六.その男、時を有して


 ――冬。

 年の瀬特有の気もそぞろな気配を、近頃はあちらこちらからと感ずる時期になった。

 男はいつものように岩の上に座し、のんびりと冬の夜空を見上げていた。

 この雑木林に街灯などはなく、寂れた商店街から伸びる明かりが僅かに届くのみ。

 ほおと吐く息は白い。

 懐手にしている手を出すと、手の平を上向かせて焔を揺らめかす。

 そこへ息吹を吹き込み、蛍火を灯した。

 男の一吹きで蛍火は幾つも灯り、彼の周囲を飛び始める。

 蛍火が淡く照らす男の顔が、懐かしむように緩く笑っていた。

 この風景はまるで。


「――わあっ! 蛍が飛び交ってるみたいじゃんっ!」


 そう、かつてのこの地の風景を思い起こさせた。

 男の金の瞳がやって来たてんへ向けられると、意を汲んだのか、蛍火が迎え入れるように天の傍へと飛んでいく。

 その蛍火に誘われながら、天は蛍火の飛び交う光景に目を輝かせた。


「ねぇねぇ、蛍の名所って呼ばれてた頃ってさ、こんな感じだったりしたの?」


 だとしたら、名所と呼ばれるのも頷けるなと、天が岩上の男を見上げる。

 厚手のコートに手袋とマフラーと、冬の装いの彼女だが、髪からはみ出した耳先が寒さからかほんのりと赤い。

 それに気付いた男は僅かに眉をひそめると、袖口から手を抜き、軽く払う仕草をした。

 すると、瞬きの間もなく、男と天の周囲だけあたたかな空気に包まれる。

 天がほっと緩い息を吐き出した。

 その吐息も白く染まらない。


「……あったかいじゃん。ありがと」


 マフラーに口元を埋め、天が小さく礼を口にする。

 男はふんっと鼻を鳴らすと、また手を袖口に差し入れた。


「私は火の性質ゆえ、熱をるなど造作ない」


「……うん、そだね」


「そもそもだが、こんな夜更けに外を出歩くでない。危ないではないか」


「え、あたしのこと心配してくれるの?」


 天がマフラーに埋めていた顔を上げる。

 その瞳が丸くなって男を凝視していた。


「阿呆。お主でなく、運悪く遭遇してしまった小妖ぞ。夜は妖らの領域。うっかりお主の精気を喰ろうてみろ、陽の気にあてられ消滅してしまう」


 男の顔が夏の出来事を思い出し、苦々しく歪む。


「私程度にもなれば、腹を壊し数日伸びるだけで済むものだが、小妖ならば一口でも致命的ゆえ。――ほんに劇薬ぞ」


「でも、その劇薬のおかげで、あんたはここまでの力を取り戻せたんじゃないんですかぁー??」


 むっ、と。口をへの字にした天が男をめつけた。


「お腹壊すへまは二度とせぬっ! って、ちょっとずつ私の精気を喰らうために、私は学校とお師さんの手伝いの合間を見つけては、わざわざここへ通ってあげてたんですけどねぇー??」


 天がぷくぅと頬を膨らせる。


「それって、あたしの努力のおかげだと思うんですけど、違うんですかねぇー??」


 男は天へ視線を投じる。

 やがてその表情をふっと緩め、くっくと喉奥で笑った。


「否定はせぬな」


 男はゆっくり立ち上がると、懐手をしたまま、着物を尾ひれのようになびかせつつ、ふわりと岩上から跳び下りた。

 それは実に軽やかで、重さをも感じさせぬ動きであったから、男が人ならざる者なのだなと天は改めて感じた。

 胸内に、雪でも降ったかのような寂寥を抱いたのはどうしてだろう。

 天はうつむいた。たぶん、それを追いかけてはいけない気がした。

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