最終章

第43話 悪夢の心象風景

 時刻は夜明け前。

 俺と陽菜乃はライラ本来の姿──全長十二メートルを超える紺碧竜に騎乗して、アルム村へと向かっていた。転移魔法を使うことも視野に入れていたものの大幅なMP消費と、待ち伏せによる総攻撃を考えて選択肢から外した。またライラの背に乗って近づけば異変に気付いてからの作戦を立てるだけの時間は稼げる。


「ふぁあ」と俺は欠伸を噛み殺した。

 《大都市デケンベル》で起こった騒動の後処理や引継ぎなどは、陽菜乃が上手くやってくれた。それから軽い食事と仮眠を取ってはいたが、やはりこの時間は眠くなる。

 宵闇で周囲は暗い。

《迷宮の大森林》を抜ければ、アルム村が見えてくる──はずだった。


 白と黒の石畳が特徴的で広場の周囲には瀟洒な家々が建ち並んでおり、夜は幻想的な街灯が見え──ない。いつもなら街灯なり地上の明かりがあるはずなのに、アルム村周辺だけ停電があったかのように闇に呑まれている。嫌な予感がした。

 分厚い雲が消え、月明りを頼りに薄っすらと見えて──。


「なっ」

「あれは──」


 漆黒の槍が墓標のように地面に突き刺さっている。

 三年前の漆黒花の種子が脳裏にちらつく。目を凝らすと村だった場所には見覚えのある黒紫色の建築物が目に留まった。それはかつて俺と陽菜乃が、魔王と勇者として戦った城に酷似していた。


(結婚式ではなく前日に──? 最高潮から絶望に叩きつけるやり口を変えた? 何かが引っかかる……)


 完全に読みが外れ、後悔と焦燥が思考を鈍らせる。数時間前にジャックとは通信連絡が取れていたのに、今は繋がらない。


(クソッ、数時間前に試着云々で、はしゃぎまくっていたから油断していた!)

「煌月先輩、アルム村で監視役をしていた《狩人》との連絡も取れません。今からでも緊急招集をかけて──」

「それじゃ間に合わないかもしれない。俺は先に行くから陽菜乃は駆けつけた《狩人》たちの指揮を頼む」


 答えを待たずに全身甲冑鎧フルプレート・アーマーへと切り替える。いざ飛び込もうとしたが陽菜乃も白の甲冑を装着したので、血の気が引いた。


「陽菜乃、お前は残れ」

「嫌です。煌月先輩を一人で行かせる訳にはいきません!」

「だが」

「私も行きます。この先なにがあっても一緒じゃなきゃ嫌です」


 間違いなく死地に飛び込む。陽菜乃もそれは分かっているのだろう。

 身勝手かもしれないが陽菜乃には残ってほしい。また彼女を失うかもしれない──そう思うと怖くて頷くことができなかった。


「俺は──承諾できない」

「煌月先輩!」

「じゃあ、ライラがヒナノをお守りするの! あるじ、それならいいでしょう」

「ライラ……」


 グルグルと喉を鳴らしながら提案する。確かにライラの防御力なら、俺よりも高いだろう。陽菜乃は真っすぐに俺を見つめる。一度決めたら梃子でも動かない頑固者だというのは知っていたし、丸め込める自信も時間もなかった。


「煌月先輩」

「条件がある」

「え」


 俺は《大都市デケンベル》の店で買っておいた指輪を陽菜乃の左の薬指につけた。以前贈った指輪の五倍の値段と特殊な加護が付与されたものだ。「これって……」と陽菜乃は顔を真っ赤にして左薬指を見つめた。


「陽菜乃は絶対に俺が守る。これは保険だ、俺が安心できるように指輪を付けていてくれないか?」

「はい。……この戦いが終わっても、ずっと肌身離さずにつけておきます」

「そうしてくれると、俺も嬉しい」


 結論が出た所でライラは「特攻なの♪」とミサイルの如く、黒紫色の城へと突貫する。

 一気にみぞおちに重力加速がかかった。某アトラクションにあるジェットコースターと比べものにならない速度だがなんとか耐える。

 城に近づいた瞬間、漆黒の槍が反応してミサイルの如く迫る。三年前と同じように凄まじいスピードだが、ライラが空中で旋回。槍を振り切って城へ突貫した。

 建造物の天井や壁をぶち壊し、あっさりと城へと侵入する。


 土煙が立ち込める中、ライラの背から飛び降りたのだが――恐ろしいほど静かだ。

 敵兵はもちろん人の気配はない。

 俺たちは警戒しつつ廊下を歩く。

 巨大な柱が建ち並びゴシック建築の城は、かつて俺が魔王だった頃の城そのもので「再現した」というのが正しいだろう。大理石で作られた石畳に、柱、壁。金の刺繍をふんだんに使われた緋色の絨毯が、奥まで続いている。


「先輩、この城」

「ああ、魔王城にそっくりだ。これはアルヒ村一帯が消失したのではなく、固有能力による心象風景の具現化に近いな」


 いくどもなく繰り返された魔王と勇者の決戦の地。俺たちにとってトラウマの象徴とも呼べる城が鮮明に再現されているようで正直、気分が悪い。


「心象風景の具現化だったとしても、維持するにはMPの消費が激しいはずです」

「ああ。この状況を維持できることがそもそも異常だ」


 ライラは本来の姿だと動きづらいこともあり、幼竜へと姿を変えてから奥へと進んだ。この長い回廊を進んだ向こうに何があるのか俺も陽菜乃も知っている。

 かつて俺と陽菜乃が戦い、そして勇者あるいは魔王が死んだ場所。


(出来ることなら、この先に進みたくない)


 今すぐにでも陽菜乃の手を引いて、ライラを連れて逃げ出したい。

 一歩進むたびに足が鉛のように重くなる。

 こんな時まで情けない。


「煌月先輩がいるなら大丈夫です」


 陽菜乃は俺の指先に触れて手を握った。温もりが緊張と不安を溶かしていく。


「ライラも♪」


 幼竜は俺の肩に止まり緊張していた体が少し緩んだ。いつ戦闘に陥るか分からない状態だったが、それでも陽菜乃とライラの存在には救われた。


 五分ほど奥に進むと、講堂のような開けた場所に出た。

 玉座の間、玉座に至るまで階段がありその階段下に座り込んだ人影が目に入る。白のタキシード姿のジャックは、ぐったりとしたギルマスを両腕に抱きかかえていた。ウエディングドレスと白いベールという普段着こなしている装いと異なるため、彼女だと認識するのに数秒かかったが間違いなくギルマスだった。


「ジャック、ギルマス!」

「ダリア、ジャックさん!」


 警戒を強めつつも二人の元へと駆け寄った。

 ふと緋色の絨毯に赤黒い液体が広がっていることに気づき、ジャックとギルマスを交互に見る。傷を負ったのはギルマスで、真っ白なウエディングドレスは腹部あたりから赤い染みが広がっていた。HPゲージは赤く点滅して一桁で止まっている。


「陽菜乃はギルマスに回復魔法又は回復薬をかけてくれ。その間に──」

「煌月先輩、アレを見てください」

「!」


 陽菜乃の視線の先を追うと、冒険者ギルドの受付係であるクレアが柱の一つに磔にされて死に絶えていた。

 こちらのHPゲージはゼロなのに炭化していない。漆黒の槍が体中に突き刺さって、なんとも無惨な姿だった。床には短剣が転がっており、そこには血がついている。


(状況から見ておそらくギルマスを殺害したのはクレアで、そして現場に居合わせたジャックが逆上してクレアを惨殺した。だがなぜクレアが上司であるギルマスを殺そうとした?)


 おそらく動機は復讐だったのだろう。クレアは《夜明けの旅団》メンバーの一人、神官レンジと恋人だった。そして彼らのパーティーを黒魔獣にした元凶がギルマスだと知り殺害に至ったというのなら筋は通るが──どうにも腑に落ちない。


(ギルマスがクレアの復讐を受け入れたとしたら? 確かに《夜明けの旅団》を死に追いやったのは彼女だ。だが自分が死ねばジャックが暴走することは分かっていたはず。それにクレアは《狩人》の構成員じゃない。三年前に何か見ていた、それとも誰かから情報を得た?)


 短剣をアイテム・ストレージに回収し、ふとクレアの指先が紫に変色していることに気づく。変色はギルマスの腕や首元にも広がっていた。


(この独特な香りは……どこかで)

「先輩、治癒魔法もアイテムも効果がありません! それとジャックさんに呼びかけても返答がないです!」


 声をかけてもジャックは俯いたまま、もう目覚めることのないギルマスを見つめていた。


「イヒヒッ」

「どんなに呼んでも」

「その男は答えない」

「拮抗していた魂が我らと同調し」

「世界を再び旧人類が支配する!」

「アハハハ」

「フフフッ」

「ああ、愉快。愉快」

「幸せからの絶望、最高のスパイス」

「楽しい」

「さあ、殺し合え」

「「「「「いつものように」」」」」


 耳障りな笑い声が耳に届く。

 どうやらこの声は漆黒花から生じたもののようで、墨汁をぶちまけたような斑らのある黒い花──漆黒花が玉座の間を覆い尽くす。

 彼岸花に似た形の花が風もないのに躍るように揺らいだ。


(クソッ。せっかく救える方法が見つかったっていうのに……!)

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