第45話 ジャックの視点

 オレは臆病で意気地なしだ。

 勇者として転移したのに、最後の最後で倒すべき魔王と対峙した瞬間、戦う気力が失せた。


 魔王の姿は巨大な狼で外見や声や雰囲気だって全く違うのに、それでも目が合うと自然と涙が頬を伝い零れ落ちた。


「愛する妻と戦えるわけがない」


 妻とも向き合わず自分の使命を放棄して敵前逃亡。

 オレが逃げれば魔王を殺さずに済む。そんな幼稚な考えは一瞬で砕け散った。

 首を刈られる刹那、魔王──妻が止めようとしてオレと一緒に殺されるのが見えた。

 妻に手を伸ばそうとしたけれど、空を掴む。

 オレは勇者じゃない、卑怯者で臆病者だ。


 再転生後、オレは勇者としての記憶があった。カボチャ頭の案山子、きっとこれは罰が当たったんだ。

 罰でもいい。妻と再会できたのだから、それだけで幸せだった。

 妻にアプローチを何度もして時間を作って一緒にいるだけで嬉しかった。妻は記憶が無いと言っていたが、嘘だ。


 オレが弱かったから。たくさん待たせて、たくさん背負わせてしまった──。

 そしてまた妻を一人で死なせてしまった。もうたくさんだ死にたい。

 それなのに眼前の男はそれを許さない。逃げるなと言う。


 緋色の火花を散らし、剣がぶつかり合うたびに金属が悲鳴を上げる。

 オレの意識とは無関係に生い茂る漆黒花がコウガっちを襲う。傷を負っても勇敢に立ち向かってくる。オレがなれなかった勇者そのもののよう。


 男なら一度はヒーローに憧れたりするだろう。でもいざなってみれば双肩に重くのしかかる期待と希望。恐怖を屈服し立ち向かう勇気が必須だと実感した。オレになかったものをコウガっちは全部持っている。

 本当に狡い。


「許すな」「お前は被害者だ」「殺せ」とオレの中の漆黒花が狂ったように叫ぶ。

 ああ、煩い。

 なんでオレだけ。

 どうしてオレだけ。

 ただ幸せになりたいだけだったのに──。

 爆音が至る所で炸裂した。

 剣戟を交えるたびにコウガっちの強さを実感する。剣が重く、反撃する隙が無い。


 漆黒花の力も加わったオレはレベル100を超えているはずなのに、コウガっちはレベル86しかないのに。

 どうして拮抗できるんだよ!

 頬や腕や腹部にかすり傷を受けてHPゲージもコウガっちの方が削れているはずなのに怯むどころか、その瞳に宿る光が更に増す。そもそもレベルだけじゃない。

 揺らがない闘志、その芯の強さにオレは怯みそうになる。

 どうしたらそんな風になれるんだよ……。


「逃げたくてしょうがない時がコウガっちにだってあるのに、どうして逃げないんだ? 立ち向かっていけるんだ?」


 気づけばオレは叫んでいた。

 そしたらコウガっちは口元を緩め――嬉しそうに、そして少し困った笑みで、


「俺だって逃げたい時はいくらでもある。できれば今だって逃げたい」


 嘘だと思った。「でも」とコウガっちは続けた。


「陽菜乃が逃げないのに俺だけ逃げるわけにいかないだろう。アイツはいつだって捨て身で俺の半歩先を飛び出していくんだ。俺が気後れするわけにも足踏みしてもいられない」


 ああ。コウガっちが無敵に見えたのは、ヒナノちゃんのことを「守りたい」じゃなくて「支えたい」からだ。なんだか笑えた。

 コウガっちが振り回しているように見えて、実のところヒナノちゃんがコウガっちを振り回している。


 そうだ。

 コウガっちは、いつだって真摯に受け止めて嫌々そうに言いながらも付き合ってくれる。これが本物だ。

 俺は何処まで行ってもニセモノで逃げて──。


『今度は逃げないのでしょう。ならしゃんとしないとだめよ♪』


 ふとダリア──妻の声が聞こえた気がした。

 今までと同じように逃げていたら、この声は聞こえていなかっただろう。

 剣を握る指先から震えが止まった。


「コウガっち、これで最期だ」


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