2-4【魂、目覚めよ】
礼拝堂を後にしたアデーレは、一人バルダート家の屋敷に続く坂道を上っていた。
この道は港から続く大通りで、馬車も通れるよう頑丈な石畳によって舗装されている。
バルダートのお嬢様と最悪の出会いを果たしたのも、この場所である。
バルダート家がこの地に別邸を持ったのは、避暑の為である。
シシリューア島は周囲の島々に比べると、地熱の影響により気温が高い。
だからロントゥーサ島の、風通しが良く港からも近い土地に屋敷を建てたそうだ。
(だからって、歩いて通うのにこの坂はちょっと大変だ)
額に汗をにじませながら、アデーレは屋敷へ続く坂道を上る。
勾配は緩やかだが、それでも今日の晴天はほどほどに疲労を蓄積させてくる。
これが夏本番になると、気温はさらに上昇する。
こうなると、例え実家が近いとはいえ、屋敷の使用人部屋で住み込みという選択肢も出てくる。
なお、その場合の父の反応については推し量れば容易に想像がつく。
そんな、アデーレ・サウダーテとしての日常。
これまでを振り返り、そしてこれからに思いを馳せ……。
時折思うのは、この先自分はどういう人生を送るのだろうということだ。
今はまだ、佐伯 良太として歩んだ時間の方が長い。
だが後十年も経たずして、アデーレは良太の享年を超えることとなる。
今後、アデーレとしてそれらしい人生を送るのだろう。
では、過去に置いてきた良太の人生……夢はどうなってしまうのだろうか。
(終わったことだってのは、分かってはいるんだけど……)
テレビの中のヒーローと出会い、自分も彼らに命を吹き込む側になりたいと願った。
この世界でその夢が叶うことは、まずないだろう。
だが、今もその時の記憶や感覚を、はっきりと思い出せてしまうのだ。
そして夢を叶えようと努力した、佐伯 良太の日々を。
叶わないのなら、最初から思い出したくはなかった。
ただのアデーレ・サウダーテとして、優しい人々との幸せな人生を送りたかった。
今も続ける朝のトレーニングも、特撮を見て初めて受けた感銘も。
アデーレにとって、それは呪い。決して外すことのできない
どれだけ目を背けようとも、記憶の方が勝手に湧き上がってくるのだ。
「……考え過ぎってのは、分かるんだけどね」
誰に言う訳でもなくつぶやく。
見上げた空は、相変わらず雲一つない突き抜けた青だ。
――空を、巨大な影が通り過ぎる。
「えっ?」
自然とその影を目で追いかけるアデーレ。
直後、先の道から巨大な爆発音が響いた。
飛び散る石畳の破片。土が煙のように舞い、道の先が見えなくなる。
周囲の人々は悲鳴を上げ、続々と土煙の中から坂を下って逃げ去る。
しかし突然のことに、目の前で起きる異常を前に、アデーレは動くことが出来なかった。
人々が出てくる土煙の先から、目が離せない。
何か、巨大な影がその中にあったのだ。
「ウオオォォォォォォッ!!」
土煙の中から、人のものとは思えない雄たけびが響く。
その雄たけびに土煙が吹き飛ばされ、周囲の視界がクリアになる。
「なっ……」
アデーレの顔が、一気に青ざめる。
土煙の先にいた影の正体は、巨大な翼を持つ首長の怪鳥だった。
大きさは三メートルほどか。虹色の羽毛で覆われた体と、鋭いかぎ爪が目立つ脚。
頭部には赤いとさかがあり、黄色の中に光のない黒点が浮かぶ目玉は、嫌でも恐怖心を掻き立てる。
まるで金属を思わせる光沢あるくちばしが、命を奪う事だけに特化したものだというのは明らかだ。
こんな怪物が、なぜこの島に来たのか。
混乱するアデーレ。だがそれ以上に、この場を離れなければという危機感が脳内を巡る。
ようやく体の硬直が解け、後ずさるアデーレ。
「ああ、何で気付いちゃうんだろう」
振り返ろうとしたその瞬間、怪鳥の足元にいる小さな影に気が付いてしまった。
それは、栗毛の似合う少年だった。
服装は地元民と比べると少々身なりはいい。
避暑の為に家族と島に来たのだろうか。
そんな少年が、この世のものとは思えない怪鳥に睨まれていた。
少年は動くことも声を上げることもせず、へたり込んで怪鳥を見上げている。
身を震わせ、抵抗することも出来ず、殺されるのを待つだけの状態。
その姿を見て、アデーレは良太の最期を思い出す。
誰かを助けるために、命を落としたあの瞬間。
(後悔しているのかな、自分は)
無謀の末に、夢を失った。
後悔はしていない……いや、そんなはずはない。今も未練がある。
それでも、良太は自分の行動を悔いてはいない。
アデーレとして生まれ変わったからこそ、良太の命と共に失われるはずだった複雑な感情を知ってしまった。
なのに……それなのに。いや、だからこそか。
気付いたときには、アデーレは手にした荷物を投げ捨て、子供の方へと駆け出していた。
(間に合えッ!)
怪鳥の視線は、子供の方へ向けられたままだ。
アデーレは信じる。まだ助けられるはずだと。
やはり、それはアデーレにとって呪いなのだろう。
あの時と同じ光景を、もう一度繰り返しているのだから。
例え生まれ変わっても、空想のヒーローに対する憧れは深く、深く、刻まれていた。
佐伯 良太は過去の人間なのに、その魂はアデーレの中で生き続けていた。
怪鳥が頭を上げ、少年めがけてくちばしを振り下ろそうと構える。
アデーレの距離はまだ遠く、少年には手が届かない。
それでも脚は止めない。まだ間に合うと信じて、アデーレは手を伸ばす。
少年が生きている限り、諦めたくはないと願う。
(間に合え……間に合え……ッ!)
だが、無情にも怪鳥の首が振り下ろされる。
アデーレの手は、まだ届かない。
それでも走り、手を伸ばし続ける。
(間に合ってッ!!)
……それは、二つの魂が同じ願いを叫んだようで。
伸ばした手の先が強い熱を帯び、視界をまばゆい光が遮った。
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