3-3【バルダート家のお嬢様】
食堂の隣には、客人との談話の為に用意された応接室がある。
食堂に比べると狭い部屋だが、それでも一般的な家の一室に比べれば広い。
内装は食堂よりも豪華で、壁には蔓を模したかのような金の模様が張り巡らされ、室内に置かれたあらゆるものが、高級品で揃えられている。
(どうしてこうなった……)
そんな落ち着かない部屋で、アデーレは自問していた。
部屋中央のテーブルには、既にティーセットや軽食で彩られたケーキスタンドが置かれている。
豪華なソファには、綺麗な姿勢で座るエスティラの姿が。
その隣に、黒のモーニングコートにアスコットタイという、誰が見ても執事と分かる壮年の男性が立っていた。
白髪交じりの黒髪に、しわが深く刻まれた穏やかさを感じる顔が印象深い。
アデーレが彼と会うのは初めてだ。
どうすればいいのか分からない彼女は、閉めた扉の前から動けずにいた。
「何突っ立ってるのよ。これ以上待たせないで」
変わらず不機嫌そうなエスティラが、横目でアデーレを見る。
その間に割って入るように、執事が口を開く。
「お嬢様、彼女も初対面の者ばかりの場所で緊張しているのでしょう」
執事がアデーレの方に向き直り、会釈を行う。
「初めまして。この屋敷の執事を務める、ロベルト・リオーニと申します。以後お見知りおきを」
執事ロベルトの丁寧な様子に圧倒され、無言で会釈をするアデーレ。
そんな様子を、エスティラは相変わらず横目で睨んでくる。
これ以上待たせたら、何が起きるか分からないだろう。
結局アデーレは、エスティラの圧に促されるようにテーブルの横に立つ。
「さて、それじゃああなたの腕を私が評価してあげるわ。やってみなさい」
「は、はい。それでは、失礼いたします」
期待はしていなかったが、手本がないことにアデーレは更なる不安を抱く。
テーブルに置かれた、花柄の模様が施された四角いブリキ製の茶葉ケースを見つめる。
こちらの世界に転生してから、このようなものを扱った記憶がない。
だが良太として生活していた頃ならば、祖父母の為にお茶を用意していた経験がある。
幸いなことに、彼らは日本茶だけでなく、紅茶やコーヒーもよく
その頃の記憶を必死にたぐり寄せ、何とか形になる紅茶の淹れ方を思い出す。
用意された茶葉やお湯を使い、白磁のポットに紅茶を作り、カップに注ぐ。
「ふぅん」
エスティラの前にカップを置き、会釈をするアデーレ。
注がれた液体は、どうにかそれらしい物になってくれていた。
完全な素人の手によって淹れられた紅茶。
しかしエスティラは、嫌がる素振りも見せずにカップを手に取り、口に運ぶ。
そして一口飲んだ後、再びカップをソーサーに戻した。
「……あなた」
変わらず不機嫌さを隠さないエスティラ。
幼少の頃にはなかった威圧的な雰囲気に、アデーレはわずかに怖気づいてしまう。
そんなエスティラの固い表情が、ほんの少しだけ緩んだ気がした。
「まあ、できる方じゃないかしら」
「え、あ……ありがとうございます」
それは、予想外の反応だった。
出されたものをけなす訳でもなく、エスティラはそれなりの評価をアデーレの紅茶に下したのだ。
どんな厳しい反応が来るかと覚悟していたアデーレも、思わず気の抜けた返事をしてしまう。
そして心の中で、経験を積ませてくれた祖父母に深く感謝していた。
「ま、この程度で満足されても困るけど。今後も私が指導してあげるから、感謝なさい」
「はい……はい? 指導?」
「何を呆けてるのよ。どうせ私の傍に付くなら、相応のメイドになるよう努力なさいな」
しばらく傍にいろという先の言葉を思い出し、アデーレは目の前が暗くなるような感覚に襲われる。
使用人を始めて二日目。
屋敷の主であるお嬢様の傍で仕事をさせられるなど、誰が考えたか。
今はせめて、エスティラが過去の出来事を思い出さないことを祈るばかりだった。
エスティラがアフタヌーンティーを終えた後のこと。
アデーレは一人、ティーワゴンを押しながら廊下を歩いていた。
その顔には明らかな疲れが浮かんでいる。
「お疲れ、アデーレ。大変だったでしょ」
そんな彼女に声をかけたのは、取っ手のついた籠を持ったメリナだった。
ラヴィニア辺りから事情は聞いているのだろう。
「メリナさん……まぁ、はい」
作り笑いを浮かべるアデーレ。
「ただ、お嬢様が思ってた人と違うというか」
「ん、何かあったの?」
「何か、という訳ではないんですけど」
アデーレは、先ほどまでお世話をしたエスティラのことを思い出す。
再会した彼女は、ずっと不機嫌な顔を浮かべていた。
紅茶を嗜んでいた時はリラックスもしていたが、それ以外は変わらずだ。
だが、周囲に当たり散らしたりなどといった行動は起こさない。
紅茶に対する評価をする様子などは、特に冷静なものだ。
過去の様子しか知らないアデーレにとっては、そんな落ち着いたエスティラの姿には違和感を覚えた。
「落ち着いた人だなぁって、お嬢様」
それが、アデーレの率直な感想だった。
一通りの話を聞いたメリナは、なるほどと言わんばかりに首を縦に振る。
「ああ、そういうこと。それは旦那様に色々指導されてきたからよ」
「指導?」
「うん。お嬢様は長女だから。バルダート家の後継者として色々、ね」
記憶の中にあるエスティラの父、ドゥランの姿を思い出す。
これだけの家の主人だ。きっとその指導は厳しいものだったに違いない。
エスティラのあの落ち着いた雰囲気も、そういった環境で成長してきた証なのだろう。
そこで、メリナの表情が変わったことに気付く。
「ただ、最近のお嬢様はちょっと……ね」
それが困惑なのか、それとも同情なのか。
アデーレには、メリナが何を思っているのかを知ることは出来なかった。
「何かあったんですか?」
「ん、まぁー……」
わずかの間、メリナがアデーレから目を逸らす。
「私も詳しい事情までは分からないんだけど」
少しの間を空けて、ため息をつくメリナ。
「ここに来ることが決まってからのお嬢様、どうも元気がないのよね」
どうやら、メリナはエスティラの変化を心配していたようだ。
彼女は使用人としてそれなりのベテランであり、自然とエスティラと関わることも多い立場にあった。
色々と苦労をかけられてきただろうが、メリナなりにエスティラを思う気持ちはあるらしい。
ふと、アデーレは紅茶を口にしたエスティラの様子を思い出す。
もしかしたら、あの時の落ち着いた物腰のエスティラが、本来の姿なのかもしれない。
エスティラが過去を思い出したらどうなるか、それは分からない。
だが今の彼女なら、傍に仕えたとしても理不尽な目に遭わないのではないか。
アデーレは、そんな淡い希望を抱いてしまう。
「ロベルトさんなら何かご存じかも知れないけれど……とりあえず、アデーレも気を付けてね」
「それじゃ」と言い、廊下の先へ走っていくメリナ。
その背中を、アデーレは立ち止まって見送っていた。
「気を付けて、か」
何を気を付ければいいのかは分からないが、今は怒らせないことが得策だろう。
このまま穏便に仕事が続けられるなら、それはアデーレの望むところだ。
(……紅茶の淹れ方、ちょっと練習してみようか)
今ある日常を守るため。
少しだけ前向きに、使用人の仕事に向き合うことにしたアデーレだった。
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