2-3【火竜信仰の島】

 その日は一日、屋敷の掃除に明け暮れることとなった。

 拭き掃除に掃き掃除。使われていなかった家具を磨き、本家から運ばれた食器を磨き……。

 幸いだったのは、夕暮れには帰宅することが許されたことだろうか。


「そう。そんなに急なお話だったの」


 テーブルに突っ伏すアデーレを、食器を片付けるサンドラが心配そうに見つめる。

 いつもは率先して家事を手伝うアデーレだが、慣れない重労働で動く気力を失っていた。


「家事ならって……正直、舐めてた」

「さすがバルダート家のお屋敷だな。掃除一つ取ってもうちの比じゃなかったんだね」


 顔を上げずに話すアデーレの肩を、ヴェネリオが優しくさする。


「それだけじゃないよ。あんなに広いのに人が少ないし」


 メリナと仕事を進めていくうちに、アデーレは気が付いたことがあった。

 それは、メリナのような経験を積んだベテランの使用人が、一人か二人の新米使用人を連れて仕事をしてたということだ。

 ベテランの使用人は、おそらくメリナを含めても十人ほど。

 彼女達が率いる新人は、同年代の顔見知りばかりだった。


 顔見知りが多いのは気楽だが、未経験者ばかりでは手際が悪い。

 そうなると仕事量は増え、一人ひとりの負担も大きくなる。


 その結果が、帰るなり息も絶え絶えのアデーレという訳だ。


(メリナさんもそうだけど、先輩達の手際がすごかったな)


 あらゆる仕事を器用にこなすメリナの姿を思い出す。


 効率的かつ丁寧に仕事をこなす先輩使用人達のおかげで、この島で雇われた新米は夕暮れ時に帰宅することが出来た。

 特に、近くで見ていたメリナの働きっぷりは、アデーレの目には格好よく映った。


 今日の仕事に思いを馳せていると、片付けを終えたサンドラがアデーレの向かいの席に着く。


「そういえばアデーレ、明日の礼拝には行けそう?」

「ああ、屋敷に行くのは礼拝の後でいいって」


 顔を上げ、乱れた前髪を軽く直すアデーレ。


 この土地における礼拝は、良太のような日本人がイメージする教会の礼拝に近いものだった。

 週に一度港町の礼拝堂に集まり、お祈りをしたり神官の話を聞くような、特別なことのない儀礼だ。


「明日はお祈り行ったら、そのまま屋敷に行くよ」


 週に一度の礼拝は、家族で欠かさず赴いている。

 だが、日本人的感覚の残るアデーレからすると、少々面倒に思うところもある。

 しかし郷に入れば何とやら。そもそも子供の頃から続けてきた日課だ。

 地域のコミュニケーションに必要なものとして、今は割り切っている。


「それじゃあ、今日は早くお休みしないとね。家のことは私がやっておくから」


 疲れ果てた身に、母のいたわりが染み渡る。

 そんな風に感じたアデーレは、改めて今の生活が恵まれているということを思い知る。

 これが、明日も仕事を頑張る為の気力になるのだろう。


 疲れた体を起こし、天井を眺めるアデーレ。

 明日は早い。今日は母の厚意に甘えて、早めに就寝することを選んだ。




 朝日が水平線から姿を現そうとする頃。

 それを眺めるアデーレが一人、私服姿で畑の周囲をジョギングしていた。


 これは良太の頃からの日課。

 養成所に入るため、ひたすら続けてきた早朝トレーニングである。

 転生した今でもその習慣が抜けることはなく、トレーニングウェアも満足に存在しない異世界であっても、絶やすことなく続けていた。


 最初、両親はそんな娘の姿を不思議に思っていたが、彼女の考えを尊重し、今は見守っている。

 おかげでそれなりの体力やらは付いてきたが、それでも男性だった頃の身体能力には及ばない。


 第一、これは良太としての夢を叶えるための日課だ。

 それをなぜ、今も続けているのか。


(……疲れたな、さすがに)


 昨日の疲れがわずかに残っていたのか、いつもより足取りが重く感じるアデーレ。

 これから使用人として生活するのであれば、このようなトレーニングも逆に負担にしかならないのではないか。


 それでも、アデーレは思う。

 この日課を辞めることは、きっとできないんだろうと。


 それが、未練というものなのだろう……。




 良太が転生したこの世界では、元いた世界と同じく宗教が複数存在する。

 現在訪れている礼拝堂は、主にシシリューアや多くの近隣諸国で崇拝される【西方主教】のものだ。


 礼拝堂は、約百人ほどが余裕をもって入ることのできる広い建物だ。

 長方形の建物の上には大きなドームがあり、室内から見上げてみると、球形の天井に火を纏う竜の絵画が描かれている。

 この火竜は、西方主教の神である【火竜・ヴェスタ】だ。


(あー、神様。どうか今日の仕事は多少楽になってますように……)


 本日の礼拝を終えたアデーレ。

 周囲の人々は礼拝堂を後にしようと出入り口へと向かっている。


 彼女は後方列の長椅子に座り、天井の絵画をぼんやりと眺めていた。

 だが残念ながら、ヴェスタはそのような願いをかなえるような神ではないだろう。


 西方主教は、元日本人の良太にはやや馴染みのある宗教だ。

 それは主神とその下に連なる複数の神を有する多神教で、つまり神道やヨーロッパの神話に近い。

 ヴェスタは主神に仕える神の一柱で、聖火と戦いを司る女神だ。

 シシリューア島周辺では、主にこのヴェスタ信仰が盛んなのである。


「さて、お父さんたちは先に家に帰るけれど、アデーレはこれからお屋敷だろう?」

「ああ、うん。今から行くよ」


 隣に座るヴェネリオが、アデーレに声をかける。

 反対側の席には、サンドラが座っている。


「そうか。それじゃあ気を付けて行くんだぞ」

「頑張ってね、アデーレ」

「うん。ありがと、お父さん。お母さん」


 アデーレに笑顔を向けながら、席を立つ両親。

 もう少しのんびりしていたい気持ちもあったが、二人に続いてアデーレもゆっくりと立ち上がる。

 うんと一度背伸びをし、二人と交互に顔を合わせた後、前方の祭壇へと目をやる。


 ろうそくや花、いくつもの装飾で彩られた、飛翔するヴェスタの大彫像が置かれている。

 鈍い輝きを見せる金箔の塗装は、それがこの地に設けられて長い月日が経ったことを表しているようだ。


(……今日も良い一日でありますように)


 アデーレが心の中で念じる。

 今日の彼女は、いつもよりほんの少しだけ、信心深くなってしまってるようだ。


 それは使用人という新しい生活を始めたことによる節目からか。

 まるで、年始の初詣のような気分だった。

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