5-3【襲撃】
落ちる。落ちる。
アデーレの身体が、時速約二百キロメートルのスピードで地上へと落ちている。
アデーレはスカイダイビングを行う人々の姿を思い出し、腕と脚を広げる。
こうすれば速度が落ちるらしい。
「って、意味ないからぁー!!」
スカイダイビングならば、まずはパラシュートだ。当然そんなものはない。
自分が無駄なあがきをしていることに気付き、涙目になりながら眼下を凝視する。
一体どれくらいの高さから落ちているのか。既に二十秒以上は過ぎているはずだ。
(落ち着いてっ。僕が何とかするから!)
頭の中で、アンロックンが頼もしい言葉をアデーレに送る。
アンロックンは、生身で屋根から下りても落下速度を相殺し、安全に着地できるようサポートしてくれる。
今回も、その力でどうにかなるということだろうか。
(さすがにこの速度を相殺するのは難しいかな!!)
今すぐ投げ捨ててやろうかと、心の中で悪態をつくアデーレ。
しかしそれは止めておくべきだ。助かる命も助からなくなる。
「じゃあ、ここで変身!? 変身するのッ!!??」
(そうだね! それが一番安全だよーっ!!)
「最初からそれを言えーっ!!」
こんな窮地で、何と呑気な会話をする二人か。
しかしアデーレは必死だ。
急いでポケットからアンロックンを取り出すと右手で構え、左手を前方にかざす。
左手に集約する炎。それが変身の為の鍵を形成する。
左手に持った鍵を、アンロックンの鍵穴に差し込む。
「間に合えぇぇーっ!!」
アデーレの全身が炎に包まれる。
その間にも地面はどんどん近付いていき、先ほどまで小さく見えた港町が、かなりの大きさになっている。
通りを歩く人の姿も確認できそうだ。
瞬間、身体の炎が霧散し、右手にフラムディウスを構えたヴェスティリアの姿が現れた。
「ああああぁぁーっ!!!」
目前には、石畳の模様が綺麗に映っていた。
ロントゥーサの屋外魚市場に、特大の土煙が立ち上る。
飛び散る魚介類。荷車の破片が宙を舞い、周囲の人々は慌ててその場を離れる。
土煙が風に流されると、砕けた石畳の中心に、フラムディウスを下段に構えて着地するヴェスティリア・アデーレの姿があった。
周囲の地面は少しだけえぐれ、小さなクレーターのようになっていた。
「はぁ……はぁ…………はぁー……」
剣を地面に突き立て、そこにもたれかかるアデーレ。
自分の脚が無事大地に付いていることを実感し、全身が一気に脱力してしまったのだ。
その表情は、この世の地獄を脱した後かと言わんばかりに
「あ、え……ヴェスティリア、さま?」
近くにいた漁師が、恐る恐る声をかけてくる。
「……はい。えっと、すみません。お騒がせして」
「いえいえっ、いいんですけどね。ええ……大丈夫ですか?」
「大丈夫。大丈夫……はぁ」
今回の事態は、彼女にとって最大の危機だったと言える。
魔獣討伐の時でさえも、ここまで死を間近に感じたことはなかったからだ。
事実、自分が無事地面にいることで、生きている実感が全身を駆け巡っている。
そして同時に、二度目の死が志半ばでの落下などというしょうもない結末にならなかったことに、深く安堵した。
そんなアデーレの耳に、更なる轟音が伝わる。
一つや二つではない。数えきれないほどの破壊音が、港町のあちこちから轟いた。
「かっ、怪物だーッ!!」
人々の悲鳴を聞き、アデーレの身体に力がみなぎる。
脱力した表情は瞬時に戦士の顔に変わり、手にしていたフラムディウスを鮮やかに地面から抜く。
「ひゃあっ!?」
急に動き出したヴェスティリアに驚いて、先ほどの漁師が尻もちをつく。
「あっ、ご、ごめんなさい。とりあえず安全な場所に避難を!」
残念ながら、彼に手を差し伸べている暇はない。
アデーレは悲鳴のする方に顔を向け、その場から跳躍する。
大小様々な魔獣が、港町の各地に出現する。
ある魔獣はその巨体を活かし、周囲の建物に被害を及ぼす。
ある魔獣はその素早さで、逃げ惑う人々を追い詰める。
その醜悪な容姿で。その凶悪な爪で。その強大な力で。
抵抗する術を持たぬ人々は、奴らの手によって命を奪われるしかないのか。
……否。断じて否だ。
「はああぁぁぁっ!!!」
巨大な魔獣を一刀両断する、炎の刃。
爆散する巨人。炎と煙が空に昇り、霧散していく。
その中心に、大剣フラムディウスを携える巫女の姿があった。
「あ、ありがとうございます!」
追い詰められていた親子がその巫女……ヴェスティリアに礼を言い、その場を立ち去る。
親子の背中を見送ったアデーレが、フラムディウスを肩に担ぐ。
その表情には、若干の疲れが見て取れた。
「ロックン、これで何匹目?」
「七匹目だね。巨人だけで」
ここに来るまでアデーレは、多数の魔獣をその剣で切り伏せてきた。
小型魔獣で優に二十は下らないほど。巨人型はアンロックンの言う通りである。
これほどの大規模侵攻は、アデーレにも経験がなかった。
それでも、人的被害は今のところ防げていると言える。
なぜならこの場で戦っているのは、アデーレだけではないからだ。
「行け! 行けぇ!! 民を守るぞぉー!!」
シシリューア共和国の軍服を着た兵隊。
そう、あの指揮官と共にやってきた本島の衛兵たちが、その身を挺して魔獣と戦ってくれているのだ。
彼らは非常に勇敢だ。
小型の魔獣ならば果敢に挑み、巨人相手でも怯まず、複数人で侵攻を阻止しようと策を練る。
結果的に、彼らの中には重傷を負う者や、命を落としかねない者も現れる。
それはこれまでにもあったことであり、そういうときはアデーレが駆け付け、彼らを助けて来た。
そういった相互扶助が、兵隊たちのヴェスティリアに対する信頼に繋がっているのだ。
「おおっ、ヴェスティリア殿!!」
アデーレの背後から、一際大きな声が掛けられる。
振り返るとそこには、誰よりも堂々とした共和国兵。
この部隊にして艦隊の指揮官が、サーベル片手に立っていた。
彼はエスティラも認める、ヴェスティリアのファンである。
「指揮官さん。そちらは大丈夫ですか?」
「もちろんですとも! あなたのおかげで魔獣との戦い方も分かってきましたし、これくらいっ」
このような状況下でも、笑顔を絶やさぬ指揮官。
自信過剰にも感じられはするが、今はその心意気が頼もしく思えた。
指揮官が周囲に魔獣がいないことを確認すると、何を思ったのかサーベルを収めてアデーレの方へ歩み寄ってくる。
「ところでヴェスティリア殿。あなたにも耳に入れておいてほしいことが一つありまして」
相当重要な話なのか、急に真面目な表情に変わる指揮官。
まさか深刻な状況が進んでいるのではないかと、アデーレは身構えた。
「見ての通り、町は多数の魔獣による襲撃で混乱を極めております」
「うん。早く何とかしないと」
「その通りです。これに先駆け、エスティラ様から我々に指令が出ております」
急に上がるエスティラの名前に、わずかに驚きの表情を見せるアデーレ。
有事の際に彼女が口を挟むことは、今日まで一度たりともなかった。
それなのに、この窮地において急に前に出てくるとはどういうことなのか。
現在のロントゥーサ島では、エスティラはこの島で最も位の高い人物ではある。
代表である人物が指示を出すというのは、混乱を鎮める効果もあるだろうし、避難する町民たちの指針にもなる。
そういう事情を加味すれば、おかしな行動ではないのだが。
「現在は避難民受け入れのため、別邸の門を解放しております」
「屋敷に? つまり、あそこに町民を集めていると?」
「はい。なので我々は、一匹たりとも魔獣を屋敷に近付けず、尚且つ町民をそちらへ誘導している最中でして」
「なるほど」とつぶやき、顎に手を当てるアデーレ。
海側から侵攻する魔獣に対し、小高い丘の上にある屋敷への避難というのは、袋小路に追い込まれているという風にも判断はできる。
しかし、これまでアデーレが町中で魔獣を討伐している中で、少なくとも丘の反対側……内陸側からの侵攻は行われていない。
いざとなれば、人々を内陸側に逃がすことも出来るだろうし、屋敷に人々が集まるのは守るのに適している。
しかし、アデーレにはその判断にどうしても不安がぬぐえなかった。
「そいつはちょっと……いや、かなりまずいな」
アデーレが発言するよりも先に、フラムディウス……アンロックンが口を開く。
ヴェスティリアが喋る剣を携えているというのは周知のため、指揮官は驚かない。
しかし、発言内容に対しては不安を抱いたのか、眉をひそめる。
「まずい、とは……?」
「ヴェスティリア、彼には魔女のことを説明しておこう。あの屋敷に、敵が潜伏していると」
「なんですとっ!?」
そんなことを思いもしなかっただろう。
指揮官は驚愕の表情を浮かべ、アデーレとフラムディウスを見比べる。
「……あの屋敷には、魔獣を転移するための陣が展開されてます」
「そ、それを用意したのが、屋敷に潜伏する魔女とかいう輩だとっ?」
頷くアデーレ。
まさに寝耳に水であっただろう話を聞かされ、指揮官の顔色は悪くなっていく。
「まずいですぞ。既に屋敷には相当数の町民が押し寄せてっ」
「分かりました。なら私はこれから魔獣を倒しつつ、屋敷の方へ向かいます。衛兵の皆さんは……」
「お任せをっ。町民を守りつつ、屋敷ではなく島の内陸方面へと避難するよう誘導しましょう!」
すぐさま勇ましい兵士の顔に戻った指揮官が、拳で胸を当てながら答える。
話の分かる指揮官で助かると、アデーレは胸を撫で下ろした。
しかし、これが魔女の計画通りならば、アデーレ達は完全に後手に回っている。
時間の猶予はほぼ残されていない。
屋敷に到着したときには、魔女と直接対峙する可能性も高いだろう。
最後の戦いは近い。
アデーレは緊張から息を飲み、フラムディウスを握る手にも自然と力が入る。
(あの屋敷に、守らなければならない人たちがたくさんいる)
丘の上の屋敷を見上げる。
依然屋敷の周辺に魔獣の気配はなく、この状況においても異様な平穏を保っているようだった。
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