第四幕【シシリューア共和国】
4-1【お嬢様付きのメイドさん】
港での騒動から二日後。
アデーレとの因縁を思い出したエスティラは、実に活き活きとしていた。
「お、お嬢様。そろそろ朝食に向かわれては……」
「ダメよ。そんなこと言ったって逃がさないんだから」
天蓋付きのベッドや、白を基調とした二人掛けソファ。
それに合わせたテーブルなどが置かれた、華やかな一室。
ここはバルダート家別邸の三階にある、エスティラの寝室だ。
エスティラはソファの真ん中に一人で腰かけ、掃除中のアデーレを眺めていた。
当然暇だからとか、そういう理由で観察しているのではない。
彼女はとにかく、アデーレの一挙手一投足に厳しく口を挟んでくるのだ。
「ほら、アンタの仕事は山ほどあるのよ。もっと手早く行いなさい」
にやりと笑うエスティラ。
本来このような掃除は、部屋の主がいないときに行うのがセオリーだ。
なのにエスティラは頑なに部屋から出ようとせず、アデーレの監視に全力を費やしている。
徹底的に躾けるという、港での宣言。
あれは脅しなどではなく、有言実行のつもりで発言していたということだ。
「お嬢様。今後のご予定に差し支えますので、お戯れはほどほどにしてくださいませ」
厳しい監視を受けるアデーレにも、助け舟は存在する。
それは全女性使用人の上司、家政婦のアメリアだ。
アメリアとは挨拶するくらいで、面と向かって話すことは滅多にない。
しかし、彼女は侍女も兼任しているため、エスティラの傍に仕えるようになってからはよく顔を合わせるようになった。
おかげで新人使用人であるアデーレも、すっかり顔を覚えられてしまった次第だ。
「遊びじゃないわよ、アメリア。あなたも出来るメイドが一人いたら助かるでしょ?」
「それは否定しません。ですが私から見て、現在のアデーレに口を挟む必要はそれほどないかと」
「もぉ。ほんっとアメリアは甘いんだからっ」
語り合う二人の様子を、窓を拭きながら眺めるアデーレ。
この二日、アデーレには気付いたことがあった。
アメリアと会話するときのエスティラは、どことなく子供のような笑顔を見せるのだ。
貴族の育児というのは、乳母や経験豊富な使用人が行うという。
きっと二人の関係は長く、実母よりもアメリアと共にいることの方が多かったのだろう。
「ま、あなたが言うなら仕方ないわね。アデーレ、行くわよ」
「えっ? いや、まだ掃除が……」
てっきり二人は朝食に向かうものと思っていたアデーレが、目を丸くする。
「なんて顔してるのよ。掃除は他の子にやらせるから、アンタは付き添い。いいわね?」
エスティラの笑顔には、アメリアに向けるものとは違う、何が何でも逃がさないという強い意志を感じた。
彼女に見られぬよう顔を背け、アデーレは小さなため息をつく。
主の命令には従うほかない。
手にした布を籠に入れ、それを小脇に抱えるアデーレ。
ソファから立ち上がるエスティラは、現状を心から楽しんでいるようだった。
(……ロックン、助けて)
顔に無理矢理笑顔を張り付けながら、心の中で神様に助けを求める。
しかし、人間が助けを求めたとき、神様というのは大抵手を差し伸べてくれない。
薄情者と、アデーレはポケットを恨めしそうに見つめる。
中の錠前はうんともすんとも言わない。
「アデーレっ、ぼさっとしない!」
神には見放され、主人はアデーレを追い立てる。
今この瞬間が、彼女の人生にとって最大の試練なのではなかろうか。
神様と接触したことで、逆に信仰心を失いかけるアデーレなのであった。
一日の中でエスティラから解放されるのは、食事の時間と就寝時のみだ。
今は昼食を済ませ、厨房の隣にある部屋でティーセットや軽食の準備をしていた。
ここは貯蔵庫も兼ねているが、菓子類や保存食を作るための部屋でもある。
「お疲れ様、アデーレ。新しい制服には慣れた?」
「メリナさん……これ、着ます?」
「あ、うん。ごめんね」
隣に立つメリナが、慰めるようにアデーレの頭を撫でる。
ワゴンの上には、これからエスティラに出される菓子類が置かれたスタンドがあった。
ちなみにこれらを作るのがメリナの仕事。そしてここが彼女の仕事場である。
「まぁ、制服はいいものだとは思うんですけど……ね」
自分の着る制服を、改めて眺める。
アデーレが正式?にエスティラ付きの使用人になってから、新たな制服が支給された。
スカートに白いフリルが付き、エプロンドレスやキャップは各所にレースやリボンで飾られた、より華やかなものとなっている。
メリナ曰く、これは主人に付き添う者や、執事のサポートとして来客に応対する者の為の制服。
つまり、家にとってより重要な職務を行う者にのみ与えられるものになる。
それを、新人であるアデーレが袖を通すことになったのだ。
これには彼女自身も驚きを隠せずにいたし、今でも違和感がぬぐえない。
「うんうん。それにほら、ちゃんと似合ってるし」
着慣れない様子のアデーレを励ますように、メリナが背中をさすってくる。
真剣に使用人としてキャリアを積みたい者にとっては、あこがれの制服だろう。
それでも四六時中、主の目の光るところで仕事をするのは遠慮したいはずだ。
その為か、今のメリナのように急に出世したアデーレを労う者はいれど、妬む者はいなかった。
「私、いつか解放されるんですかね」
アデーレがぽつりとつぶやく。
そんな彼女に向けて、メリナは心から優しい笑みを浮かべて……。
「……私も付き合うから。頑張ろう?」
二人のため息が部屋に響き渡る。
火竜の巫女と、エスティラ付きの使用人。
二つの責務が、アデーレに重くのしかかる。
今はただ、メリナの優しさだけ癒しであり、心に深く染み渡った。
「姿勢は正しく。ふらふらしない。それでバルダート家のメイドが務まると思ってるの?」
エスティラの自室でのティータイム。
疲労困憊のアデーレに対し、エスティラの厳しい言葉が突き刺さる。
ティーポットを持つアデーレの手が、わずかに震えている。
室内にはアデーレとエスティラの他、ドアの横で待機するロベルトの姿があった。
午前中共に行動していたアメリアは、食料品買い付けの為に貯蔵庫のチェックをしているところだ。
「とはいえ、淹れるお茶はそこそこなのよね。相変わらず」
目の前のカップに注がれる紅茶を眺めながら、エスティラがつぶやく。
それはエスティラなりの誉め言葉なのだろうか。
「今後我が家に仕えるのならば、更に腕を磨いてもらわないとお話にならないけどっ」
ティーカップ片手に語るエスティラに対し、使用人を続けるつもりはないと胸中で愚痴をこぼすアデーレ。
「まぁいいわ。それよりあなた、そちらに座りなさい」
彼女は何を思ったのか。
エスティラはアデーレに対し、テーブルを挟んだ向かいのソファを指差し、座るように命じてきた。
「え? はぁ……失礼します」
逆らっても良いことはないため、命じられるがままに腰を下ろす。
柔らかく、深く沈み込む座面の感覚。
こちらの世界に転生してから、硬い椅子ばかり使っていたアデーレには違和感を覚えるものだった。
必然的にエスティラと向かい合う形となったアデーレ。
紅茶を飲む彼女の姿は優雅で、気品が感じられた。
「それにしても……ホント生意気よね、あなた」
しかし、開口一番これである。
ティーカップをソーサーに置き、エスティラがアデーレを睨みつける。
その目線はアデーレの顔ではなく、その下の胸に向けられているように見えた。
島の男達からの視線を集めるアデーレのスタイル。
それに比べると、エスティラは控えめに言ってやや貧相かも知れない。
言わんとすることに気付いたアデーレの頬が、わずかに赤みを帯びる。
「お嬢様、あまりそういうことは……」
「うるさいわね。私達しかいないのに気にすることじゃないでしょ」
私達というのは、ロベルトのことを含めて言っているのだろうか。
横目で彼の様子を確認するが、相変わらず人形のように佇んでいる。
「それで、私がこっちに来なかった間、アンタは何してたのよ?」
「え?」
「暇なのよ、大して客も来ないし。だからアンタの身の上話で私の退屈を紛らわしなさい」
「それは……農家の身の上を話しても、面白い事なんて何も」
エスティラの鋭い視線が、アデーレの顔に突き刺さる。
その迫力に圧倒され、思わず身を正してしまう。
「それを決めるのはこの私、あなたの主人よ。おとなしく言う事聞きなさい」
相変わらず理不尽な人だと思い、天井を仰ぐアデーレ。
だが黙っていたら、いつまで経っても終わらない。
アデーレは、エスティラと出会った後の六年間を脳内で必死に振り返る。
アデーレの過去は、結局のところ一般的な農家の日常だ。
農作物の世話。収穫の手伝い。港町まで収穫物を運び、それを売って日銭を稼ぐ。
休日は友人と島の遊び場で過ごし、年に数度の祭を楽しむ。
ごく普通の生活を、ある程度かいつまんでエスティラに聞かせていく。
気付けば、三十分は話し続けていたようだ。
「ふぅん」
アデーレの話を聞くエスティラは、終始無表情だった。
やはり退屈しのぎにもなっていないのではと、アデーレが不安に思う。
今度はどんなダメ出しが来るのかと身構える。
「アンタ、意外と喋るのね」
しかし、予想に反して感心している風のエスティラ。
褒められているような内容でもないのだが。
「……私も、一応人の子なので」
「いやだって、いつもむすーっとしてて喋らないじゃない。クールぶってるのかって思ってた」
エスティラに遠慮など存在しないのは分かっていた。
しかし、さすがのアデーレもこれには困惑を隠せない。
「言っておくけど、自分に愛想は必要ないとか言ったこと、忘れてないんだから」
「忘れてください」
「嫌。絶対忘れてやるモンですか」
エスティラがいたずらっ子のような笑みを浮かべる。
怒っている口調ながらも、アデーレの過去を茶化すのが楽しいのだろう。
その表情がどことなく憎めないせいか、羞恥心が不快感より勝る。
「まぁいいけど。とりあえず庶民の暮らしっていうのは、私よりも退屈そうね。何だか単調」
再び紅茶を口にするエスティラ。
私よりも、という言葉に違和感はあったが、何とか窮地を脱したとアデーレは胸を撫で下ろす。
「で、それだけ退屈な生活続けてると、意外と大げさな夢とか考えてそうよね。クールぶってる割に」
だが、唐突に出た夢という言葉が、アデーレの心へ小さなとげとなって刺さる。
まさに夢への第一歩を踏み出したあの日、良太は文字通り全てを奪われた。
以後、良太にとって……アデーレにとって、夢とは見るべきものではない呪いのように思えてならなかった。
だから、出来る限り夢というものからは目を遠ざけてきた。
強く抱いた夢は、この世界で叶えることが出来ないもの。
自分は夢を叶えられない星の元に生まれたのだと、そう決めつけて。
なのに、今はどうだ。
ポケットの中にあるそれは……。
そのとき、アデーレの前に小さなケーキが乗せられた皿が置かれる。
「これはご褒美よ、アデーレ。今後も私の為に尽くすよう努力することね」
得意げに笑うエスティラ。
いいように扱われていることは否めないし、苦労も多い。
だが不思議と、彼女は人として超えてはならぬ一線を理解し、気を遣っているようにも感じられた。
アデーレの脳内で、初めてエスティラと出会った時のことが思い起こされる。
怒りに任せて棒を手に取り、まだ新人だったメリナを殴打しようとした貴族の娘。
感情のままに暴力を振るう姿は、
しかし結局、それは昔の事。我慢を知らぬ子供の
エスティラは六年の歳月を経て、間違いなく成長しているのだ。
(なんだか……憎めない感じなんだよなぁ)
さっさと食べろと言わんばかりの視線に耐えかね、フォークを手に取るアデーレ。
正直に言えば、エスティラが自分のことをどう思っているのか、測りかねているのが実情だ。
あの時の仕返しをしたいほどに憎んでいるのか。
それとも、ただ単にちょうどいい退屈しのぎを見つけただけに過ぎないのか。
分かっているのは、アデーレの心労は今後も尽きることはない、ということだ。
「それでは、いただきま――」
ケーキにフォークをあてがう……その瞬間だった。
――爆音。そして音を立てて震えるガラス窓。
まるで地震にも似たそれにより、島全体が揺れるのを肌で感じた。
「ッ!」
この原因に、アデーレはおおよその見当がつく。
ロントゥーサ島に、再び魔獣が出現したのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます