チビなのは自覚がある。陸は、きゅっと唇を閉じた。
「あっ、すまん……」
「待って、本気で後悔するのやめて余計傷つくから」
ノボルが顔を上げて大きく視線を逃がし「おっほん」と咳払いをする。
「大丈夫だ。お前の親父も、高校二年あたりから伸び始めたよ」
ほんとかな、と陸はノボルを疑った。彼の場合は嘘が下手すぎるし、目を合わせていないところがあやしすぎる。
父の部下たちが陸を見た時『相変わらず華奢』なんて言うのは、よく耳にしていた。
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