第13話  ファラオ暗殺計画

 レイラはレリーフの授業でバステト神の制作に取り掛かっていた。学校に駆けつけたネジムは、レイラが授業中だったので教室に入るわけにもいかず、窓に両手の肉球と鼻頭を吸盤のようにペタリとくっつけてレイラに熱視線を送り続けた。

(ネジム何の用かしら?)

 レイラは窓の外のネジムが気になって制作に集中できない。

 クラスメイトも窓にへばりつくネジムに気づき、制作どころではなくなった。

 そのうちレイラもいらいらしはじめた。

 ネジムはしばらくの間、おとなしくレイラの授業が終わるのを待っていたが、レイラが石版の削り粉を刷毛で掃いはじめると狩猟本能が疼きだした。

(あのフサフサの毛、たまらんにゃー)

 ネジムは目をまん丸にして、鼻頭がペッタンコになりそうなほど顔を窓に押し付ける。

「ギャアアアー! 化け猫!」

 先生が声を張り上げた。

「みゃアアアー!」

 先生の悲鳴にビックリしたネジムは、窓の隙間から教室の中に飛び込み、作りかけの石像やレリーフの上をピョンピョン跳び回った。

 教室は先生、生徒、ネジムの追いかけっこで上を下への大騒ぎ。

「今日の授業はこれまで!」

 先生は授業を投げだしその日の実習はあっけなくおしまい。

 レイラはネジムを捕獲すると、みんなに申し訳なさそう頭を下げ教室を飛び出した。

「ネジム! まさかタミットに振られた腹いせにあんなことやったの?」

 抱きかかえたネジムを砂地におろし、レイラは両手を腰にあててキッと睨む。

「振られた? ちがうにゃー」

 ネジムは二本足で立ち上がると、両手を左右に広げ“違う”と意思表示する。

「じゃ、なによ」

 レイラは屈んでネジムの目を覗き込む。

「た、大変なことが起こるにゃ」

 ネジムの顔はこれ以上にないほど真剣だ。

「大変なこと?」

 レイラも真顔になる。

「王が暗殺されるにゃ」

 とんでもない言葉が猫の口から飛び出した。

「ジョーダンも休み休みに言いなさい!」

 はじめは悪いジョーダンだと疑っていたレイラも、ネジムの真剣な眼差しと向き合っているうちに、背筋にスッと冷たい物が走るのを感じた。

「ジョーダンじゃないにゃ」

 ネジムは眉根を寄せて見たことがないほど真剣な顔をする。

「じゃ、ちゃんと話して。タミットをデートに誘うって言ってたよね! それがどこをどうしたらそんな話になるの?」

 レイラとネジムはナツメヤシの林の所まで歩いてきて、木陰にチョンと腰を下ろした。

「おいらがタミットをデートに誘いに行ったら、追いかけっこになってしまったにゃ」

 ネジムはことのいきさつを淡々と話し始めた。

「はぁー?」

 いきなりレイラが話の腰を折る。

「まぁ、最後まで聞いてほしいにゃ」

 真剣なネジムの態度は変わらない。

「わかったわ。で?」

 まだ半信半疑のレイラ。

「神殿の中で隠れん坊していると、怪しげなペルシア人と神官がなにやら密談してたから二人の会話を盗み聞きしたにゃ」

 ネジムはあの二人の恐ろしい会話を思い出しながら話し続けた。

「なにを話してたの?」

 レイラはあらためて確認したかった。

「ペルシア人と神官は王の暗殺計画を話していたにゃ」

 正直にネジムは話して聞かせた。

「神官が……まさかそんなことするわけないわ」

 あまりの衝撃発言にレイラはまだ頭も気持ちもついて行けない。

「でもその神官はペルシア人からお金をもらってたし、神官は王のギリシア人親衛隊の2人を買収したって言ってたにゃ。しかも彼らに暗殺を実行させるってにゃ」

 とてもリアルな話がネジムの口から次々と飛び出した。

「なんて恐ろしいことを……」

 さすがのレイラももう真剣に聞かざるおえなくなった。

「近いうちにペルシアがエジプトに攻めてくるってタミットが言ってたにゃ」

 この夢の王国エジプトがペルシャに侵略されようとしていた。

「ペルシアが……」

 ここまでネジムの話を聞いたレイラは、やっとネジムの話を信じた。

「でもどうすればいいの」

 レイラは混乱した。なにをどうしたら良いのかさっぱりわからなかった。

「アキレスを頼るにゃ」

 ネジムは冷静さを失わなかった。さすがリビア山猫だ。

「アキレスさんを……そうだね、それしかあたし達に出来ることはないよね」

 レイラが激しく頷く。

「エジプトを守るにゃ!」

 ネジムが肉球をあげて気合いを入れた。

「すぐにナウクラティスに行きましょう」

 レイラがすぐに立ち上がろうとする。

「アキレスは首都サイスにいるにゃ」

 ネジムがノラ猫ネットワークから入手したアキレス情報を伝えた。

「サイスに?」

 レイラが繰り返した。

 サイスと言えば首都、つまりファラオがいる町。そこにアキレスがいるのだ。

「ギリシア傭兵団は王の命令で全員サイスに集められているらしいにゃ」

 どこから集めた情報なのか、ネジムの情報は極めて正確な物ばかりだ。

「サイスに急ぎましょう!」

 アキレスにまた会えると思うだけで、レイラの胸は高鳴った。

「にゃー!」

 風雲急を告げる中、レイラとネジムは両親に相談することなく黙ってサイスに向かった。

 その頃タミットは大神官アメンナクテにペルシアの陰謀と神官パネブの裏切りを知らせるべく、バステト神殿の聖なる光の礼拝堂で大神官と会っていた。

「大神官お話があります」

 祭壇に飛び乗ったタミットが、祈るアメンナクテに話しかける。

「タミット様、いかがなされました」

 アメンナクテは顔を上げ、跪いたまま祭壇のタミットを見上げた。

 祈祷の最中に話しかけられることなどあり得ないことだが、それだけ差し迫った事情があるのだと察した。

「神官パネブはペルシアのスパイに通じています」

 恐るべきことをタミットが告げた。

「タミット様、それはいったいどういうことでしょうか?」

 あまりの衝撃発言にパネブは信じられないといった感じで両目を瞬くばかり。

「この神殿の中で神官パネブとペルシア人が取り引きしているのを目撃しました」

 タミットがより具体的に状況を説明始めた。

「な、なんですと!」

 やっと事の重大さに気づいたのか大神官がガバッと上体を起こした。

「彼らはギリシア傭兵に王を暗殺させると言っていました」

「どうしてそんな恐ろしい事を」

「エジプトをペルシアが侵略するためです」

「暗殺を阻止しなければ」

 大神官アメンナクテはスッと立ち上がり、肩と唇を震わせた。

「暗殺がいつ、どこで実行されるのかわからないのです」

 タミットが不安げに言う。

「ならばパネブを捕らえて吐かせるまでです」

 大神官アメンナクテは下唇を噛みながら拳を固く握り締めた。

「すぐに神殿警察にパネブを捕らえるよう指示をお願いします」

 タミットは事を急いだ。早くしないとファラオが暗殺されてしまう。

 もし暗殺されれば、その混乱に乗じてペルシアのカンビュセスが襲いかかってくるに違いない。

「わかりました」

 大神官も事の重大さを十分理解していた。

「あたしはネジムからの連絡をここで待ちます」

 タミットは立ち去ろうとした。

「ネジム? と言いますと」

 大神官が不審そうに訊きかえしてきた。

「あたしの友です。今、アキレスというギリシア人傭兵に、この陰謀を阻止してもらうべくサイスに向かっているところです」

 タミットは信頼できる大神官だからこそ打ち明けておくべきだと思った。

「アキレス?」

 またも大神官は確認するかのように訊きかえした。

「はい、ネジムはアキレスしかこの陰謀を食い止めることはできないと言っていました」

 タミットはアキレスに会ったことはないけれども、ネジムが信頼できる人間ならば大丈夫だと思った。

「恐れながらアキレスという傭兵、本当に信じられるのですか?」

 大神官もはじめのタミットのように疑った。だが、これもタミットの予想通りだった。

「ネジムが言うのですから間違いありません」

 タミットは自信を持って言い切った。

「畏まりました。タミット様が信頼されている猫ならば信じましょう」

 思った通り大神官もタミットの言葉を信じてくれた。

「ありがとう」

 タミットは胸をなで下ろした。

 これで危機を少しばかり回避できる。

「わたしはパネブを逮捕します」

 大神官はすぐに神殿警察に逮捕を命令した。

「お願いします」

 タミットと大神官はバステト神像に向かった。

「タミット様、明日の礼拝はいかがなされますか?」

 バステト神像の頭に登りかかったタミットを大神官が呼び止めた。

「明日の礼拝はこの町の人々にとって、とても大切なものになるでしょう」

 タミットは大神官を振り返り、そういい残して姿を消した。

 

 レイラとネジムは、ブバスティスから馬車と船をヒッチハイクして首都サイスにたどり着くと、ギリシア傭兵団の駐屯地へ急いだ。

「基地は高い壁に囲まれて中の様子さえ見ることができないわ」

 レイラは衛兵の動きを気にしながら、用心深く基地の敷地に近ずこうと試みようとした。

「おいらにまかせるにゃ」

 珍しくネジムが自信満々な態度をしめした。

「ネジムどうするつもり?」

 何をするんだろうとレイラは大いに期待を寄せる。

「おいらが一人で基地の中に入って、アキレスを探してくるにゃ」

 確認するようにネジムが言う。

「一人でって、あなた猫でしょう」

 レイラが余計な突っ込みをする。

「あ、一匹にゃ」

 ネジムも焦ってみせる。

「わかったわ。あたしはここで待ってる」

 ここはネジムに任せてみようと言うことにした。

「アキレスの匂いを覚えているから、すぐに見つかると思うにゃ」

 ネジムは自慢の鼻をヒクヒクさせた。

「ネジム、まかせたわ」

 アキレスにもうすぐ会える。それを思うと使命なんかどこ吹く風のようなレイラ。

「にゃー!」

 ネジムはそういって、基地正面ゲート脇にある猫専用門から難なく基地の中に入り込むことに成功。

 レイラはネジムがゲートをくぐるのを見届け、壁のすぐ近くにある古い宮殿の瓦礫の中に身を潜めネジムの帰りを待つことにした。

 

 その頃ブバスティスではムクターとマブルーカが、レイラとネジムの帰りが遅いので心配していた。

「もう日が沈みかけているのに、レイラもネジムもまだ帰ってこないわ」

 マブルーカは夕日に染まるナイルをみながら心配そうに手を組んだ。

「うん、心配だな。学校に行けばなにか分かるかもしれない」

 ムクターがそう言って出かけようとする。

「あなた、あたしも一緒に行きます」

 マブルーカも夫と一緒に出かけようとした。

「いや、マブルーカ、君は家にいてくれないか。もしかしたら、私達が捜しに出ている間レイラかネジムが帰ってくるかもしれない」

 ムクターのいうことはもっともだと思った。誰か家にいないと娘が帰ってきてまた外に飛び出してしまうかもしれない。

「あなた、レイラとネジムは大丈夫でしょうか」

 マブルーカは心配した。

「きっと大丈夫だ」

 ムクターは妻を安心させようとして笑顔を見せた。

「……わかりました。あたしは家でレイラとネジムを待つことにします」

 夫の笑顔を見てマブルーカは心の安定を保てた。

「うん。たのんだよ」

 ムクターは家を出るとすぐに学校に走った。

「あなた、気をつけて……」

 ムクターの後ろ姿を見守りながら、マブルーカが空を見上げると、今まで見たこともないような濃い赤色で空が染まっていた。

「どうしてかしら、あの赤い空を見ていると急に気分が滅入ってきたわ」

 ナイルの辺を走っていたムクターも、大きな夕日が不気味なほどナイルを真っ赤に染めているのを見て胸騒ぎをおぼえた。

(やっと着いたぞ)

 学校に着いたムクターはすぐに職員室に行き、明日の講義の予習をしていた担任の先生を見つけた。

「先生!」

「あ、レイラちゃんのお父さん」

 先生は振り返り目をぱちくりする。

「レイラはまだ実習室ですか?」

 ムクターは娘の居場所を早く知りたかった。

「いいえ。レイラちゃんを含め生徒さんは全員帰りましたけど」

 先生から期待外れの返事が返ってきた。

「レイラがまだ帰らないんですよ」

 ムクターは先生ならレイラのことを何か知っているはずに違いないと思った。

「ほんとですか! 今日は授業をお昼前に終わらせたので、生徒全員、もちろんレイラちゃんもネジムと一緒にお帰りになったのですが」

 先生は先生でムクターの問いにとても驚いた。帰ったとばかり思っていたのだから。

「お昼前に……」

「はい」

 担任の先生にそれ以上聞いてもレイラの消息を掴めないと感じたムクターは、

「わかりました。他をあたってみます」

 そう言ってすぐに学校をたちさった。

(まったく手掛かりがない……)

 ムクターが途方に暮れて神殿の敷地内をうろうろしていたら「レイラちゃんとネジムは首都サイスに行きました」タミットが話しかけてきた。

 突然現れた白い猫から話しかけられたムクターは、飛び上がらんばかりにビックリし、腰を抜かして地面にストンと尻餅をついた。

「あたしはこの神殿の主、タミットです」

「……」

 ムクターは夢ではないのかと頬を抓ったが激しく痛む。

「レイラちゃんとネジムに、火急な用事でサイスのアキレスさんに会いに行ってもらったのです」

 タミットと名乗る白猫はまるで人間のように話し続けた。

「火急な用事? アキレスと言えばレイラを助けてくれたギリシア人……」

 ムクターはアキレスと聞いてすぐにレイラの恩人、傭兵アキレスを思い出した。

「そうです。今、あなたが思っている方です」

 タミットはムクターの心を見透かすように下から見あげる。

「たしかにアキレスさんはレイラの恩人だが、でもなんの用でサイスまで」

 一瞬ビクッとしたが白猫に怖さは感じない。むしろその声から安らかさや心地よささえ感じるのだ。

「今は言えません。ですがレイラちゃんとネジムは必ず無事に帰ってきます。お二人の安全はこのわたしが保障します」

 タミットは神殿の猫の形をした庭石の上にちょこんと腰掛けた。

「どうしてそう言い切れるんだ」

 ムクターはまるで人間と話しているようにいつの間にかタミットに話しかけていた。

「わたしには霊力があるからです。わたしの祈りは神に届き、二人はバステト神によって守護されます」

(霊力があって人間の言葉を話す猫……)

 ムクターは頭が混乱して気が変になりそうだ。

「明日の夕刻までには、レイラちゃんとネジムは無事に帰ります」

 タミットはそう断言すると、ムクターの前から一瞬にして姿を消した。

「き、消えた……」

 気がつくと既に夜になり、月明かりがムクターの影を砂地に映し出していた。

(あの白猫はバステト神の化身なのか……)

 そう呟くとムクターは神殿の中に入って行き、礼拝堂のバステト神像の前でレイラとネジムの無事を祈った。

 

 サイスでは、レイラとネジムは無事アキレスに会うことが出来、ギリシア軍のテントで食事と寝床の提供を受けていた。

「いいか、さっきの話は誰にも言うなよ」

「はい」

「どこに裏切り者がいるかわからないからな」

 アキレスは全身を針のようにして感覚を研ぎ澄ました。

「にゃー」

 ネジムも長い髭と長い尻尾をピンと伸ばした。

「裏切り者にさっきの話を聞かれようものなら命を奪われるぞ」

 アキレスはレイラの目をじっと見つめた。

「絶対に言いません」

 レイラはそう言って口を固く結び、人差し指をまっすぐたてた。

「明日、朝一の船で君達をブバスティスまで送る」

「アキレスさんは?」

 レイラが心配そうにアキレスを見あげる。

「おれは裏切り者を見つけ出す」

 同胞に裏切り者が出たのが相当ショックだたのか、アキレスの目に怒りが立ちこめていた。

「気をつけて下さい」

 レイラは大切な人を気遣うようにふるまった。

「心配するな」

 アキレスはそう言うとネジムの顎を優しく撫で、テントの外に足早に出て行った。


 翌朝、ネジムとレイラはアキレスに見送られながら、ギリシア軍専用ボートでブバスティスに引き返すことになった。

「いいか、もうこの件には首を突っ込むな」

 アキレスが碧眼でキッとにらむ。

「はい」

 レイラもまっすぐアキレスを見て目を逸らさない。

 返事をしたもののレイラはアキレスが心配で仕方がなかった。

「じゃ!」

 アキレスが手を上げるとボートは勢いよく発進。

 レイラとネジムはボートの最後尾まで行って、アキレスの姿が見えなくなるまで大きく手を振った。

 

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