4-4【故郷を思うのは誰なのか】

 皆が寝静まった頃。

 アデーレは一人、月を眺めていた。

 屋敷の一番高い屋根の上に腰を下ろし、欠けた月をぼんやりと見上げる。

 夏の夜風は心地よく、複雑な胸中を優しく慰めてくれているようだった。


「人間というのは、悩み多き存在だよね」


 傍らに置かれたアンロックンが、静かに語り掛けてくる。

 きっと、アデーレが抱える苦悩も、お得意の神様の力でお見通しだろう。


 そんな何でも知っているという態度が、ほんの少しだけ腹立たしく思えた。


「ロックンは知ってたの?」

「魔女のことかい? 召喚者が島にいるとは思っていたけれど、国の事情が絡んでいるとは知らなかったよ」

「神様のくせに?」

「神様が何でもお見通しっていうのは、人間の勝手な想像だよ」


 ケタケタと笑うように、金属音を響かせるアンロックン。


「僕らはね、依り代からしかこの世界を知ることができない。自分を祭る教会や礼拝堂、聖遺物。そしてこの錠前のようにね」

「空の上から何でもお見通し……じゃないと?」


 そういうことと、アンロックンが笑う。


「だから、こっちが助けてほしい時に助けてくれない訳だ」


 世の不条理の原理を理解し、乾いた笑い声をもらすアデーレ。


 頭の中に浮かぶのは、夢半ばで命を落としたあの光景。

 あのような不条理ですら、神は手を差し伸べてはくれなかった。

 それだけではない。幼少期のネグレクトやいじめ。自分ではどうしようもなかった、あらゆる理不尽。


 助けを求められていることに神が気が付いていないのならば、手を差し伸べられないのは当然のことだ。

 そんな神に比べたら、この錠前はずっと自分の助けになってくれている。


「……前世の記憶を取り戻してから、自分がこの世界の人間だって意識が薄れることがあるの」

「それは仕方ないことだよ。記憶を取り戻した転生者は、その違和感と一生付き合わないといけないんだから」

「一生、か……」


 笑えない話だと、アデーレがため息をつく。


「ロベルトさんと話していた時、無性に腹が立った」


 会話中の自分を思い出す。

 言葉の端々に、魔獣の危機を持ち込んだバルダート家の者に対する怒りがにじみ出てしまったこと。


「自分でも驚いた。まだ日本人としての気持ちが抜けきっていないと思ってたのに、この島がとばっちりを受けてたと知って、こんなに腹が立つなんて」

「記憶を取り戻すまではロントゥーサ島の島民として育ったんだから、当然だよ」

「そうかな……そうかもしれない。だけどさ……」


 自分の手のひらをじっと見つめる。


「今の私は、本来いたはずのアデーレを上書きして生まれた別人……本当にそういうものじゃないんだよね?」

「それは保障する。君は間違いなくアデーレ・サウダーテとして、この世に生を与えられた人間だよ」


 元々存在するはずだった赤の他人を犠牲にして、転生した存在ではない。

 神様が言うのなら、間違いはないのだろう。


 しかし、それでも故郷の危機にいきどおる自分を、冷静に観察するもう一人の自分がいるような感覚が付きまとう。

 その違和感が、どうしようもなく気持ち悪く思えた。


「お嬢様に腹を立ててるのがアデーレで、同情しているのが良太……そういう訳じゃないんだ」


 怒りも同情も、全て自分自身が抱く感情。

 エスティラに対する複雑な感情は、決して自分の特殊な生まれによるものではない。


「どうすればいいんだろうなぁ……」


 だとすれば、このままエスティラに仕える使用人として働き続けることに、耐えることは出来るのだろうか。

 自分の故郷に危険をもたらした相手に、素直に付き従えるのか。

 そのことが、常に頭の中から離れなかった。


「そう簡単に許せるものではないよね、今回のことは」

「また人の頭の中勝手に……まぁ、そうなんだけど」

「そこは諦めてよ」


 今すぐ投げ捨ててやろうかと思いつつ、アデーレがアンロックンを手に取る。

 月明かりに晒しながら見るその姿は、銀色に美しく輝いていた。


「とりあえずさ、今はあのお嬢様を魔女を倒すために利用していると割り切るのが正解だと思うよ」

「それは……」

「気持ちが邪魔するのは分かるよ」


 俯くアデーレに、アンロックンは言葉を続ける。


「でもね、お嬢様が覚悟の上で家族から離れたのなら、あえてその覚悟を利用することも、お嬢様の為になると思うよ」


 その言葉で、アデーレは一つの疑問が残されていたことに気が付く。

 ロベルトの話では、最終的にロントゥーサ島へ移住することを決めたのは、エスティラ自身の意志だったという。

 しかし自分を守ってくれる者の少ないロントゥーサ島へ赴くのは、自身の身を危険にさらすことに他ならない。

 むしろエスティラの行動は、自身を囮にしているようにも見える。


 なぜ、エスティラは自らの危険を顧みず、ロントゥーサ島へ移住してきたのか。

 アンロックンは、それを彼女の覚悟だと考えているようだ。

 もしその通りならば、魔女が姿を現すことをむしろ望んでいるのではとも考えられる。


「君の言うヒーローらしくないのかも知れないけれど、現状を利用することだけを考えようよ」

「そうすれば、早く島の安全を取り戻すことができる、か」

「そうそう。分かってるじゃないか、アデーレ」

「そういう訳じゃないけど……はぁ」


 ため息をつきつつ、屋根の上に横たわるアデーレ。

 アンロックンを持つ腕を掲げ、三日月にかざす。


「……守るべき相手を選ぶのも、ヒーローらしくないよなぁ」


 自らの力の源を見つめつつ、今の自分が普通の人間ではないことを改めて思い起こす。

 火竜の巫女、ヴェスティリア。

 与えられた力で人々を守り、島の平和を取り戻す。

 それだけは、決して違えることののない自らに与えられた使命だ。


 今更ながら、面倒なものを押し付けられたと苦笑を浮かべるアデーレ。

 しかし、勝手に与えられたその力が、自分の悩みを解決する唯一の手段なのだ。


「ほら、明日も仕事があるんだろう。早く寝たほうがいい」

「……うん」


 アデーレが体を起こし、屋根の上に立つ。

 もう一度月を見上げた後、その場から一気に飛び降りる。

 地面へと落ちる直前、アンロックンから一瞬放たれた赤いオーラによって落下速度を減速させ、ゆっくりと着地する。


「ホント便利だよね」

「そこはほら、これでも神様だから」

「それもそっか」


 アンロックンの軽口に、アデーレは笑顔で答えた。

 実に頼りがいのある、相棒である。




 次の日の朝。

 アデーレはロベルトと共に、使用人室を訪れたアメリアの前にいた。


「アデーレさんをあなたの補佐に、ですか」

「はい。現在は執事の補佐が不在で、人手が足りぬことも多いもので」


 それは、ロベルト直々の頼みだった。


 使用人というのは、受け持つ仕事によって上司が変化する。

 屋敷の掃除や調度品の手入れを行う使用人は、この屋敷であればラヴィニアが彼女達の上司に当たる。

 これと同じように、厨房の仕事を受け持つ使用人はコックに従い、子供の育児を担当する者は乳母に従う。


 現在のアデーレは、エスティラの命令により主人の身の回りを世話する役割を与えられている。

 そんな彼女の上司は、侍女を兼任する家政婦のアメリアなのだ。


「そのご意見は最もですが……。しかし珍しいですね、このような申し出をしてくるとは」

「申し訳ありません。急な相談になってしまい」

「それは構いませんが……」


 表情を変えることもなく、口元に手を当てながら、ロベルトの方を見つめるアメリア。


「いいでしょう。お嬢様のご意思に反しませんし、彼女はあなたに預けます」

「ありがとうございます。スィニョーラ」


 深々と頭を下げるロベルトに合わせて、アデーレも慌てて一礼する。


 アメリアの言う通り、執事と侍女は主人の世話を行うという共通の役割がある。

 従事する主人が男性か女性かという違いはあるのだが、男性であるロベルトも差し支えのない範囲でエスティラの世話を行っている。

 そんな彼の補佐にアデーレが就くということは、結局のところ今までと仕事の内容は変わらないのだ。


「アデーレさん」

「は、はいっ」


 声を掛けられ、慌てて頭を上げるアデーレ。

 アメリアの顔からは、相変わらず内心が伺えなかった。


「執事の補佐となると、通常の使用人には与えられない難しい仕事もあります」


 実際は、既に魔獣討伐という一般人は絶対行わない使命も与えられている。

 そのことを思うと、アデーレは心の中でため息をついてしまう。


「ですが、あなたは優秀です。良い補佐となれるよう、精進してください」


 アメリアの言葉からは、新米であるアデーレに対する思いやりも感じられる。

 やはり彼女は信頼できるとアデーレは心に思うのだった。


「それでは、急ぎの仕事がありますので。失礼いたします」


 二人に向けて一礼し、そのまま使用人室を後にするアメリア。

 その後ろ姿を、アデーレは扉が閉まるまで見送る。


「素敵な方ですよね、アメリアさん」


 誰に語るわけでもなくつぶやくアデーレ。


「彼女は、エスティラお嬢様が最も信頼している方なんですよ」

「そうなんですか?」

「ええ、お嬢様が幼少の頃からお傍におりますからね。母に等しい存在なのです」


 ふと、アメリアと話すエスティラの様子を思い出す。

 普段の様子とは違う、どこか子供っぽさも感じられたエスティラ。

 最初は疑問に思うアデーレだったが、ロベルトの言葉で合点がいった。


 貴族の子供は、実母ではなく使用人によって育てられるのがほとんどだ。

 そういった環境であれば、その使用人を親のように慕うことも当然だ。


 エスティラにとって、アメリアとはそういう存在なのだろう。


(今のお嬢様には、一番大切な存在なんだろうな)


 もう一度、扉の方へ視線を向ける。


「では、我々も仕事を始めましょうか」


 隣に立つロベルトが、扉の方へと歩み出す。

 その言葉に従い、アデーレもその後に続くのだった。

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