4-3【同情か、怒りか】

 落ち着いた室内に、間隔を置いて並べられた二つのベッド。

 奥の壁には大きな本棚があり、革表紙の分厚い本が大量に並べられている。


 基本的な内装は客室と変わらないが、ここはロベルトの私室である。

 窓際には、他の客室にはない子供用の机が置かれており、それがミハエルの為のものであるのは一目で察しがついた。


 アデーレは部屋の中央に置かれた丸テーブルの席に着き、紅茶の用意をするロベルトを見つめていた。


「去年の暮れに妻が他界しまして。以来旦那様のご厚意で、息子もこちらでお世話になっているのです」


 アデーレの前に、紅茶の注がれたティーカップが置かれる。


「じゃあ、奥様が亡くなってからはお一人で?」

「いえ。近場に親類縁者はおりませんが、屋敷の皆様から気にかけて頂いております」


 ベッドの上に転がるミハエルを、ロベルトが愛おしそうに見つめている。

 ミハエルは寝そべって、童話集を読んでいるようだ。


「それが少しでも、寂しさの埋め合わせになっていればよいのですが……」


 アデーレの向かいの椅子に、ロベルトが腰かける。


「さて、まずはあの子を助けていただき、ありがとうございました」

「あ、いえ。その……」


 深々と頭を下げるロベルト。

 戦うことで礼を言われたことのないアデーレは、反応に困り言葉を失う。


「あなたに助けていただいた日に、あの子が何か隠し事をしていることに気が付きまして。それで少々強めに問い詰めてしまい、あなたのことを知る運びとなりました」

「な、なるほど」


 ミハエルを横目に、アデーレが頷く。

 たった一人の父親に問い詰められてしまったら、口を割るのも致し方ない。


「時に、あなたが戦う理由は、旦那様のご指示によるものでしょうか?」

「旦那様? いえ、私は自分の意志で戦っているだけで」


 首を横に振るアデーレ。

 ロベルトの言う旦那様とは、エスティラの父でありバルダート家の現当主、ドゥランのことだろう。

 しかしアデーレが彼を見たのは六年前の一度きりだ。


「そうでしたか……」


 口元に手を当て、ロベルトが考えこむ仕草を見せる。


「魔獣の出現に、何か心当たりがあるんですか?」


 アデーレの率直な質問に、ロベルトは表情を変えずに頷く。


「確証があるわけではございません。ですが……」

「話していただけませんか? もしかしたら、解決を早めるきっかけになるかも知れません」


 問われたロベルトが、目を閉じ思案する。

 しばらくの後、彼は小さく息を吐き、改めてアデーレの顔を見つめる。

 決意を固めた。そういった表情が、彼の顔にはあった。


「ええ……そうですね。あなたとは情報を共有しておくべきでしょう」


 真剣な面持ちで、互いが向き合う。

 そして……。


「表沙汰にはなっておりませんが、現在この国は分断の危機にあるのです」




 シシリューア共和国は、かつて大陸を発祥とする大帝国から独立した、十数の小国の一つである。

 建国時は国王の統治による君主制国家だったが、産業によって力を付けた貴族たちの台頭で王家は求心力を失い、現在の貴族議会による共和制国家となった。


「バルダート家は主に鉱山業で財を成し、現在の地位を確立していきました」


 淡々と語るロベルトの言葉に、静かに耳を傾けるアデーレ。


「蒸気機関の誕生で、特産でもある溶鉄鉱の需要は増大し、最初はその特需に沸きましたが……」

「うまくはいかなかったんですか?」

「ええ。大陸各所で採掘が活発になると、シシリューア産の溶鉄鉱は輸出から国内消費が主になりました」


 前に溶鉄鉱が竜の身体であると教わったことを思い出す。

 世界中に竜の体が眠っているのかと、心の中で驚く。


「このままでは国際的な競争力を失うと考えた旦那様は、技術開発に注力する方針へと転換しました」

「技術……それはうまく行ったんですか?」


 アデーレの問いに、ロベルトはうなずく。


「熱を失った溶鉄鋼の再利用。鉄くず同然のそれを製錬し、素材として再利用する技術を確立しました」


 そこまで話したロベルトが、おもむろにポケットから何かを取り出す。

 テーブルに置かれたそれは、懐中時計と思われる丸く滑らかな金属だった。

 磨かれた表面が、光に照らされ銀色に輝く。


「この金属は【シシリュアン鋼】と名付けられ、特に熱に対して強い耐性を持っております」

「熱に強い……ということは、蒸気機関の部品に使いやすいってことですね」

「その通りです。アデーレさんは産業機器にも詳しいのですか?」

「えっ? ええっと、まぁ。なんとなくそうなのかなと」


 転生以前に見聞きした知識で発言してしまったことに気付き、苦笑でごまかすアデーレ。

 この世界の教育基準では、庶民に対して蒸気機関の仕組みを教えるわけがない。

 ロベルトの話に、一島民であるアデーレが理解を示せば、それだけ注目されるのは当然だ。


 とはいえ、転生や別世界の話を持ち出してしまえば、それこそ話の方向性がおかしくなってしまう。

 ここはあえて詳しい説明を避け、愛想笑いで軽く流すことにした。


「シシリュアン鋼の精錬や加工の技術は門外不出とされており、部品生産等は全てバルダート家の所有する工場で行われております」


 元いた世界でいえば、特許や独占に関する話だろうか。


「この技術は国を支える柱の一つです。そしてこれらを狙う組織もまた、多く存在します」

「それが、国家の分断に関わっているということですか?」

「その通りです」


 深いため息をつくロベルト。

 その表情からも、深刻な状況であることは明白だった。


「ここ数年、現状維持を支持する共和派に対し、王政復古を目指す王党派の動きが活発になってきております」

「えっ? 今更?」

「そう思われて当然でしょう。ですが産業革命の時代に、先進技術で優位に立つ我が国がより高い地位に立つには、優れた為政者による統治こそが必要と考える者達が確実にいるということです」


 転生者であるアデーレにとって、君主制は古い政治体制という印象が強い。

 貴族議会というのも馴染みのない体制ではあるのだが。


「バルダート家にも、先代当主を中心に王党派への転換を目指す動きがありまして……」


 ロベルトの表情が、より深刻さを増したように見えた。


「旦那様の後継者……長女のエスティラ様と、弟のアルフォンソ様が、彼らの標的となっているのです」

「……え?」


 アデーレの表情が険しくなる。

 エスティラに弟がいたことは初耳だったが、何より標的という言葉に驚きが隠せなかった。


「命を狙われているんですか?」

「いえ。王党派の者達は、傀儡かいらいとしてお二人どちらかを利用するおつもりなのです」

「傀儡って……」


 傀儡……アデーレは嫌悪感を隠すことが出来なかった。

 エスティラや、見ず知らずの彼女の弟に特別な感情を抱いているわけではない。

 しかし、他者の意思を無視した上で、都合よく利用しようなどという考え方は、到底受け入れられるものではない。


 ただでさえ、貴族故に後継者としての使命を背負わされるというのに。


「次期当主の権利を有するアルフォンソ様は、王党派の者の手が及ばぬよう、旦那様自らが率先して守っています」

「そ、それじゃあ、お嬢様がこの島に来たのって……」

「王党派の手が及ぶ中央から、少しでも距離を置く為です」


 直系の男子を傍に置いて守る。その理屈は理解できる。

 しかしアデーレは、弟との扱いの差に怒りを感じずにはいられなかった。


 同じ血の繋がる子供を、守るためとはいえ僻地へと送る。

 アデーレには、それがエスティラを邪魔者として扱っているように見えてしまう。

 更に、その島では魔獣の出現が相次いでいるのだ。


 そして、アデーレはあることに気付く。気付いてしまった。


「まさか、この島に魔獣が現れているのは、王党派が手を回してるって話なんですか?」


 わずかな沈黙の後、ロベルトがゆっくりと口を開く。


「確証はありません。ですがシシリュアン鋼の製法を対価に、王党派が暗黒大陸に住まう魔女の一人と手を結んだという噂があるのは事実です」

「そんな……そのこと、お嬢様は知っているんですか?」


 首を縦に振るロベルト。

 同時に、アデーレの脳内に衝撃が走った。

 つまり、これまでの魔獣の出現が自分に向けられていることを、エスティラは知っていたということだ。


「ロントゥーサ島へ向かうと決めたのは、これを知ったお嬢様の意志なのです」


 もはや言葉もなかった。

 あらゆる感情が、アデーレの頭を駆け巡る。

 政争への嫌悪感や、故郷に魔獣が現れるきっかけを作ったエスティラへの複雑な思い。


 エスティラに対し怒りを向ければいいのか。それとも同情すればいいのか。

 アデーレには、答えを見出すことは出来なかった。


 ただ一つ。ロントゥーサ島に潜む暗黒大陸の魔女という存在だけは、どうにかせねばならない。


「だから、魔獣と戦う私が、旦那様と繋がっていると思ったんですね」

「はい。ですがご自身の意志で戦っているとは」

「故郷を守るのは、当然のことですから」


 やや強めの口調で言い放つアデーレ。

 それを聞いたロベルトは、アデーレの胸中を巡る怒りに気付いたのだろう。


「……申し訳ございません」


 ただ静かに、謝罪の言葉を継げるロベルト。

 しかし、執事であるロベルトに謝罪を要求することに意味などない。


 怒りを隠しきれていないことに気付き、アデーレは慌てる。


「あっ……えっと……すみません。私の方こそロベルトさんに」

「いえ。ロントゥーサ島に危険をもたらしたのは事実ですから」


 俯くロベルトを、アデーレはただ申し訳なさそうに見つめることしかできなかった。

 しかしそこで気付く。

 ロベルトの目から、何かを決意したような強い意志を感じたのだ。


「アデーレさん」


 ゆっくりと顔を上げるロベルト。

 その真剣な表情に、アデーレも釣られて背筋を伸ばす。


「あなたがこれからもヴェスティリアとしての務めを果たせるよう、私にも協力させてください」

「えっ?」

「今日のように、お嬢様の傍にいては務めに支障をきたすこともあるでしょう。そのようなときは、私にお任せください」

「ロベルトさん……」


 それは、アデーレにとって願ってもない提案だ。

 今のままでは満足に魔獣との戦いに向かうことができないのは事実だし、いつまでも協力者も無しに戦いを続けることも難しい。


「僕は彼を信用していいと思うよ」


 アデーレが考え込んでいたところに、ポケットの中にいたアンロックンが外に飛び出し、ロベルトの前に姿を現す。

 突然現れた喋る錠前には、さすがのロベルトもわずかに体を震わせた。

 ミハエルは初見でなかったためか、父のような驚きの様子は見せない。


「ロックン、急に出てこないで」

「仕方ないだろう。君達が大事な話をしているというのに、ポケットの中では退屈だったんだ」

「あ、あの……これは、一体?」


 普段落ち着いた様子のロベルトでも、さすがに状況が飲み込み切れないのだろう。

 戸惑った様子で、アデーレとアンロックンへ交互に視線を移している。


「ああ、ごめんね。僕はアンロックン、命名したのは彼女。ヴェスタの使いとでも思ってくれていいよ」


 左右に揺れ、乾いた金属音を響かせながら喋るアンロックン。

 自身がヴェスタ本人であることを隠したのは、彼女なりの気遣いだろうか。


「火竜ヴェスタの……ではあなたが、アデーレさんに巫女の力を与えたのですね」

「そういうこと。理解が早くて助かるよ」


 軽やかに一回転すると、今度はアデーレの鼻先にアンロックンが近づいてくる。

 それをアデーレは鬱陶しそうに掴み、引き離す。


「私も、ロベルトさんは頼りにしたいと思ってるよ。でも聞いたでしょ、魔女の話」

「彼が協力者だとばれたら、彼やそこの少年にも危害が及ぶ可能性があると?」

「それが分かってるならっ」

「でもね、協力者の存在がばれるトコまで追い込まれたら、既にこの島を守るのは失敗していると僕は思うよ」


 アデーレは口を閉ざす。


 初めて魔女の存在を知らされたアデーレに、その所在や正体など知るはずもない。

 しかし同時に、魔女もまたこちらの正体に気付いていないだろう。

 でなければ今頃、アデーレの周囲に危害が及んでいてもおかしくない。


「今の君は、魔女が狙う相手の一番傍にいることができる。守るのに都合のいい状況にあるわけだ」

「それはそうだけど……」

「ならば、同じように彼女が狙われていることを知り、そして守ろうとしている彼としっかり手を組んでおくべきだ」


 アデーレの手を離れたアンロックンが、テーブルの上に着地する。


「魔獣の攻撃を阻止し続ければ、いずれ魔女はしびれを切らせて行動に出る」


 アデーレとロベルトの顔を見比べるように、左右に振り返る素振りを見せるアンロックン。


 王党派との契約がある以上、悠長にエスティラを追い詰める時間はないはずだ。

 魔女側の猶予が失われれば、アンロックンの言う通り強硬手段に及ぶ可能性は十分にあり得る。


「きっとそれは、相当に混乱した状況になる。その時に一人でも仲間がいれば、必ず助けになるものだよ」

「……でも、それってお嬢様を囮にしているような」

「仕方のないことだよ。僕らが正体を隠すことに気を遣っているように、魔女だってそう簡単に尻尾を掴ませはしないんだから」


 俯くアデーレを諭すように、アンロックンが落ち着いた様子で語り掛ける。

 やはりこれはヴェスタであり、神なのだという実感をアデーレに抱かせた。


「アデーレさん、彼の言う通りです。お嬢様も相応の危険を承知の上で、この島に滞在しているのですから」


 その島が自分の故郷だと思うと、アデーレの心境は複雑なものになってしまう。

 島の危機には、断固として対抗する覚悟はできている。

 しかし、なぜこの島でなければならなかったのか。

 なぜこの島に、危険をもたらさなければならなかったのか。


 宿命に翻弄されることに対する同情と、故郷を巻き込んだことに対する怒り。

 エスティラに対するアデーレの思いは、そう簡単に割り切ることのできない複雑なものになりつつあった。


 しかし、ただ一つ。確実にやらなければならないことはある。


「……うん、分かった。魔女が現れたときは、必ず倒す。うん」


 自分に言い聞かせるようにうなずくアデーレ。


 何もわからず、唐突に巻き込まれた異形との戦い。

 その裏に潜んでいた陰謀が、アデーレの胸中で怒りへと変わり、確実に蝕んでいく。

 強烈な不快感を、アデーレはただ眉をひそめて耐えるのだった。

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