第11話 恋

 エジプトに来て瞬く間に一年が過ぎ秋になろうとする頃、レイラが学校帰りにナイルの辺でスケッチをしていると、ネジムがため息をつきながらやってきた。

「ネジム、ため息ばかりついてどうしたの?」

 レイラがネジムの顔を心配そうに覗き込む。

「ハァー」

 ネジムは虚ろな目をして深いため息をつく。

「あなた、もしかして恋してる?」

 レイラはネジムの様子を少し観察してネジムの目をじっと見つめながら問いただした。

「そ、そんなことないにゃ」

 ネジムは顔を真っ赤にして慌てて否定する。

「あなたタミットに惚れたでしょう?」

 レイラの執拗な追及が続く。

「あ、あんな高慢ちきな奴なんか」

 ネジムはぷいとそっぽを向くが、本心でないことは明らかだ。

「あなたそういってるわりには心臓バクバクじゃない」

 レイラはそう言いながらネジムのわき腹にガバッと手をあて、ネジムの鼓動を感じ取った。

「ハァー」

 ネジムはとうとう白状したようなものだ。

「タミットは素敵な娘よね。あなたにお似合いだわ」

 レイラは何の根拠もなく断言した。

「おいらのような山猫はタミットにはふさわしくないにゃ」

 ネジムは顎をのばしてホロッと呟く。

「引っかかった! ほら、あなたやっぱりタミットに惚れてるじゃない」

 やっぱり吐いたとばかりにレイラはニカッとする。

「もうレイラちゃん意地悪にゃ」

 ネジムはくやしがって足をふんだ。

「あたし意地悪じゃないわ。ネジムの額にタミット命って書いてあるもん。バレバレだわ」

 レイラの言葉に、ネジムは慌てて自分の手の甲を舌で舐め、額を何度も拭う。

「ジョーダンよ。ごめんね」

 レイラは申し訳ないとネジムの背中を優しく撫でる。

「謝らなくてもいいにゃ。どうせおいらは冗談もわからない田舎の山猫にゃ」

 気の毒なくらいネジムは気落ちしてガッカリ顎を伸ばした。

「もっと自分に自信もちなさいよ」

 レイラの励ましもむなしく。

「ハァァ」

 ネジムは地面に這いつくばるように横たわり背を丸くした。

「ため息ばかりついてると恋愛運が逃げちゃうぞ」

 レイラが静かにネジムの耳元で囁いた。

「わぁ! それだけは駄目にゃ」

 よほど応えたのだろうネジムは激辛スープでも飲んだように跳ね起きた。

「じゃ、ため息はそれまで。自分に自信をもって! ネジムは命がけであたしを守ってくれたわ」

 ここぞとばかりにレイラはもりもり自信を取り戻すような言葉を並び立てた。

「そっかにゃ……」

 まんざらでもないようすのネジム。

「このあたしが言うんだから間違いないわ!」

 どんとこいと言わんばかりの態度をしめした。

「レイラちゃん、ありがとうにゃ」

 ネジムはあらためてレイラのやさしさに感謝した。

「ね、今度思い切ってタミットをデートに誘ってみたら?」

 大胆な計画を授けるレイラ。

「そ、そんな大それたこと出来ないにゃ」

 デート、誘う、タミット、と強烈な単語がどんどん出てきたので、ネジムは顔を真っ赤にして首を横に振る。

「あたしの予感では、タミットはあっさりOKすると思うよ」

 あっけらかんとしてレイラは言う。

「どんな根拠があってそんないい加減にゃこというにゃ?」

 さすがにネジムもその言葉を丸と信用するわけにはいかない。

「女の感よ。あたしが代わりに気持ちをタミットに伝えてあげよっか?」

 でた、女の第六感というオカルト。

「わぁ! そりゃ困るにゃ」

 ネジムはノーサンキユーと言ってレイラの申し出を即却下。

「じゃ、騙されたと思ってタミットをデートに誘ってみて」

 でた、撃沈コース。

「断られたらどうするにゃ」

 マイナスイメージしか浮かばない最悪のパターンに落ち込む。

「プライドがあるから初めは断るに決まってるでしょ。でも最後は必ずOKするわ」

「そんなもんかにゃ」

 なかなか現実てきな返事にネジムは感心する。

「そんなもんよ」

 レイラは自信たっぷりにウインクした。

「……」

 ここはひとつがんばってみるか。ネジムはそう思うしかなく。

「じゃ、決まり! 明日思い切ってタミットをデートに誘ってみよう!」

 レイラはまるで自分のことのように喜ぶしまつ。

「レイラちゃん、そんなに急がなくても」

 あくまでもネジムは慎重路線。

「恋はタイミングよ」

 レイラは姐さんのようにイケイケだ。

「タイミング?」

 また根も葉もないことだろうと訝しむ。

「そろそろタミットも猫恋しい季節になるわ」

 秋は恋の季節。

「それほんとにゃ?」

 ネジムは両目をまん丸にする。

「フフー」

 レイラはネジムに微笑んだ。

「にゃー」

 恋するネジムのハートはタミットのことではち切れそうだ。

 

 タミットのことで眠れない夜を過ごしたネジムだったが、夜が明けると気合いを入れなおし、レイラが起きてくるのを今か今かと待ち構えていた。そしてやっとレイラが眠たそうに目を擦りながら起きてくるなり、「レイラちゃん、おいら今日タミットをデートに誘ってみるにゃ」と、一晩考え抜いた決意を伝えた。

 ビックリしたレイラは一瞬にして目が覚め、足元のネジムをまじまじと見つめる。

「あなた本気」

「もちろんにゃ」

「それでこそオスだよ」

「にゃー!」

「よし! 気合いが入ったところで景気づけに焼き魚の丸焼きをあげよう」

「プルルー」

 レイラは急いでキッチンにいくと大きな焼き魚を持ってきて、ドスン! 景気のいい音をたててお大皿に載せた。

「さぁ、しっかり食べるのよ」

「プルルー」

 ネジムは大喜びでがつがつと食べ始める。

(ネジムとタミットのデートがうまくいきますように)

 レイラは食べっぷりのいいネジムを見ながら心の中で祈った。

 ネジムが焼き魚を食べる間、レイラもパンとスープの軽い朝食をとった。

「ごちそうさまー」

 朝食を終えたレイラは身仕度を済ませると、マブルーカに見送られながらネジムと一緒に学校に向かった。

 暫くしてレイラとネジムが二体のバステト像が立つ神殿施設の正門前に着くと、レイラは屈み込んでネジムと目線を合わせた。

「ネジムがんばれ! きっと上手くいくから」

「頑張るにゃ」

 ネジムの目に気愛が入る。

「そうよ気合いじゃなくて気愛を入れるのよ。愛があれば必ずタミットの心に通じるから」

 レイラはネジムの頭を優しく撫で、拳を握りしめてネジムを励ます。

「普段どうりの自分でいくにゃ」

「ちゃんとわかってるじゃない」

「頭ではわかってるにゃ」

「あなたは心と魂でもわかってるわ」

「にゃー!」

「よし!」

 レイラがネジムに手の甲を差し出すと、ネジムはその上に肉球をポンと乗せた。

「ファイト!」

「にゃイト!」

 ネジムに気愛が入ったところで、二人は神殿の正門前で別れ、レイラは学校側へ、ネジムは神殿へと向かった。

(平常心にゃ、平常心にゃ)

 歩きながらネジムは何度も心の中で呪文のように唱えるのだが、神殿の建物が近づくと彼の小さな心臓は激しく鼓動した。

「いかん、これじゃタミットのまえで緊張してにゃんにも言えにゃい」

 ネジムは心を落ち着かせるために空を飛ぶ鳥を見上げ、砂を泳ぐ蛇たちを観察し気を紛らわせた。

「すーはー」

 ネジムは大きく深呼吸した。

 その時、「わ!」背後からタミットが大声でネジムを脅かした。

「みぎゃー」

 ネジムは毛を逆立てて飛び上がる。

「みゃはははー」

 タミットは作戦成功と大笑い。

 ネジムは目を真ん丸くし、タミットを見つめる。

「タミット! やったなぁ」

 ネジムは彼女の悪ふざけに怒り爆発。

「やったにゃー!」

 ネジムは猛烈な勢いでタミットに飛びかかる。

「あっかんべー」 

 タミットはスルリと身をかわす。

「こんにゃろ!」

 カンカンに怒るネジムは逃げるタミットを全速で追いかける。

 タミットは素早くナツメヤシの林に逃げ込んで、一番高いヤシの木のてっぺんまで登り「ネジム、こっちみゃー」タミットを見失ってうろちょろしているネジムを呼んだ。

「あ、いつのまに」

 ネジムは素早くナツメヤシの木に飛びつき登りだす。

 ところがタミットはネジムが登ってくるや「じゃ、お先みゃー!」ネジムの背中の上をヒョイと跳び越え、木の根元まで真っ逆さまに降りていった。

「ネジムちゃん、いつまで木にしがみついているみゃー」

 タミットはからかい寝転がって見せる。

 雄猫のプライドが炸裂したネジムは「タミット、待つにゃー!」ナツメヤシの高いところからふわっと飛んで、地上近くの木の枝に軟着陸してみせた。

「やるわネ!」

 ネジムの離れ技にタミットは感嘆の声を漏らす。

「タミット!」

 ネジムは体制を整えタミットを追いかけた。

 タミットは神殿の礼拝堂に逃げ込み、バステト神の石像の頭上に隠れた。

「まてー、タミット!」

 必死で追いかけたネジムだが、神殿の中の何処にもタミットの姿は見当たらない。

「タミット、隠れてもむだにゃ!」

 音ひとつしない礼拝堂の中でタミットの匂いをたよりにネジムは必死に捜索をする。

 ところが、タミットは神殿を住み処としていたので、柱や石像や壁のいたる所から彼女の匂いがして何処にいるのかさっぱり居場所がつかめない。

(タミットどこに隠れたにゃ)

 歩きつかれたネジムは、礼拝堂の右横の大きな石柱の近くに腰をおろした。それから、床石の石と石の小さな隙間に爪を立て、ガリガリと引っかきはじめた。

 タミットはバステト神の石像の頭からネジムの様子をじっと観察していた。

(ネジム、何をしているみゃ?)

 ネジムは引っかいた床石の隙間をペロペロ舐めると石柱の後ろ側に隠れ、またすぐに出てきては、床石の隙間を引っかいてはペロペロ舐めて石柱の後ろ側に隠れる。

(何か見つけたのかしら)

 だんだん気になりだしたタミットは少しずつ石像の上から降りて、ネジムが何をしているのかを確かめようとした。

 ネジムはタミットが足音ひとつ立てずに降りてくる間も同じ動作を繰り返している。

(あたしをおびき出す作戦ね)

 途中からネジムの意図を察したタミットは(可愛そうだから、わざと引っかかってやるか)ネジムの作戦に引っかかる振りをして石像の足元まで降りてきてみたのだが、タミットが降りてきた時にネジムの姿はそこになかった。

(帰ったのかしら……いや、近くであたしの出方を待っているんだわ)

 ネジムのさらに裏をかいたタミットは礼拝堂の祭壇の上にピョコンと跳び乗った。

(ここならネジムがどこにいてもあたしが見えるはず)

 作戦通りネジムの動く気配を感じたタミットはすぐに祭壇の後ろに隠れ、さらにその奥の石柱の背後に隠れた。

 一方のネジムは(タミットに気づかれたにゃ)一筋縄ではいかないタミットにかえって惚れ込む始末。

 その時、燭台の炎が揺れタミットの影が左端の柱の横にあぶりだされた。

(あんなところにタミットがいるにゃ)

 ネジムはその柱からわざと遠回りしてタミットの背後に回りこむことに成功。

(勝負あったにゃ)

 ネジムはタミットを捕まえようと今にも飛び掛かろうとした。ところが目の前のタミットは、ネジムが背後に迫っているのに気づかないのか、柱の影からネジムがさっきまでいた礼拝堂の右側の大きな柱付近をじっと見ている。

 ネジムはシャキーンと目を輝かせた。

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