3-4【お嬢様、ピンチです】
夜のあぜ道を、私服姿のアデーレがとぼとぼと歩く。
空には三日月。
見慣れた故郷の夜空は、日本では見ることも難しくなった満天の星空だ。
ぼんやりと空を眺めていると、ポケットの中から何かが飛び出す。
「お疲れ様だね、アデーレ」
目の前に現れたのは錠前……ヴェスタだ。
結局仕事中に喋ることはなく、アデーレも忙しさからその存在を忘れつつあった。
「うん……ヴェスタ様はずっとポケットの中で
「はは。別にこれが僕の本体って訳じゃないから」
それもそうだとうなずくアデーレ。
だが、錠前越しにこちらを眺めているヴェスタの姿を思うと、のん気な神様だと呆れてしまう。
「あ、今僕が神の世でのんびり観客決め込んでるって考えたね」
「カンガエテマセン。ヴェスタサマ」
「神に嘘吐きとは感心できないね。まぁいいけど」
人の考えることなどお見通しとは、さすが神様といったところか。
しかし、これではうかつなことは考えられない。
仕事と錠前によってプライベートが奪われていくことに、ため息を漏らす。
それもお見通しなのだろう。
錠前は笑っているかのようにカチャカチャと音を立て揺れる。
「ああそうだ、君が仕事をしている間に少し考えたんだけどね」
錠前がアデーレの顔の横に浮かぶ。
「君が僕をヴェスタって呼ぶの、何か堅苦しくてよくないと思うんだ」
「はぁ……でもあなたはヴェスタ様な訳でして」
「そりゃあそうだけど。でも君らにとってヴェスタは火竜で、今の僕はただの錠前さ」
ただの錠前が喋ったり変身させたりするわけがないだろと、アデーレが心の中でツッコミを入れる。
「という訳で、君に新しい名前を付けてもらって、今後はお互いフランクに行こうと思うんだ」
「名前? 私が?」
名前を変えたところでフランクな関係になるとは思えない。
だがヴェスタ自身は大真面目にそう思っているようだ。
それに、堅苦しさが緩和されるというのは分からないでもない。
元来神の名前とは、それだけで深い意味を持つものだ。
「どうせなら、君の元いた世界にちなんだ名前がいいな」
「また変なリクエストを。じゃあ……」
目の前に浮かぶ錠前を眺めながら、過去の記憶に思いを巡らせる。
(錠前……鍵……ロック…………)
我ながらイメージが貧困だと思うアデーレ。
とはいえ、わざわざ凝った名前を付けるのも面倒だ。
仰々しい名前では、フランクな関係とは程遠いだろう。
「今、面倒だと考えたね」
「仕方ないじゃないですか。実際にそうなんだし」
「なかなかはっきり言うね。まぁいいけど」
相も変わらずカチャカチャ揺れる錠前。
その姿に、アデーレは必死に考えている自分が少しだけ馬鹿らしく思えてしまった。
「はぁ……それじゃあ」
少しだけ苛立ちを覚えつつ、少し乱暴に錠前をつかむ。
そして自分の顔から離し、月明りに照らしながら錠前を眺める。
「ロックン……いや、アンロックンで。どう?」
鍵、イコールロックからの、アンロック。
ロックンとしたのは、アデーレなりの愛嬌だ。
「アンロックンか。なるほど、いいじゃないか。響きが気に入った」
どうやら神様は納得したようだ。
アデーレの手の中で、カチャカチャと音を立てている。
「それじゃあ、今日から僕はアンロックンだ。改めてよろしく、アデーレ」
「うん、よろしく。お互いあんまり出番がないことを祈りたいところだけど」
「それもそうだっ」
そう言って笑う、喋る錠前アンロックン。
変わらぬその言動には、それなりの癒しがあるようにも感じられる。
慣れぬ仕事で疲労困憊のアデーレ。
明日もあのお嬢様の傍で仕事かと思うと、それだけで気苦労が尽きない。
だから今は、新たに出来た相棒とひと時の談笑を楽しむ事にしようではないか。
アデーレがエスティラの傍に控えるようになって数日。
肉体的にも精神的にも過酷な仕事を続けたアデーレは、いつもに増してクールというか、不愛想になっていた。
「ちょっとあなた、いつまでそんな顔してるのよ。シャキッとなさい」
エスティラが振り返り、不甲斐ないアデーレをジト目で睨む。
隣に立つロベルトが背筋を伸ばして立っていると、アデーレのだらけ具合がより際立っている。
現在エスティラ達が来ているのは、ロントゥーサ島唯一の港。
主に漁船や客船が停泊することを目的とした港で、他には島外からの貨物船も寄港する。
しかし、今日はそんな港に、島民には馴染みのない軍艦が停泊していた。
帆柱はなく、煙突を有することから蒸気船だろう。
先日の怪鳥襲来後、島に常駐するわずかな衛兵では備えが不十分であることが判明した。
そのため、シシリューア島から共和国軍の一部が派兵されることとなり、この艦はその第一陣である。
そんな兵士たちを、現在島で最も位の高いエスティラが直々に出迎えることとなったのだ。
ちなみに、その提案をしたのは当のエスティラである。
『私の身の安全を任せるのだから、挨拶くらいはしておかないと』
というのが、エスティラの弁である。
島の守備増強ではないかという疑問もあったが、アデーレはあえてそれを口にしなかった。
「これはこれは、バルダート家のご令嬢が直々に出迎えてくださるとはっ」
部下達を連れて港に降り立ったのは、三角帽がトレードマークの青い軍服姿の男。
彼は埠頭で待っていたエスティラに対し、帽子を脱いで仰々しくお辞儀をする。
きっとこの船の艦長か、部隊の指揮官だろう。
「ご苦労様。こちらの船、見慣れませんけど最新のものかしら?」
「おお、さすがの着眼点ですなっ。こちら工廠で完成した最新式の溶鉄鉱式蒸気船でして」
エスティラの反応に気をよくしたのか、帽子を被りなおした男が軍艦の説明を始める。
愛想笑いを浮かべているが、エスティラは興味がないのだろう。明らかに聞き流している様子だ。
(溶鉄鉱?)
傍で待たされているアデーレは、この世界に来て初めて聞く名前に首をかしげる。
その時、彼女の頭の中に聞き慣れた声が割り込んできた。
(熱を帯びた状態で採掘される、この世界の鉱物だよ。炉に入れると高温を発生させるんだ)
(……急に脳内で語り掛けてくるの、勘弁して欲しいんだけど)
(まぁまぁ、君も暇だろ? ちなみに溶鉄鉱の元は僕達火竜の身体だよ)
(僕達? 火竜ってそんなたくさんいるの? というか身体って……)
ポケットの中で、ロックンがわずかに揺れる。
(そうだよ。大昔の戦いで、僕は眷属と一緒に竜として顕現したんだ)
(はぁ……で、身体はこっちに置いてきたって訳?)
(その通り。神の世に肉体は必要ないからね)
つまりこの世界の蒸気機関は、火竜の身体をそれとは知らず燃料にしているという事らしい。
石炭がないのか、それとも石炭より有利な点があるのか。それは分からない。
そんなこと考えていたら、エスティラ達の方も話を終えたのか、二人が並んで町の方へ歩いていく。
「行きましょうか」
促すように、ロベルトがアデーレに声をかける。
この後は、指揮官を交えての昼食会が予定されている。
今頃屋敷の方では、同僚や料理人たちが慌ただしく準備を進めている頃だろう。
この後の給仕に思いを
直後、轟音と共に海が大きく爆ぜた。
「っ!?」
その場にいた全員が、目を見開きながら音の方に目をやる。
しかし、目に入るのは水柱の跡と思われる泡が海面で揺れているのみ。
その時、埠頭のあちこちに丸い影が差す。
頭上から、何かが降ってくる……。
「エスティラ様っ!」
指揮官の男が、エスティラを庇うように立つ。
直後彼らの目の前に、巨大な巻貝の殻が落ちて来た。
殻は石の埠頭に落ちたというのに割れることはなく、口から何かがうごめきながら外に出てくる。
それはまるで、二足歩行能力を得たタコかイカのような怪物だ。
背中に巻貝の殻を背負う姿は、特撮に出てくる怪人のようにも見える。
それが十匹……いや、二十匹はいるだろうか。
(まずいね。召喚された魔獣だよ)
ロックンが脳内に語り掛ける。
外見は全く違うが、どうやら数日前の怪鳥と同族らしい。
「くっ、怪物め!」
周囲にいた兵士たちが、銃剣を取り付けた長銃を怪物に向ける。
しかし人が集まるこの状況では、銃を撃つことは出来ないだろう。
「ロベルト殿、あなたはエスティラ様を連れて安全な場所へ!」
「かしこまりました」
腰に下げたサーベルを抜きながら、指揮官の男が叫ぶ。
ロベルトはすぐさまエスティラの傍に立ち、彼女の手を取って走り出す。
(私もいるんだけど、まあいいか)
人目の多い場所で変身は出来ない。
アデーレは怪物に挑む人々に背を向け、エスティラとロベルトは倉庫区画の方へ走り出す。
そのすぐ後を追いかけるアデーレ。
遠くからは、兵士たちの怒号が響き渡っている。
(あの程度の魔獣なら、人間でも対処できるよ)
ロックンの声が脳内に届く。
確かに、怪物に対し銃剣を突き立て戦う兵士を去り際に見ることが出来た。
戦闘に長けている彼らなら安心だろう。
しかし、エスティラやロベルトは上流階級とはいえ一般人だ。
魔獣に襲われた場合、抵抗する間もなく命を奪われかねない。
ならば、変身する力を持つ自分が傍にいることで、彼らの安全を確保できるかもしれない。
問題は、変身するタイミングがあるかどうかだが。
「ちょっ、ちょっと待って……ッ」
息を切らせながら、立ち止まって欲しいと訴えるエスティラ。
案の定、体力はあまりないのだろう。
ロベルトに手を引かれて走ってはいるが、今にも脚はもつれそうだ。
ロベルトが立ち止まり、周囲を見渡し警戒する。
怪物の出現した埠頭からそれほど離れていない場所だが、追ってくる気配はない。
「少し休みましょう。ですが出来るだけこの場から離れなければ――」
ロベルトの言葉を、三人の足元に差し込む黒い影が
頭上を見上げるアデーレ。
直後、先ほどより一回り以上大きな巻貝の殻が二つ、倉庫の屋根に激突しながら地面に落ちる。
貝殻は二人とアデーレの間に落ち、互いに分断される形となってしまう。
更に、破壊された屋根の残骸がアデーレの頭上に降り注ぐ。
「危ない!!」
ロベルトの声がアデーレに向けられる。
頭上の様子を目視していたアデーレは、すぐさまその場から飛び退く。
その瞬間、先ほどまでアデーレのいた場所に、大量の瓦礫が降り注いだ。
風圧でアデーレが被っていたキャップが吹き飛ばされ、黒髪が激しくなびく。
(アデーレっ、大丈夫かいっ?)
(何とか……それより、まずいよ)
広がる粉塵によって視界は遮られているが、怪物はエスティラとロベルトに迫りつつある。
「な、なによこの怪物! こっちに来ないで!!」
粉塵の向こうから、エスティラの声が響く。
このような事態に備えて、アデーレは二人の傍にいたのだ。
(ロックン。鍵を)
向こうから見られていない今こそ、変身のチャンスだ。
アデーレの言葉に促されるかのように、彼女の左手の中に鍵が出現する。
(便利でしょ。どこからでも鍵が出せるの)
(それに関しては同意。行くよ、ロックン)
右のポケットから竜紋の錠を取り出し、左手に鍵を構える。
(一度、言ってみたいセリフがあったんだよね)
錠前を前に構え、左手の鍵を錠前の穴に差し込む。
「……変身っ」
エスティラ達に聞こえぬよう、小声でつぶやくのはあこがれのセリフ。
セリフと同時に鍵を回し、錠前から噴き出す炎を身にまとう。
アデーレの全身に、力がみなぎる。
そのまま地面を蹴り、炎を身に纏ったまま粉塵の向こうへ跳び込む。
粉塵を抜けたときには、帽子と赤いコート、そして巨大な剣を持つ姿へと変身を果たしていた。
「はぁっ!!」
怪物たちは軟体を露にし、エスティラとロベルトは倉庫の壁へと追いやられている。
アデーレは二人に攻撃が当たらぬよう大剣を薙ぎ、二匹の怪物を空中へと吹き飛ばす。
大剣を振り抜いた姿勢で、エスティラを守るようにアデーレが着地する。
「……へ?」
突然現れた女剣士風の人物を前に、素っ頓狂な声を上げるエスティラ。
髪の色以外の容姿は変化していないのだが、それでも正体がばれないのはこの手のお約束という事だろうか。
だが今は、そんなことを気にしている場合ではない。
アデーレは空を見上げ、宙を舞う二匹の怪物を睨みつける。
「早く、安全なところに」
それだけを二人に告げると、アデーレは怪物を追って跳躍。
一回の跳躍で怪物たちと同じ高度に達したアデーレは、再び剣を構え、振り抜く。
噴出する炎によって限界まで加速された大剣は、強固な殻を有する怪物をいともたやすく両断してみせた。
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