4-2【ヴェスティリアの協力者】

 アデーレは焦っていた。

 今彼女は、エスティラの傍を離れることができない。

 使用人が勝手な理由で主人の世話を放棄するなど、以ての外だ。

 しかし、たった今どこかで魔獣が召喚され、島に被害をもたらそうとしているのだ。


 ポケットの中で、アンロックンがカタカタと揺れるのを感じる。


「え、なにっ! 外!?」


 カーペットの上にティーカップが落ち、こぼれた紅茶が染みとなる。

 それを気にすることなくエスティラは立ち上がり、窓の方へ歩み寄る。


 彼女の背後から、アデーレも外の様子を伺う。

 この部屋の窓からは、外の様子がよく見える。

 どうやら港町の中心部で、大きな土煙が立ち上っているようだ。


「まさか、この間の化け物がまた現れたっていうの?」

「おそらくは……」

「私の島で、また……ッ」


 窓に映るエスティラの顔に、怒りが滲んでいる。

 だが、彼女の表情の裏には、また別の雰囲気があるように感じられた。

 それが何なのか、アデーレに察することは出来なかった。


 しかし、私の島というのは少々語弊があるようにも感じられてしまう。

 だが今は、彼女を気にしている場合ではない。

 早く現場へ向かい、魔獣を倒さなければ島の人々が危ない。


「私が様子を見てまいります」


 とりあえずそれらしい理由を付けて、退室しようとする。

 だがすぐに、エスティラがアデーレの腕をつかむ。


「バカ言ってんじゃないわよっ、アンタは私とここにいるの!」

「で、ですが、もしも両親に何かあったら……」

「そういうのは衛兵に任せなさい! アデーレが行っても邪魔なだけでしょうが!」


 こういう時に、どうしてこうも常識的な注意をしてくるのか。

 静止を振り払いたい気持ちを抑え、何かここから抜け出す方法はないと頭を働かせるアデーレ。


 そのとき、いつの間にか二人の傍まで移動していたロベルトが、エスティラの手に手袋をした自らの手を優しく重ねる。


「お嬢様、万が一のこともあります。今は屋敷の安全な場所へ移動しましょう」

「ロベルトっ……ええ、分かったわ。ほら、アデーレも行くわよ」

「彼女には必要な備品を用意させますので、お嬢様はお先に避難を」


 一切表情を崩さず、諭すような口調で語り掛けるロベルト。

 その言動は、まるでアデーレをエスティラの傍から離れられるよう、協力しているようにも聞こえた。


 彼の言葉にうなずくエスティラだったが、その表情からして納得はしていない。

 しかし、彼の真剣な眼差しにはある種の圧のようなものも感じられる。

 最後には渋々といった様子で、腕をつかむ手を放した。


「避難先は分かるわよね。アンタもさっさと来なさいよ」


 アデーレの顔を睨みつけるエスティラ。


「ありがとうございます。それでは、失礼いたします」


 アデーレは深々と頭を下げ、早足で部屋を後にする。

 そして静かにドアを閉めると、今度はスカートのすそを上げ、全力疾走で玄関を目指す。

 周囲では慌てた様子の使用人たちが、各々緊急時の準備を進めている。


(あんまり時間をかけ過ぎたら、お嬢様に怒られそうだね)


 脳内にアンロックンの声が届く。


(分かってる。最速で仕留めに行くから)

(いいね、やる気が出てくるよ。さあ、急ごう!)


 飛ぶような勢いで階段を降り、玄関ホールへ。

 そのまま扉を開け放ち、前庭へ飛び出す。


 周囲に人の姿はない。

 それを確認したアデーレはポケットからアンロックンを取り出す。

 同時に、左手に炎の鍵が出現する。


「変身ッ」


 目撃されるリスクがあるが、今はあまり時間がない。

 アデーレは疾走したまま鍵を差し込み、変身の体勢に入る。

 一気に鍵を回し、彼女の体をオーラが包む。

 オーラを纏ったまま、空に向け跳び出すアデーレ。


 オーラが消えた後には、フラムディウスを構えたヴェスティリアが、土煙の上がる町中に向けて跳躍していた。



               ◇



 石畳の破片や土ぼこりを舞い上がらせながら、単眼の巨人が倒れる。

 上空には、フラムディウスの切っ先を巨人に向けたアデーレの姿。


「これで、決めるッ!」


 フラムディウスを逆手で構え直し、投てきの姿勢を取るアデーレ。

 そのまま腕を振りかぶり、巨人の胴体にめがけて投げた。


 フラムディウスの纏うオーラが、まるでレーザーのような軌跡を残して巨人の身体に突き刺さった。


「ギャアアアァァァ!!」


 大地まで揺らぐような巨人の悲鳴。

 そこに、右脚を突き出したアデーレが、フラムディウスの柄めがけて急降下する。

 それはいわば、特撮ヒーローが放つ必殺キックの姿勢だった。


 アデーレの脚がフラムディウスの柄頭に当たり、刃はさらに深く巨人の身体に沈み込む。

 その瞬間、凄まじい閃光が刃から放たれ、巨人の身体を爆散させた。


 巨人が消滅した後の大通りには、フラムディウスを足で地面に深々と刺し込んだアデーレの姿があった。


「ねぇ、さすがに僕を足蹴にするのはひどくないかい?」

「剣をキックで撃ち込むのは定番の必殺技だよ」

「それ、本当に定番なの?」


 愚痴をこぼすアンロックンを見下ろすアデーレ。

 その姿は、どこかサディスティックな空気を醸し出すものだった。


「それより早く戻るよ。これ以上は誤魔化すの難しそうだし」


 そう言いながら、アデーレはフラムディウスを引き抜き肩に担ぐ。

 ここまで約五分。現場到着から魔獣撃破までの最短タイムだ。


(テレビなら、ダイジェストで軽く流される奴だな)


 そんなことを思いながらアデーレは地面を蹴り上げ、エスティラの待つ屋敷へと跳んで戻るのだった。



               ◇



 アデーレが屋敷に戻った頃には、既に安全が確保されたということでエスティラも自室へと戻っていた。


「遅いっ!!」


 眉をつり上げ、怒りを露にしたエスティラの一喝が響き渡る。

 エスティラの剣幕に圧倒され、アデーレは思わず身をすくめる。

 これが、先ほど巨人を最短で倒した剣士の姿である。


「緊急時にこれだけもたつくとか、どれだけノロマなのよ!?」

「申し訳ございません……」

「謝って済む話じゃないわよ! 私の身に何かあったらどうする気よ!!」


 そこでアデーレではなく自身の安否を指摘する辺りは、さすがお嬢様である。


「まっ、ヴェスティリアがいる限り、万が一にもそんなことはあり得ないけどっ」

「はぁ……」


 ヴェスティリアの名前を挙げた途端、満足げな表情を浮かべるとは忙しいお嬢様である。


 どうやらエスティラの中で、ヴェスティリアの信頼感はかなり高いようだ。

 それが自分のことだと思うと、少し照れくさくなってしまうアデーレだった。


「ところでお嬢様、ロベルトさんの姿が見当たらないようですが」

「ロベルトには、ヴェスティリアの活躍に関する情報を集めさせてるの」

「情報?」

「本当なら間近で活躍を見物したいところだけど、そうも言ってられないもの」


 これではまるで、ヴェスティリアの追っかけではないか。

 そんなことを思いながらも、楽しげに語るエスティラの姿に、アデーレは少しだけ目を奪われる。


「私の顔に、何かついていて?」


 そんな視線を察したのか、エスティラが怪訝そうな様子でアデーレを睨みつける。


「いえ……お嬢様が楽しそうで、何よりです」

「はぁ? 何よその保護者みたいな物言いは。生意気!」

「そんなことはありませんよ」

「うっさい! ニヤニヤしてんじゃないわよ!」


 そう言って怒りを露にするエスティラが、今はどこか可愛らしく映ってしまう。

 そんな彼女に、ヴェスティリアとしての自分を気に入ってもらえるのは、悪い気分ではなかった。


 もしもこの世界に転生せず、ヒーローを演じる様子を子供たちに喜んでもらえたら、こんな気分になっていたのだろうか。


「ああもぉ、アンタもう出てって! その顔むかつく!」


 結局へそを曲げてしまったエスティラが、アデーレを部屋から押し出してしまう。

 廊下に追いやられたアデーレの目の前で、勢いよくドアが閉められる。

 ドアから巻き起こる風圧で、アデーレの前髪が揺れる。


「やりすぎたか……」


 この後に来るであろう報復を思い、苦笑を浮かべるアデーレ。

 だが気にしていても仕方がない。

 珍しくエスティラから解放されたアデーレは、他の仕事を求めて廊下を進む。


 そのとき、廊下の曲がり角から小さな人影が飛び出してくる。


「えっ?」


 人影の姿を見て、アデーレは思わず声を上げる。

 そこに立っていたのは、アデーレが最初に変身した際に助けた、あの少年だった。

 当然ながら、この屋敷への関係者以外の立ち入りは厳禁だ。

 そしてアデーレには、関係者の中に子供を連れてくる者がいたという覚えがない。

 そうなると、今目の前にいる少年は敷地へ侵入し、ここまで来てしまったということになる。


 侵入が発覚してしまえば、子供と言えども穏便に済まされるものではない。

 特に彼自身ではなく、両親に厳しい罰が課せられるのは火を見るよりも明らかだ。


「ちょ、ちょっとダメだよっ。何でこんなところに……」


 少年の傍に慌てて駆け寄り、しゃがみ込んで目線を合わせるアデーレ。

 このままアメリアなり先輩の使用人なりに報告するのはたやすい。

 しかし悪意はないであろう少年が、厳しく叱られるのはさすがに忍びなく思えてしまった。


 当の少年は慌てるどころか、アデーレと出会ったことで満面の笑みを浮かべている。


「あっ、空飛ぶお姉ちゃんっ」

「それ人前で言わないで……」


 はっとした表情を見せた少年が、自分の口を両手で塞ぐ。


「はぁ……それで、どうしてお屋敷の中に入ったの?」


 ここで甘い顔をするわけにも行かないと、アデーレが少年の顔をじっと見つめる。

 しかし……。


「え? 今日はもう帰りなさいって、衛兵のおじさんに言われたから」


 と、さも当然のように少年は言うのだった。

 その顔や口調から、嘘をついているようには見えない。


 アデーレは困惑していた。

 屋敷で少年と出会ったことはないし、バルダート家の関係者だとも思えないのだから。


「ミハエルっ」


 聞き慣れた声が廊下の向こうから聞こえてくる。

 声のした方に顔を向けると、仕立てのいい召し物に身を包んだ壮年の男性……ロベルトが駆け寄ってきたところだった。


「ろ、ロベルトさん?」

「あっ、パパ!」

「パパ……パパッ!?」


 少年……ミハエルが立ち上がり、ロベルトの方へと駆け寄っていく。

 その光景を、アデーレはただ呆然と見つめていた。


「よかった。どこもケガしてないか?」

「うん。衛兵のおじさんがね、危ないから帰りなさいって言ってたから」


 そうかそうかと、ロベルトは息子の頭を優しく撫でる。

 普段の冷静な様子からは想像できないその笑顔で、彼が愛情深い父親なのだとアデーレにもはっきりと理解することが出来た。


「あっ、パパ。あのね」


 ミハエル少年が、アデーレの方を指差す。


「この人だよ。僕を助けてくれた空飛ぶお姉ちゃん!」


 ――強烈なめまいが、アデーレに襲い掛かる。


 この少年、アデーレと約束した秘密を、よりにもよってロベルトに話していた。

 これには、ポケットの中に入っていたアンロックンも、一瞬だが大きく震えていた。


「アデーレさんが。そうですか、やはり」

「あ……あ、えっと……その…………」


 ヴェスティリアであることは、公には秘密にするべきことである。

 あのような力はどのような組織によっても管理されるべきではなく、力を持つ個人が全責任を負い、行使しなければならないのだから。

 そうでなければ、集団が有するただの力に成り下がる。

 それはアデーレ……良太の持論という名の小さなこだわりであるが。


 その前提が今、完全に崩れてしまった。

 アデーレの顔が引きつる。

 必死に言い訳を思案し続けているが、誤魔化すに足る言葉など存在するはずもない。


「落ち着いてください。ヴェスティリアのことは口外しておりません」


 が、慌てるアデーレに反し、ロベルトは終始落ち着いた様子で手を差し伸べる。


「ひとまず、我々の部屋に向かいましょう。そこならば誰にも聞かれることはありません」

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