第4話「メトゥス」

 女性の悲鳴が聞こえた場所は真っすぐな歩道から少し外れた場所。近づくにつれ、女性以外の一般人たちの悲鳴が聞こえるようになる。


 そこに向けて彩羽は全力で走る。毎日走り込みを続けてきた分の脚力で、誰よりも先に現場に向かう気持ちで走った。

 その後ろを誠は追いかける。脚力に関しては彼も日々の鍛錬で鍛えているため、一般人と比べると足は速い方で持久力もある。


 走り始めて2分。二人は、騒ぎが起きた現場に到着した。


「■■■■■■■!!」


「いやぁぁぁ!! 助けてぇ!!」


「!!」


 二人が目にしたのは、一人の少女がおぞましき異形に襲われようとしていた。


 その異形は二足歩行の灰色の爬虫類に似た姿をしていて、顔は人間に似たようなものになっている。更に言えば不潔な印象を与えるボサボサの頭髪があってそれがより不気味さを際立たせている。極めつけにはその右手にはマチェットに似た刃物を持っていた。


「メトゥス!? こんな所に現れるなんて……!?」


 女性を襲おうとしている異形の姿を見て、誠は驚愕する。


 メトゥス。


 それはかつて起きた「大崩壊」の時に突然現れた正体不明の怪物にして人類の敵。

 かつて「大崩壊」において人類滅亡の危機となった存在であり、明確に人類を殺さんと襲い掛かってくるものたちで、誠や彩羽にとっては自分たちの人生を決定づける要因にもなった。


 爬虫類のメトゥスは手に持った刃物を持って、自分の目の前で尻もちをついて恐怖する女性を殺そうと迫り、刃物を持つ腕を大きく振りかぶった


「やめろ!!」


 誠はほぼ条件反射で、理性より先に体が動き、走り出す。


 周囲に人は僅かにいるが、異能ミュトスを持たない一般人がメトゥスにまともに抵抗することは出来ない。

 人間の使う武器が効く相手ではないが、邪魔をする方法だけなら誠にはある。


“ヒーローが来るまで時間がかかるかもしれないし、放っておいたら周りの人たちを襲うかもしれない。ダメ元でも食い止めてやる! 僕がやるしかない!”


 一歩二歩走る足を進める度に自分に言い聞かせるように、誠は覚悟を決める。

 十中八九、足手まといになるだろうとわかっているし、仮に女性を逃がすことが出来ても、そこからはヒーローが来てくれるまでの耐久戦になるだろう。

 それでも、目の前で誰かが殺される所を見過ごしてしまうなんて、自分には出来ない。


抜刀セット!」


 体内の魔術式を起動させる。起動させるための詠唱を一つ口にし、脳内に鞘から刀を抜くイメージと共に自らの体内に構築した術式を発動させる。

 初歩中の初歩。基礎中の基礎。魔術師の基本である「己の戦い方を確立し、それを手足にせよ」の原則に基づく、誠が初めて習得した魔術。


「!?」


 爬虫類メトゥスは突然の乱入者に驚き、耳障りな声を上げる。

 誠が白銀色の魔力で作られた一本の刀で、爬虫類メトゥスのマチェットを食い止めたからだ。


 それは術者の記憶を基に仮想物体を構築・物質化して作り上げる「構築魔術」。即ち、誠の記憶の中にある「使いやすい刀」を基に作って武装化する魔術である。


「早く逃げて!」


「う、うん……!」


 刀でマチェットを抑えながら、誠は怯える少女に言った。少女は何とか立ち上がることが出来たのか、その場を走って逃げだすことが出来た。


「おおお!!」


 それを確認した誠は押しきって、爬虫類メトゥスの腹に蹴りを一つ入れ、距離を離した。


「■■■!!」


 もちろんその程度では爬虫類メトゥスは怯まず、殺意を誠に向け、マチェットを振るい始める。

 誠は振り回されるマチェットを迎え撃つ。


「!! 重い……!!


 片手のみで振り回してくる爬虫類メトゥスの一撃は日々鍛錬を重ねているはずの誠にとって非常に重く、受けきるだけでも精一杯だった。

 本物の命のやり取りという現状に神経が昂り、精神に焦りが出始め、目元に力が入る。


 瞬間、バチっと火花が飛ぶような音と共に、違和感が生じる。


「あ……」


 すると、誠の視界がまるでチャンネル回線が切り替わったかのように、変化する。

 周囲の景色だけは変わらず、ただ人間がいると思われる場所に様々な色の“炎”のようなものが見え、目の前の爬虫類メトゥスが輪郭だけでしか見えず、“人型の黒い炎”のように視えていた。

 日々そうならないように努めてきた、自分の視界がおかしくなる現象。病気ではないかと言われ、まるで原因が何一つわからず、前触れもなく視えたり視えなかったりしたもの。

 2年前のあの日に突然表れて、誠に夢を諦めさせたモノ。


 それが突然表われて、誠を大きく動揺させる。


「■■■■■!!」


「!! しまっ……!!」


 その一瞬の隙をついたかのように、爬虫類メトゥスは荒々しくマチェットを振るい、峰の部分が誠の胴体を直撃した。


「ぐぁぁ」


 潰れたような声を漏らし、その勢いで近くに停められていた軽自動車のフロントにぶっ飛ばされた。


「誠くん!!」


 その様子を見た彩羽は急いで誠の下に駆け寄ろうとした。


「ダメ、だ……!! 彩羽……! こっちに来るなぁ……!」


 口から血を吐きながら、打ち付けた後頭部からも血を流しながら、絞り出すように誠は言った。


「……!! で、でも、このまま誠くんが……!」


 吐血し、凄まじい目つきで自分に言う誠の姿に彩羽は思わず怖気づいてしまい、足を止めてしまう。


「■■■……」


「ひっ……!」


 爬虫類メトゥスはそんな彼女の姿に反応したのか、殺意を彩羽に向け近づき始める。


 誠が少女を逃がしたのと同時に通報していたが、未だに警察かヒーローが来る気配がまだなく、目の前で誠が殺されかけている姿、そして目の前に近づいてくる異形に彩羽は足が震えてしまっていた。


“くそ……! 肋骨がやられた……! 今、動かないと、彩羽が、殺される!”


 脂汗をかきながら誠は痺れる両手両足に力を入れ、何とか立ち上がろうとする。


 こんな所で自分はまだ死ねない。彩羽も死なせたくない。その一心で、手足に熱を灯し、常人なら立つことすらままならないであろう体を起こす。

 夢に破れ、それでもと残された「剣の道を極める」を選び、日々鍛錬をしてきたんじゃないかと自分に言い聞かせる。


「こんな所で……、僕は……」


 思い出すのは、2年前のあの日。

 目の前で師匠を失い、現実に失望し、夢を自ら閉ざした自分。それでも心の底ではどこかで諦めきれなくて、だけどどうしたらいいのかわからなくて、ひたすら鍛錬を続けることで意味を見出そうとしてきた。


 なら、それに意味を見出すのなら、今ではないのか。今この時こそ、死んででも立ちあがって、剣を振るうべきではないのか。


 ならばこそっと、彼は叫ぶ。


「死ぬわけには……、誰も死なせるわけには、いかない!!」


 誠は魂から声を上げ、今この時、強く願った。


 ―――――瞬間、自分の眼が強く、爆発したかのような脈動を感じた。


「がぁぁぁ……!!?」


 一瞬やってきた激痛に握っていた刀を落として目を抑えて声を上げる誠。


「!?」


「え?」


 その声と、突如として湧き上がった特異な雰囲気に、爬虫類メトゥスと彩羽は反応する。


「■■■……」


 だが誠は両目を抑えたまま動かない。そんな目の前で動けなくなっている獲物を放っておくモノはいないだろうと、爬虫類メトゥスは再び誠に狙いを定めて近づく。

 手に握るマチェットは紛れもなく本物の刃であるが、峰で殴り飛ばして動けなくなっていたはずだった。


 彼にとって正体不明の悪寒を本能だけで感じ取り、このまま殺して獲物として食ってしまおうとマチェットを上に振り上げ、目の前で振り下ろそうとした。


 ―――――――――その凶刃が少年の首を落とすことはなかった


「■■■―――――!?」


 代わりとして、爬虫類メトゥスのマチェットを持つ腕が、一瞬その場で立ち上がった誠に居合切りのような斬撃で斬り飛ばされ、耳障りな悲鳴を上げることになった。


 斬り飛ばされた腕は灰色の血を流し、そこで解けるように霧散する。


「……うそ?」


 彩羽は一瞬、何があったのかわからなかった。


 メトゥスを殺すことが出来るのは、異能ミュトスを持つ異能者メイガスだけだ。魔術では決定打になりえないし、完全に倒すことは出来ない。

 誠は異能ミュトスを開花させてはいないはずだった。それなのに、メトゥスの腕を斬り落とし、明確にダメージを与えていることは素人である彩羽から見ても明らかだった。


「■■■!!」


 そして爬虫類メトゥスは目の前の少年が、魔力で出来た刀を握り、頭から血を流している状態で立ち上がっているのを見て戦慄し、残った腕の鉤爪で襲い掛かろうとした。


「死ね」


 そこからは刹那の出来事だった。


 焦りから出た爬虫類メトゥスの反撃の鉤爪は誠に届くことなく、袈裟切り一閃でその首を飛ばされた。


 吹きあがる血しぶき。落ちる首。地面に倒れ、灰のように崩れゆく体。


 爬虫類メトゥスは、そのまま消滅した。


「誠……くん……?」


 彩羽は自分の目の前で起きた出来事に理解が追いつかず、立ち尽くす。


「彩羽……。大丈夫? ケガはない?」


 誠は頭から血を流したまま、先ほど爬虫類メトゥスを倒したばかりなのに、何事もなかったような口調で安否確認をした。

 ―――――輝く赤い眼を灯しながら。


「え……、誠くん、それ……」


 彩羽が誠の眼を見て聞いた瞬間、誠は足元から崩れ落ちるように地面に倒れた。


「いやぁぁぁ! 誠くん! しっかりして、誠くん!! 誰か、誰かぁー!!」


 頭から血を流したまま倒れる誠に彩羽は悲鳴を上げ、助けを求めた。


“あー……。やっぱり、ダメだったか……”


 まるで自分が重傷を負っていたことを忘れていたかのように、見えなくなる視界の中、誠は他人事のように自分の状況を把握する。

 ただ、どうしてあのメトゥスを殺せたのか。どうして今になって、この“眼”が開いて、視えてしまったのか。


 考えないといけないことが多すぎると考えながら、彩羽の声とようやく駆け付けた警官やヒーローたちの声を最後に誠は意識を失ったのだった。

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