第7話 英雄の旅立ち

 大地震は、各地に深い傷跡を残しました。

 パナス軍が滞在していた兵舎は、最初の揺れでぺしゃんこに潰れてしまったそうで、彼らもまた翠の騎士によって命が助かったのでした。

 

 生活に必要なものを全部ひとまとめに持ち歩いていたパナス王国の復興は、他国より、圧倒的に速やかでした。

 しかもさらに幸運なことに、沖へ流した船が、戻ってきていたのです。

 係留したままならば、間違いなく岸にたたきつけられて壊れていた漁船は、沖へ離れていたことで、押し寄せた大波と一緒に港へ帰ってきたのです。まるで飼い主を忘れない忠犬のようだと皆で喜びました。

 

 さて、翠の騎士がどうなったかと言えば、彼は罪人として城の牢に捕らえられていました。しかし、復興に励む街の人たちを見て回り、元気づけるという役割も与えられていました。

 王様にしてみれば国家転覆を謀った罪人でしたが、パナスの民にとっては英雄だったのです。


 アンは今回の一件を、どう受け止めればよいのか分かりませんでした。

 起こったことだけを見れば、翠の騎士がまるでパナス王国を救ったかのようなできごとです。

 しかし、あの夜の男の何もかもを諦めたような表情や、まっくらな穴のように光の無い目が、お芝居だったとも思えません。


 戸惑う気持ちごと、王子は優しくアンを抱きしめてくれました。

 この腕の中では、もう何の心配も無いことにアンは心の底から安らぎました。

 そうしてやがて、自分の中に新しい命の芽吹きを感じた時に、アンの心は静かに、しかし確かに定まったのです。

 

 街がすっかり元の賑わいを取り戻した頃、ようやく翠の騎士の裁きが行われました。

 夫に手をひかれ、目立ち始めたお腹に手を添えて正面に立ったアンを、騎士はまぶしそうに見上げます。

 そしてもう何の思い残しも無い、まっしろで、まっさらな、笑顔をうかべました。


「あなたを英雄として、この国から追放します」

 アンの言葉の意味をはかりかねて、騎士は眉をひそめました。

「願わずとも、己が選んだ道で、一国が救えるのだとしたら、あなたは英雄として生きる星の下に生まれたのです」


「ですから、パナスを救った英雄として旅立ちなさい。まだ戦と天災の傷が癒えぬ諸国を巡り、民の助けとなるのです」

 アンは続けて命じました。

「そしていつか、この子に仕えさせるため、あなたの子をパナスにおくりなさい」

「アン様、それは……あんまりです」

 丸い腹に添えられたアンの手を凝視して、男はうめきましたが、姫の声は少しも淀みません。

「愛する人を見つけて、子をなして、手本になる良い父になって。あなたの子が、いつかパナスへ帰ること。ここまでが、こたびの騒ぎの始末のつけ方です」

 

 愛する女性からの残酷な宣告に、翠の騎士は髪をかきむしります。

「ひどいひとだ」

「許さないと、言ったはずですよ」

 言葉とうらはらに、アンは慈愛に満ちた瞳で男を見つめました。


 騎士は観念したように居住まいを正します。 

「この罪を背負い、命尽きるまで人々の助けになることを誓います。もう一つの方は……生涯、努力いたします」

「今はそれで構いません。でも、いつか必ずその日がくることを、私は信じていますから」

 騎士がついに諦めたように苦笑したのを見て、アンは彼の旅路に祝福があるようにと心から祈りました。



 英雄の出立を、パナスの民は総出で見送りました。

 海から温かい風が吹いてきて、騎士の背中を押してくれているようです。

 アンは群衆の先頭で、いつまでも大きく手を振っていました。


「愛しい姫様、さようなら」

 騎士は口の中だけで囁いて、その後はもういっぺんも振り返らずに旅立っていきました。

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さらば愛しき姫よ、英雄は旅立つ 竹部 月子 @tukiko-t

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