第12話 ペルシアのスパイ

「勝負あった!」

 ネジムがタミットに飛び掛かろうとする「シッ!」タミットが振り向きざま口元に人差し指を立て、ネジムを制止した。

「……」

 急におあずけをくらったみたいで不機嫌なネジム。

「ペルシア人みゃ」

 タミットが見ている方に、たしかにペルシア人が一人いた。

「ペルシア人がなんでいるにゃ」

 ネジムは相変わらず理解不能で不満気味だ。

「最近頻繁にこの神殿に姿を現すみゃ」

「あやしいにゃ」

 タミットの真剣な眼差しにようやく異変を感じ取った。

「この神殿の神官パネブとよく会っているにゃ」

 タミットの目が光った。

「……」

「きっとスパイみゃ」

「スパイ?」

 驚くべき言葉がタミットの口から発せられた。

「神官パネブはあのペルシア人から多額の銀貨をもらってるみゃ」

 タミットが嘘をついてるとは思えない。ましてジョーダンならなおのことだ。

「じゃその神官は奴に買収されたってことだにゃ」

 事の重大さに気づいたネジムのカラダに悪寒が走った。

「まちがいないみゃ」

 タミットは相変わらず落ち着いて、淡々とはなし続けた。

「他の神官は気づいてにゃいのかにゃ?」

「わからない。でも近いうちに大きな戦争があるにちがいないみゃ」

「ペルシアが攻めて来るにゃ?」

「たぶんみゃ」

 ネジムとタミットがなりをひそめていると神官がやってきた。

「神官パネブみゃ」 

 パネブは周囲をちらとみて人がいないのを確認すると、ペルシア人を奥の部屋に案内した。

「あたしたちも行くみゃ」

「にゃ!」

 ネジムとタミットは気づかれないように神官パネブとペルシア人の後を追う。

 神官パネブとペルシア人が奥の部屋に入ると、ネジムとタミットは二人の会話を聞くために、ネコ専用の出入り口からその部屋に侵入した。

 男たちは四角いテーブルを囲んでヒソヒソと話をしていたが、ネジムとタミットの姿をみつけ「じゃまくせいネコだ」神官パネブが苛立たしく言った。

「エジプトじゃ猫が神様だなんて信じられん」

 濃い豊かな黒髭のペルシア人が蔑むようにネジムとタミットを睨む。

「あっち行け!」

 神官パネブが立ち上がり、ネジムとタミットを追い払うように大きく手を振る。

 ネジムとタミットは部屋の埃っぽい隅に追いやられた。

「もういい! それよりも計画通り王を暗殺できるんだろうな?」

 ペルシア人が鋭い目付きで問いただした。

「王を護衛する二人のギリシア傭兵に暗殺を実行させる」

 神官パネブがニタリと笑みを浮かべた。

「そのギリシア傭兵は信用できるのか?」

 ペルシア人が信用できないと訝しげに問いただした。

「奴らは金次第だ。一タラントで買収した」

 パネブが得意げに自慢する。

「本当に、一タラントも支払ったのか?」

 報酬が高額過ぎてますます怪しんだ。

「暗殺が成功すればの話だ」

 パネブはつい口を滑らした。やはり口からの出任せだったのだ。

「そんな口先の約束をそいつらは信じたのか?」

 思ったとおりだった。エジプト人は詰めが甘い。任せられないと内心思った。

「そうだ。あいつらは海賊出身だからな」

 あきらかにギリシア傭兵を見下し侮っている。

「半分は先払いしてやれ」

 さすがのペルシア人もあきれ果て、こう提案せざる終えなかった。商売に長けた民族ならであのアイデアだった。

「前金を握らせないと信用できないと」

 ところが強欲な神官パネブは不服だと言わんぱかりに不機嫌になった。

「あたりまえだ! 残りを払うかどうかはお前さん次第だが」

 あきれ返ったペルシア人は、より具体的な指示をしなければならなかった。

「なるほど」

 神官パネブは薄笑いを浮かべた。

 部屋の隅でネジムとタミットは二人の会話を一言一句聞き漏らさなかった。

「恐ろしい陰謀が進行しているにゃ」

 二匹は身震いした。

「パネブは大神官からもっとも信頼されてるみゃ」

 まさかの神官の裏切りにタミットも言葉が詰まった。

「じゃ大神官も、ぐるってわけにゃ?」

 ネジムはとうぜん神官は全員ぐるに違いないと思った。

「それはないわ、きっと裏切りにまだ気付いてないみゃ」

 タミットは違った。

「タミットどうするにゃ」

 誰が味方で敵なのか混乱した。

「今はあの二人から出来るだけ情報を集めるしかあたし達に出来ることはないみゃ」

 ネジムとタミットは二人の会話に聞き耳をたてた。

 しばらくすると、ペルシア人は立ち上がり懐から革袋を取り出し「これが約束の金だ」と言いながら神官パネブにその革の袋を手渡した。

「たしかに」

 神官パネブは袋の中を確かめ、ニタリとして袋を懐にしまう。

「ペルシアがエジプトを支配すれば、あんたは王に抜擢される」

 ペルシア人は真顔でいった。

「確かだろうな」

 さすがのパネブも美味すぎる話を訝しむ。

「大王カンビュセス様は、約束は必ず守る」

 ペルシアの使者は“必ず”と語気を強めた。

「わかった」

 パネブもそれを聞き逃さなかった。

 ペルシア人と神官パネブは固い握手を交わした。

「ところで次なる作戦だが、わがペルシア軍は近いうちにエジプトの領海に船を出す」

 海図を広げながらペルシア人はエジプトの領海のある地点を指し示した。

「船を、何のために?」

 パネブは初めて見る海図に驚く。

「ギリシアがどこまでエジプトを守る気があるのか確かめるためだ」

 海図をみながらペルシア人は葉たばこを噛み始めた。

「王は大のギリシア贔屓だ。ギリシアとの同盟は簡単には揺るがない」

 パネブはバカバカしい作戦を聞いてペルシアを買いかぶっていたのではないかと、裏取引したことをなかば後悔し架かっていた。

「いや、そうでもないな」

 ところがペルシア人は揺るがない。

「というと?」

 エジプトの中で権力争いばかりしていたパネブには国際情勢などわかるはずもなかった。

「ギリシアも一枚岩というわけではない。複数の都市国家ポリスが皆同じ方向を向いているとは限らないのだ」

 ペルシアは瞬く間に周辺国を侵略しただけ有って、戦力だけでなく情報の収集分析にもただならぬものがあった。

「ギリシアを試すのか?」

 パネブは恐る恐る訊く。

「そうだ。すでに我々はアナトリア半島まで征服した。次は目の前のギリシアだが、新興のギリシアなかなか手強く侮れん」

 そこまで話すとペルシア人は話しすぎたと言わんばかりに固く口を閉じ「じゃ、宜しく頼むぞ」神官パネブの肩を軽く叩いて部屋を出て行った。

 神官パネブは部屋の隅で寝転がっているネジムとタミットを一瞥すると、そそくさとその部屋から出て行った。

「大変なことになったにゃ」

 ネジムの顔が青ざめていた。

「このままだと王がギリシア傭兵に暗殺されるみゃ」

 タミットはことを急がねばならないと焦った。

「なんとか阻止しなきゃにゃ……そうだアキレスに相談するにゃ」

 こんな時、たよりになりそうな人間はと、彼を思い浮かべた。

「アキレス?」

 初めて聞く名にタミットが反応した。

「レイラちゃんを暴漢から二度も助けてくれたギリシア人傭兵にゃ」

 ネジムはアキレスの人となりを話して聞かせる。

「もしその人が暗殺者だったらどうするみゃ?」

 事が事だけにタミットはその人物が信用に値するのか見極めなければらなかった。

「アキレスは信用できるにゃ」

 ネジムは彼を知るだけに信頼しきっていた。

「なんでそういい切れるみゃ?」

 あくまでもタミットは疑いの眼差しをむけた。

「レイラちゃんの命の恩人だからにゃ」

 ネジムはアキレスしかいないと確信していた。

「お金を見れば人間は変わるみゃ」

 タミットは人間がいかにお金に弱いかを知り尽くしていた。

「アキレスはそんな人間じゃないにゃ」

 タミットはそれ以上なにも言わなかった。

「アキレスしか頼れる人間はいないにゃ」

 ネジムは自分がアキレスから受けた良い印象を信じていた。

「ネジムがそうまで言うのなら……」

 タミットはネジムの目をまっすぐに見つめ彼を信じた。

「おいらはレイラちゃんと一緒にアキレスに連絡をとるにゃ」

「あたしはこのことを大神官に知らせに行くみゃ!」

 そういってネジムが駆け出しタミットもすぐさま礼拝堂から姿を消した。


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