第2話

「ふ、ふふふ、さすがは俺が見込んだ跡取りだ」

「だから、跡取りにはならないって。おじさんはさ、人の話しを聞いて、そして理解するという技も習得した方がいよ。人間として何か欠けているから」


 大学生たちが『うわー』という顔をした。


「これは、きつい」

「ストライクにいった」

「あの子すごく礼儀正しいのに、可愛い顔して自分のおじにだけ厳しいところあるよな………」


 そんな声は聞こえているのかいないのか。腹を押さえつつよろりと立ち上がったノボルか、じっと陸を見つめた。


「……なぁ陸や」

「何?」

「難しいことを言われてもよく分からんぞ」


 うん、そういう人だよね。分かってた。


 陸は口元がひくついた。けれど――物事を純粋に受け止めるのは、彼のいいところでもあった。


 彼が全部受け入れて、笑顔で賑やかすぎるくらい熱意たっぷりにいつも全肯定してくれたから――幼い頃、陸は自分が変だと悩まずに済んだ。


「ふぅ……あのね、おじさん。そもそも僕は、好きでこんな力持っているわけじゃないんだよ」


 溜息まじりに本心を口にした。


 深く考えない、つまるところ社交辞令も大の苦手なノボルは、陸にとって、悩みを素直に吐き出せる貴重な相手でもあった。


 陸が、高校は別の土地で通うことになったのも、この力が原因だ。

 下校途中、クラスメイトの男子生徒たちと歩いていると、制御のきかなくなった車が突っ込んできた。


 その時、陸は反射的に身体が動いていた。


 ――守らないと。


 そうして気付いたら、陸は反射的に片手で車を止めたうえで、道路に押し戻していた。


 中学三年生の卒業式前のタイミングだった。陸はその出来事で、一躍有名人になってしまったのだ。


 実家が道場だとみんな知っていたから『すごい護身術』で納得したみたいだ。親戚たちが都会で経営している格闘教室に注目が集まり、高校デビューを控えた子たちの見学希望者も増えたとか。


『通う人が増えるのは嬉しいがな』

『でもまぁ、……陸は嫌だろうなぁ』


 親族たちは『強いことを褒められ尊敬されることの何が嫌なのだろう』と首を捻りつつ、陸の噂を小さくすることを手助けした。


 だが、高校で陸はとても落ち着かない日々に疲弊しきった。


 そしてとうとう、父に初めて弱音をもらした。もしカッとなって校舎の何かを壊してしまったらどうしよう、とストレスの一環で涙が出そうになった陸を見て、母は決断する。


『あなた、あなたの暑苦し――いえ、素敵な親戚方をできるだけ呼んで、集めてくださいな』

『え……あ、うん』


 そこに一番の遠方から駆けつけたのが、ノボルだ。


 陸は彼に『うちへ来い』『田舎だから関わる人数も少ないぞ~』と言われ、ノボルの提案に乗る形で一人、ここに引っ越してきたのである。


「おじさん、僕が勝ったんだから、今のところは諦めてね」

「くっ」


 床に座り込んでいたノボルが、今になって思い出したみたいに「くっそぉ」と言って、乱れた短髪をがしがしとかく。


「ハッ、待てよ――まだ時間はある! もう一本だ!」


 寝巻で引きずられてきていた陸は、わざとらしく目を回して見せた。


(父さん、こんなんで彼が結婚に意識が向くとは絶対思えないよ……)


 ノボルは大きな道場に連なる一軒家に一人暮らしだ。陸を迎え入れたことによって、少しでも家族が欲しいと思ってくれたらいいと、陸の両親も親族たちも『良い機会だ』と納得していた。


 必ず結婚しないといけないとか、陸にはよく分からない感覚だった。


 幸せと感じるのは本人の自由だ。結婚したい相手ができればすればいいと思う。結婚したくないのなら、今でも楽しそうだしいいのでは……とはいえノボルが結婚したら、道場を継がずに済むのは確かだった。


 そう思ったら陸も、両親や親戚たちが色々と言っているそばで、意図して黙っているのだった。


「なんだ、可愛い顔で溜息なんかついて。お前の顔はシノちゃんそっくりなんだから、おじさん罪悪感がさすがにわくだろう」

「わーお、そこでしかわかない罪悪感なんだね。さすがおじさんだ」


 しかもそっくりと言っているのは、おじさんだけだからね、なんて反論を陸は心の中で続けた


 片付けを始めていた大学生たちが「え」「きつっ」と言って、振り返る。


 だがノボルは平然と太い腕を組んでいた。


「よしもう一本だ!」

「あのね、おじさん。これから僕は朝食を作って学校にも行かなくちゃならないの。登校初日なの忘れたの? 遅刻なんて、僕は絶対に嫌だからね」

「む、そうだったな。……分かった、それなら俺が筋肉にいい特製の料理をっ!」

「僕が作るから朝風呂にでもどうぞ」


 陸はさっと背を向けると、伯父の言葉を遮って一直線に道場を走り出た。


 ノボルは長いこと一人で住んでいるのだが、料理の腕はまったくだめだった。米が美味しく炊けるのは上出来だけれど。


 いまだ見慣れないキッチンへ向かうと、こじんまりと古風な風景があった。


 炊飯器はいつも通り、早朝訓練が終わる頃には炊き上がるようセットされていた。炊き上がりの音と共に、ふんわりと美味しそうな白米のいい匂いが陸の鼻にも香ってくる。


「さて、どうしようか」


 まずは古い大型の冷蔵庫を開ける。引っ越し初日とは違い、中にはきちんと食材がきちんとぎっしり詰まっていた。初めて陸がその冷蔵庫を開けた時は、ビールと梅干しと豆腐のパックと魚しかなくて、驚いたものだ。


 家で母から料理を教わっていたから、陸は料理の腕はあった。


 何よりそれが、母からの愛情深くさりげない〝力加減〟の始まりだったから。


 もともと、何事にも習得が早い器用な性格だ。


 中学の授業であった裁縫も何度かの受講で得意分野になっていて、昨日はそれでノボルのほつれた道着を縫い直した。


(三食が偏らないように――と)


 頭の中でメニューを立てながら冷蔵庫から食品を取り出していく。食材を切り始める前に、味噌汁を作る鍋でダシを取ることも忘れない。


 健康は、まずバランスの取れた食事から。


 そんな母の教えを、陸は両親のもとから初めて離れたノボル宅でも、しっかりと守っていた。

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