第五幕【夢のヒーロー】

5-1【暗黒大陸の魔女】

 ランプの明かりに照らされた、ロベルトの部屋。

 アデーレとロベルト。それにミハエル。

 三人が部屋のテーブルを囲い、テーブルの上にはアンロックンが置かれていた。


 アデーレとロベルトの表情は険しく、ミハエルはそんな二人を不安げに見比べている。


「さて……いよいよ姿を現したわけだ」


 沈黙を終わらせたのは、アンロックンの一言だった。




 アンロックンによって危機を脱した後、屋敷の中は大騒動となった。

 使用人を狙った謎の存在。

 そいつは誰にも気付かれず屋敷の中に侵入し、異様な力で人々を惑わし、そして何かを施す。

 魔女に関する詳細はあえて明かさなかったものの、昨今続く魔獣騒ぎに絡んでいると、屋敷にいた誰もが考えたことだろう。


 アデーレと、彼女が助けた使用人は、その後皆の介抱を受けることとなった。

 その中でも印象的だったのは、使用人室にいたアデーレ達の前に、エスティラが姿を現したことだ。

 エスティラはお供を連れることもなく一人で使用人室まで下りてきて、そして異形に襲われたアデーレ達の元へ駆け寄った。


『あなた達、大丈夫? 何もされていないわよね?』


 二人を気遣うその言葉に、周囲の使用人は皆戸惑っていた。


 使用人に対して厳しく、そして近寄りがたい雰囲気も見せて来たエスティラの労り。

 どうしてそんな言葉を投げかけたのか、アデーレには察しがついていた。


 異形に襲われたとなれば、エスティラも魔女が絡んでいると考えるのが自然だろう。

 つまり、自分を取り巻く危険な状況に、近しい他人を巻き込んでしまったのだ。

 そのような事態を、エスティラがどう受け止めるのか。

 中庭で憂いある表情を目の当たりにしたアデーレは、彼女が責任を感じないはずがないという考えに至った。


 最初に狙われた使用人の少女の手を、エスティラは優しく握っている。

 その姿が、アデーレの記憶に強く刻みつけられた。


『お嬢様……そんな、滅相も…………私は、アデーレさんに守っていただいたので』

『そう。よかった、あなたが傷つけられなくて』


 微笑むわけでもなく、神妙な面持ちでつぶやくエスティラ。

 そんな彼女を見つめるアデーレは、なぜか胸が締め付けられるような感覚に襲われるのだった。




 その後訪れたロベルトの部屋。

 そこでアデーレは、魔女のことを協力者であるロベルトに伝えることにしたのだった。


「まず、アデーレが無事で本当に良かった。あの虫は体内に侵入して、人間を中から食い散らかす危険なものだよ」

「な、中から……」


 グロテスクな想像をしてしまい、アデーレの表情が一気に青ざめる。

 子供であるミハエルは、既に泣き出しそうだ。

 そもそも、子供に聞かせるような話ではないのだが。


「そんな虫を、なぜアデーレさんに差し向けたのでしょうか?」

「おそらくだけど、自分の傀儡くぐつに作り替えるためだろうね」

「傀儡……操るってこと?」

「その通り。最初はアデーレが助けたあの子を利用しようとしたんだと思うよ」


 アデーレが助けた使用人は、幸い身体も精神も異常がなかった。

 アンロックン曰く、アデーレが見つけた時の様子は魔女の術をかけられた状態であり、一時的なものだということだ。


「自分の元に使用人を誘い込み、虫によって表面上傷を負わせずに殺害。後はその死体を操る……といったところだろうね」


 聞けば聞くほど残虐非道な行為だと、嫌悪感を露にするアデーレ。

 文字通り人の尊厳を踏みにじる、到底許すことのできない悪行である。

 そのような手段をためらいなく行使するのが、自分達が相手にしていた魔女の本性ということだ。


 今でも思い出すのは、あの触手によって構成された不気味な腕。

 それだけでも、人間からはかけ離れた異形の怪物であることは明らかだ。


「ただね、傀儡を作って何を企んでいるか。それは分からない」

「そうですね。傀儡を利用してお嬢様に害をなすつもりだったのでしょうが」


 ロベルトの言葉に、アデーレは深くうなずく。

 屋敷の使用人ならば、その気になればいつでもエスティラに接近できる。

 魔女の傀儡と気付かれなければ、エスティラも警戒せずに使用人と接することだろう。

 接近すれば、後は魔女の思うがまま……というわけだ。


 問題は、そのような方法で接触する理由がわからないということなのだが。


「魔女ってめんどくさいことをするんだね」


 皆の話を恐る恐る聞いていたミハエルが、遠慮がちに発言する。

 しかし、彼の意見は最もである。


 魔獣召喚の術を有し、人を暗殺する虫を使役する魔女が、自らエスティラに接触することなく、からめ手で周囲に害を成す手段を講じてくるのだ。

 何らかの意図がなければそのような方法を用いる必要はないし、下手に策を講じると、今回のようにイレギュラーな事態によって失敗することだってある。

 魔獣の召喚についても、エスティラを直接狙う訳ではないことがこれまでの傾向で明らかとなっている。


 あの魔女がどのような考えで行動し、そして策を張り巡らせているのか。

 この場にいる皆には、その意図が一切分からなかった。


「一つはっきりしているのは……」


 アデーレが口を開き、顔を上げる。


「もうすぐ、何らかの形でお嬢様に危害を加えるつもりでいる。それは確実ですよね」


 静かにうなずくロベルト。アンロックンも異存はないのか、口を挟まない。


 今回の一件が、近いうちに何らかの行動に出る為の下準備であることは間違いない。

 アデーレ達はそれに備えなければならないし、魔女が動き出したその時こそが正念場なのだ。


 魔女の考えが読めない以上、後手に回らなければならない。

 これまで以上に気を引き締め、異常に対し警戒しなければならないのだ。

 それがどれだけ精神的に消耗するか。

 天井を見上げたアデーレが、深いため息をつく。


「絶対に……」


 面倒なことになった。

 しかし、アデーレの心中には強い決意があった。


 ――エスティラを守り、島に災いをもたらす元凶を倒す。


 アデーレがテーブルの方へ顔を向ける。

 自らの魂の半身である錠前。

 突然に与えられ、扱う重責を課せられた強大な力の源だ。


 これは誰でもない、アデーレのみが扱うことを許されたものだ。

 これを手にする自分だけが、全てを解決する術を持っている。

 責任と覚悟。

 錠前に手を伸ばし、握りしめたそれを胸元に当てる。


 目を閉じ、うつむくアデーレ。


「絶対に、助けよう」


 今のアデーレに、迷いはない。

 生まれた時から責任を負う宿命にあったエスティラを、必ず守り切る。


 開いた彼女の眼には、確かな決意が宿っていた。

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