3-7【推しの正体、私なんですが】

 ひとしきり言い争いをしたアデーレは、埠頭へ続く道を急いでいた。

 黒い髪を振り乱し、ロングスカートをなびかせながら。

 目指す先は当然、雇い主であるエスティラの元だ。


(そういえば、キャップが戻ってない……)


 変身解除と同時に服装が元に戻ると思っていたアデーレ。

 しかし、キャップは瓦礫を避けた際に脱げてしまい、今頃は残骸の下敷きだろう。


 変身した際に被る帽子は、キャップが変化したものではなかったのか。

 そんなどうでもいいことを考えながら、波音が強くなる方に向けて走る。

 そして、目の前の角を右に曲がったところで、視界が一気に開ける。


「おおっとっ。大丈夫かい、メイドさん?」


 出会い頭に、一人の兵士とぶつかりそうになる。

 これをアデーレは、体をひねって器用に回避する。

 そして兵士と向き合うと、謝罪のために深々と頭を下げた。


「申し訳ございません。エスティラお嬢様はどちらにいらっしゃいますか?」

「いやいや、そんなかしこまらないで。お嬢様だったらほら、あそこだよ」


 兵士の示す方に目を向けると、先ほど屋根で遭遇した時と変わらぬ場所で、エスティラは立ち尽くしていた。

 その表情は恍惚とでもいうのだろうか。そんな感じだった。


「ありがとうございます」


 改めて頭を下げ、エスティラの元へ駆け出すアデーレ。


 目の前を駆けてゆく使用人を、兵士たちは目で追う。

 周囲の視線を集めながら、アデーレはエスティラの傍へ辿り着いた。


「お、お嬢様、ロベルトさん、ご無事ですか?」


 とは言うものの、既にエスティラ達が無事なのは確認済みである。

 そんな社交辞令を交えつつ、アデーレはエスティラの様子を改めて確認する。


「おお、あなたこそ。よくぞご無事で」


 アデーレの声に気付いたロベルトが、彼女の無事に胸を撫で下ろす。


「はぁ……素敵」


 対するエスティラ。

 アデーレの言葉をこれっぽっちも聞いていないようで、相変わらず上の空だ。

 その視線は、先ほどまでアデーレがヴェスティリアとして立っていた場所に向けられている。


 あの時の様子を思い出す。

 まさかエスティラは、変身したアデーレの姿に魅了されてしまったのか。

 そんなことを考えていると、傍にいたロベルトがエスティラに耳打ちをする。


 その言葉ではっとしたエスティラが、勢いよくアデーレの方を向く。


「ちょっとあなた、どこ行ってたのよ! 心配かけないでよね!」


 五体満足のアデーレを前にして、エスティラは怒りだす。

 心配という言葉が社交辞令なのか本心なのかは不明だ。


「申し訳ございません。あの後別の怪物に追いかけられて、お嬢様達とは別方向に逃げ出したもので」

「そ、そう。まあいいわ」


 冷静さを装うアデーレを前にして、エスティラが落ち着きを取り戻す。

 そんな彼女の視線が、アデーレのつま先から頭の先端まで向けられる。


「……逃げていた割には、綺麗なモンね。というか」


 エスティラが、アデーレの頭を注視する。


「キャップ脱いだ姿は初めて見たけど…………」


 何かを考えこむエスティラ。

 今のアデーレは、母親お墨付きの長い黒髪をそのまま下ろした状態だ。

 使用人としては少々だらしない格好と思われかねないが、状況が状況だったために致し方ない。


 だが、エスティラはそういうことを注意しようという様子ではない。

 むしろ、今のアデーレの姿を見て、何かを思い出そうとしているようだった。


 その時、アデーレの顔が青ざめる。

 今、自分は大失態を犯してしまったのではないだろうか……と。


「……思い出したわ」


 エスティラの目が見開かれる。

 そこに浮かぶ驚愕と、沸々と湧き上がる怒りの表情。

 いよいよ、アデーレは確信してしまった。


 今の自分の容姿は、過去にエスティラと出会った時と瓜二つなのだと。


「あなた、昔気安く口を挟んできた小娘じゃないっ!!」


 アデーレを指差し、高らかに叫ぶエスティラ。

 雷に打たれたような衝撃が、アデーレの身体を襲う。


「お、お嬢様。急に大声を出されては……」

「ロベルトは黙って!」


 今までにない鬼気迫る様子に、ロベルトも口をつぐむ。


 アデーレの方と言えば、今すぐこの場から逃げ出したい気分だった。

 恐れていた事態が、現実になってしまったのだから。

 これで使用人をクビになると確信し、空を仰ぐ。


「まったく、どうして気付かなかったのかしら……というか、よくも私の前に姿を現せたものねっ!」

「いや、それは……その……」

「黙りなさいっ! アンタに弁明の余地があると思ってるの!?」


 そもそも、あの時の出来事に関してはエスティラの方に非がある。

 何を弁明しろというのか聞き返したいところだったが、今のエスティラには何を言っても無駄だろう。

 アデーレはうつむき、ただこの嵐が過ぎるのを耐えるだけだ。


 しかし、なぜか沈黙が続く。

 周囲の兵隊も、エスティラの怒鳴り声で閉口してしまっている。

 アデーレの耳に入るのは、波の音だけだ。


「あ、あの……」


 意を決して、アデーレが口を開く。


「昔のことは、今ここで謝罪するので」

「やめなさいよ! 今更あの時の謝罪なんてさせたら、それこそ私が惨めじゃないっ!」

「え? ああ、それでは、えっと……」


 どうもエスティラの考えが読めないアデーレ。

 謝罪させるつもりがないということは、彼女が過去の行いを恥じているということだろうか。


 やはりメリナの言う通り、エスティラは人間的に成長しているのかも知れない。


「で、出来ればクビだけは、ご勘弁願えませんか?」


 それは、一縷いちるの望みを賭けた一言だった。

 過去の因縁を覚えていたエスティラが、アデーレを傍に置こうなどとは考えないだろう。

 しかしあの屋敷は今でも人手不足。

 今後お付きの使用人になることはなくとも、雑務の為の人手として置いてもらえるかもしれない。


 使用人としてキャリアを積みたいわけではない。

 不作の時期を過ぎれば、今までのように家業を手伝いながら暮らせばいい。

 仕事のないこの期間だけでも、使用人を続けていられればそれでよかったのだ。


「はぁ?」


 そんなアデーレの言葉に、エスティラは不機嫌さを隠す様子もなく眉をひそめる。

 腕を組み、自分より身長が高いアデーレのことを見下ろすかのように睨む。


「バカ言ってるんじゃないわよ」


 やはりだめなのかと、アデーレは諦めを覚えてまぶたを閉じる。


「今更私が、アンタを逃がすとでも思ってるわけ?」


 一瞬の沈黙。


「……はい?」


 顔を上げ、首をかしげるアデーレ。


 エスティラが何を言っているのか、アデーレには理解できなかった。

 屋敷を追い出されると考えていたのに、返ってきた言葉はそれとは真逆なのだ。


 恐る恐る、エスティラの顔に視線を送る。


 そこにあったのは、笑顔だった。

 悪魔も閉口するような、邪悪な笑みだ。

 これこそが、アデーレのイメージしていたエスティラの姿である。


「まさかあの時の小生意気な町民が、うちのメイドに志願するなんてねぇ。フフフ……」


 腕組みをしながら、値踏みをするようにエスティラがアデーレを見つめる。


(この人、猫被ってたんだ……ッ)


 エスティラの気迫に押され、思わず一歩後ずさるアデーレ。

 しかし、逆にエスティラの方が二歩三歩と距離を詰めてくる。


 ついには胸ぐらを捕まれ、アデーレの視界がエスティラの顔で遮られてしまう。

 恐ろしい形相を浮かべていても容姿自体は端麗で、男なら魅了される者も多いだろう。

 元男性であるアデーレも、そんな美しい顔が目の前に迫ってきたことで、ほんの少しだけ胸が高鳴ってしまうのだった。


「アンタ、名前は?」

「は……はい?」

「間抜けな顔してんじゃないわよ。名乗りなさいって言ってるの」


 胸ぐらから手が離れたかと思うと、今度はアデーレの顎先にエスティラの右人差し指が触れる。

 ほんの僅かに、アデーレの肩が震える。


「あ、アデーレ……です」

「フルネーム」

「……アデーレ・サウダーテ、です」


 名前を聞いて満足したのか、エスティラが背を向け離れていく。

 ほっと胸を撫で下ろすアデーレ。


 だが気を緩めたところに、エスティラが華麗に振り返る。


「アデーレ。今日からは私直々に、メイドの何たるかをアンタに仕込んであげるっ」


 アデーレを仰々しく指差しながら、高らかに宣言する。


「えっ?」

「二度とこの私に逆らえないよう、徹っっっっっ底的に躾けてやるんだから!」


 白い歯を見せながら、エスティラがにやりと笑う。


「泣いても笑っても逃がさないわ。覚悟なさい!!」


 今日一番の笑い声が、高らかに響き渡る。

 周囲の人々は唖然とし、誰も口出しをすることは出来ない。


 ただ一人、アデーレは目の前が真っ暗になるような感覚に襲われていた。

 てっきりクビにされると思っていた彼女にとって、この展開は全く予想していなかったのだ。

 むしろ、発言からしてクビになるよりも恐ろしい事になったとしか思えない。

 ただでさえ過酷だった使用人の仕事が、文字通りの地獄に変わった瞬間だった。


 アデーレは思う。勝ち誇るエスティラに言ってやりたいと。

 ヴェスティリアの正体は、この私だと。

 そしてもう一つ。逆らう気なんて元々ないことも……。


 アデーレはただ、心の中で涙を流すことしかできなかった。

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