第5話「契機」

 総廻市そうかいし門上区かどかみく 総廻市立中央病院


 紅戸区こうとくで発生したメトゥスが、ヒーローが来る前に一般人のはずの少年によって倒された。


 その秘密の一報と共に、その少年が緊急搬送されてから数時間が経った。


 緊急搬送された少年……、式波誠は現在病院の中で関係者以外立ち入り禁止の区域の部屋にあるベッドにいた。意識を一時は失ったものの、その直後に警察官やヒーローたちが駆けつけてきたこともあって応急処置を即座に施すことができ、本人の回復力や頑丈さもあってかすぐに意識を取り戻した。


 後頭部を強打したことによって出来た傷は治療によって塞がれ、骨折していた肋骨も最先端の再生治療により治された。


「……っ」


 ベッドの上で誠は目を覚まし、そして自分の視界に映る世界に眉間に皺を寄せる。


 それは、“火”がよく映える、灰色の世界。時計を見れば昼間でカーテンも開けられているにも関わらず薄暗く、灰でコーティングされたモノトーンのような視界は、頭痛と共に誠に過去の苦痛を思い出させる。

 自分の人生観も、夢も変わり果てる要因になったこの視界。鏡を見ることすら怖くなって、確かめることすらやめたもの。


「うぅ……!」


 胃の中のモノがこみあげてきて、思わずトイレで嘔吐したくなったが、点滴が刺さっているのでベッドから動けないことに気づき、近くに置かれていたペットボトルの蓋を開けて、強引に水を飲み、喉元にまでせりあがってきた吐瀉物を無理やり流し込んだ。


「……うぇ」


 喉に焼き付くような感覚に再び吐き気を催しながらも、何とか深呼吸して落ち着く。未だに自分の視界は異常なままで落ち着きようがない。


「式波誠。目、覚めたか?」


 知らない男性の声と共に病室のドアが開き、誠は視線を向ける。


「あなたは……」


 誠は無意識に警戒してしまい、視線を向ける。


「まずは久しぶりと言った所か。俺の名は蓼科たてしな三郎さぶろう。異能専校で教師をやっている異能者メイガスだ。ま、こんな殺風景の病室でなんなんだが、お前さんに用があって来た」


「蓼科……? それに、異能専校の、教師?」


 異能専校……。つまり異能者メイガスを教育する学校、国立異能専門学校の教師だと、蓼科三郎と名乗った男は言った。


 どこかで聞いたような、ないような。

 日々、世間の世情のことをあまりチェックしない誠は、その名前に聞き覚えがあると思いながらも、思い出せなかった。それに目の前の男は自分に会ったことがあるという。


 不健康に見える白い肌と白黒が乱雑に混じる短髪、瞳孔が裂けた爬虫類に似た目の下に隈があり、身長も目算で180cm以上は確実にある男。爬虫類の鱗のような意匠のある上着に網目模様のあるぴったりとしたパンツに足袋という見たことのない、どこかモダンチックさのある和装といった服装に身を包んでいる。

 今の自分の“視界”の中で、その男の輪郭を象る“炎”の色は灰色に濁った水色をしている。だがどういうわけか“声”は聞こえないし、むしろ恐ろしいほどに静かですらある。


 ……まるで、人ならざるもの、具体的に言うと“蛇”が人間に化けているといった方がしっくりくるような、肌がどこかざわつくような、そんな印象が誠の中に浮かんだ。


「末里氏には俺も世話になったからな。二年前の葬儀の時、俺も出席していた。お前さんとは顔を合わせていなかったが、俺の方は一方的に知っていただけって所だ」


「……そうですか」


 蓼科三郎と名乗った男は末里大和の知り合いだったようで、誠は警戒心を解く。


「そんなお前に大事な話があってこうして足を運んできたんだ。お前の人生に関わる大事な話だから、ちゃんと聞いておかないと損するぞ。もちろん、有益な話もある」


「損するって……。どういう意味です?」


 誠には三郎の言葉の意味がわからなくて困惑する。


“というか、この人妙に胡散臭いんだよなぁ……”


 いきなり知らない人に大げさな話を持ち掛けられたからというのもあるが、それ以上に三郎を胡散臭いと思っていることもあった。


「本気でそう言われるとこっちも困るんだよ。大雑把に言うと、お前さんはこのままだと犯罪者になってしまうって所だな」


「……は?」


 ベッドの前に置かれていたパイプ椅子に座りながら三郎の言葉に誠は一瞬意味がわからなくてフリーズした。思わず目が点になってしまって、寝起きのようにボーっとしたような、時間が止まったような、そんな感覚に陥った。


「ま、待ってください。犯罪者ってどういう意味です!? 冗談にしてはタチが悪いですよ!」


「おっと、言葉が足りなかったな。順を追って説明しよう」


“いや、絶対わざとだろ……”


 声には出さなかったが、三郎が自分を話のペースに持ち込むためにインパクトの強い言葉をチョイスしたに違いないと考えることにした。今ここで怒ったりしてもしょうがないと考えたからだ。


「いくつか質問するぞ、式波誠。お前さんは異能ミュトスが使えるのか?」


「……いや、使えないはず、ですけど」


「それだったらおかしい。お前さんが本当に異能ミュトスを開花していないのなら、紅戸区に出現したというメトゥスを倒すことなんて出来ないはずだろう。一般常識を知っているのなら、お前さんはそれを理解しているはず。魔術ですら異能ミュトスの力を介さないと意味を成さないこともな」


 三郎の言葉はどれも正確だ。


 人類の天敵である「メトゥス」が突然、どこからともなく現れ、それをヒーローが倒して治安を守る社会に生きている以上、異能ミュトスを開花していない者がメトゥスを倒すことが出来るわけがない。

 ヒーローに限らず、異能ミュトスさえ持っていればメトゥスを倒すことが出来るが、使い方を誤れば異能ミュトスを持たない人々を危険に晒すことがあるのも事実だ。


異能ミュトスを開花している場合、保護者の責任の下、然るべき行政機関に届け出を出しておかないといけない。これも知っているな? 末里先生のことだから、そういう最低限の常識は知っているはずだが」


「ま、待ってください。僕、異能ミュトスを開花した覚えはありません。魔術は先生の書物から学んで習得したりはしましたが、異能ミュトスを開花したのなら、同居人だって気づいているはずです」


 誠と同居している銀司は異能者でありヒーローだ。一緒に住んでいる以上、誠が異能ミュトスを開花しているかどうかわかるはずなのだ。


「単純な話だ。お前さんを含め、周りの連中が気づいていなかっただけだよ」


「それってどういう?」


「もうわかっているだろ。今、お前さんの視界は普通のものと違うはずだ。それがお前の異能ミュトスだ」


「―――――えっ?」


 誠は今度こそ頭が真っ白になった。

 全身の血の気が引き、手以外の感覚が消え去り、灰色の視界を覆い隠すように両手で顔に触れる。


“どうして、なんで、これが、僕の、異能ミュトスだった、なんて―――――”


 頭の中がグチャグチャにかき回されそうな、寸前でパニックになろうとしていて、理性で押し込めようとして、それでも破裂しそうで。

 自分が、2年前のにこの“眼”が急に表われてから、視たくもないものを視させられて、聞きたくもないことを聞かせられてきたのに。

 こんな、おぞましい呪いのようなものが自分の異能ミュトスであることが、到底信じられなかった。


「じゃあ、僕は……。2年間、ずっと知らないで、これを……」


「……そういうことになる。まさか、魔術師の中で稀に見るという魔眼という形で開花したなんて、俺も長いことヒーローとかやっているが初めて見たぞ。定期の検査に引っかからなかったのは、恐らく検査時は機能が閉じている状態だったからだろうな」


「魔眼? なんで、僕にこんな眼が……」


「それはわからない。だが君も魔術師ならわかると思うが、魔眼なんてものは一部を除いてほんの一部の人間にしかない、先天性の機能だ。だが、君は2年前の事件で開眼……いや、開花したことから生まれつき持っていたものとかではないことは明白だ。そうじゃないと魔眼の開眼条件に合致しないし、異能ミュトスによるものとしかありえない」


「そんな……」


 育ての親であり師匠である末里大和に引き取られる前のことは何も覚えていない。2年前の事件で極限状態に陥った時に視え始めたこれを周囲に話しても信じてもらえず、病院に行っても原因不明と言われ、どうしようも出来なかった。

 それが、こんな形でわかり、彼の苦悩が実は開花していた異能ミュトスによって生じたものであったという事実は誠を打ちのめした。


「ショックを受けている所悪いが、ここからが本題だ。知っての通り、届け出を出していない上にお前さんは甲種異能許可証も持っていない。つまり、俺が何を言いたいのかわかるな?」


「……」


 知らないわけがない。ヒーローとして活動する同居人を近くで見てきた誠がそんなことを知らないわけがない。

 届け出を出すというのは役所に異能ミュトスを有していることを戸籍謄本などに登録するという意味で、甲種異能許可証というのは文字通り「公共の場で異能を限定的に使用することを許可する」という法的効力を持つ許可証だ。これを持っていない状態で異能を使用したりすると法律違反になり、軽犯罪法に引っかかってしまう。

 これとは別に“丙種”があり、こちらは通称「ヒーローライセンス」と呼ばれる国家資格であり、これがなければヒーローとして認められないし、ヒーロー活動も出来ないのである。

 つまり……。


「僕は、無断で許可証なしに異能ミュトスを使っていたから、逮捕されるってことなんでしょう? 言いたいことって、それだけですか? 逮捕する前にご丁寧に教えておいてあげようという、善意の押し付けってヤツです?」


 ため息交じりに、誠は投げやり気味に言った。


「ああ。そうなるな。だが、大人の話は最後まで聞いておくものだ。言っただろう? 有益な話があるって」


「?」


 有益な話という言葉に、誠はなんとなくで耳を傾ける。


「お前さん、うちの『異能専校』に入学してもらうことになったから」


「はぁ、そうですか。…………って、はぁぁぁぁぁっ!?」


 全くの不意打ち極まりない言葉に、誠は思わず声を上げてしまうのだった。

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