第6話 明けない夜はないけれど

 アンから話を聞いた王様は、縄をかけられている騎士を険しい瞳で見つめました。

「私の愚かな選択で、皆の財産を失ってしまいました。結婚指輪まで……差し出してくれたのに」

 涙に声を震わせるアンの肩を、王がさすります。

「心配ない。ワシらが慌てて戻ったのは、古物商が知らせに来てくれたからなんじゃ」

 

 山脈を越えた古物商はすぐに、騎士の報告が嘘で、ディオモルト王国が戦に勝ったことを知りました。

 しかし、騙される方が悪いというのが旅商人たちの常識。真実を確かめずに金品を託した姫が愚か者で、全てを失ったとしても文句を言う筋合いはないのです。


 それでも古物商は滞在していたパナスと、そこでお日様のように微笑んでいたアン姫が好きでした。だから、パナスから引いてきた荷車を、そのままそっくり王様に返してくれたのです。

 何も失われたものは無いと聞いて、アンはもちろん、国中の女たちは喜びました。

 

 婚約者は、王の前にひざをつきました。

「この男は私の部下です。どうか、処罰は私にさせて下さい」

「よかろう、子どもたちを遠ざけなさい」

 すでに闇夜は明けはじめ、子どもたちは風の当たらない塀の影でぐっすり眠っています。


 騎士は人々の輪の中央に引き出されました。

「何か言い残したいことはあるか」  

 王子は剣を抜き放ちました。今度は本物の、人を殺してきた剣です。

「……では、ひとつだけ。斬るところは、アン様にも見せないで下さい」

「彼女には、誰よりも見届ける権利がある」

 王子と騎士が向けた視線の先で、アンは今にも倒れそうな蒼白な顔で兄にしがみついていました。


「子どもに見せるものじゃ、ないのでしょう?」

 少し笑った騎士の声に、無礼者が、と王子は低く吐き捨てました。振り上げた刃が鈍く光ります。

 あとはこの剣が振り下ろされれば、この男の命と物語はポトリと落ちて終わる。その刹那のことです。


 ゴゥ、と地鳴りがしました。

 なんだ? と顔を上げた全員は、すぐさま立っていられないような激しい揺れに襲われます。

 木がグネグネと曲がって見え、砦は重ねた食器のようにガチャガチャ鳴りました。

 一旦揺れが収まった隙に、王は大声で号令します。

「砦から離れろ。頭を低くして、ひらけている場所に集まれ。次が来るぞ」 

 声の途中でさらに強い揺れが襲ってきましたが、すでに子どもたちも、みな広場へ集められています。

 

 二度目の揺れは、さらに長く続きました。

 揺れる、静まる、そしてまた揺れると四度ほど繰り返すうちに、夜明けは少しずつあたりを照らしはじめます。

 民がアッと大声を上げました。

「海が、ふくれてる」

 水平線から高波が押し寄せ、漁師小屋を飲み込みました。

 水は呼吸するように深く引いては、海岸線に続く道をかけあがっていきます。


「家が!」と、悲鳴があがった時、王様は威厳のある落ち着いた声で言いました。

「案ずるな、皆、ここにいる」

 その声に子どもたちもピタリと泣き止みました。


 そうです、ここには戦に出ていた父も、足の弱い祖母も、まだ乳飲み子の妹を抱いた母も、みんなそろっています。

「大事なものも、荷車に積んだままじゃ」

 手放した国中の財産は、馬車の荷台に。そして食べるものと、着るものは全て荷造りしてきたのです。


 やっとあたりが静けさを取り戻した時、誰かが言いました。

「……翠の騎士様が、お助け下さった」

「そうだよ、私たちは騙されたんじゃない。国ごと救われたんだ、翠の騎士様は、英雄だよ!」


 揺れの間も油断なく騎士を抑え込んでいた王子は、驚いて男を起こしました。

 頬に土をつけた騎士は、すっかり変わってしまった海岸線を見下ろして、ふるふると首を横に振り、細い声で言います。

「違います。俺はただ、死んでもいいと思っていただけです」

 だろうな、と婚約者は断じましたが、民たちの興奮は収まりませんでした。


 身勝手な想いで、国中の民を欺いたその行いが、誰一人の命も損なわずに、この災厄を乗り越えさせたのです。

 それは不思議で、まぎれもない奇跡でした。

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