第4話 音楽の贈り物

「何年先になるか分からないけど、僕にその時が来たら君と連弾をしたいよ」

そう言いながらピアノの鍵盤に触れて、トビーさんは座る。

「この曲知ってる? 有名なシンデレラストーリー映画の子守唄のアレンジ曲」

彼は、ピアノを優しく弾きはじめた。

「千花が、よく弾いていたんだ。いつか、自分の子供にプレゼントする曲なんだって」

 彼の包み込むような大きな手で、奏でられているメロディーに聴き覚えがあった。


 私が小さい頃に怖い夢を見たと言ったら鼻歌で歌ってくれた。

 初めて両手で弾けた曲は、母が弾いていたこの曲で。

 病気で入院していた時も、個室の部屋ではいつも歌っていた。


 彼からのプレゼントは、母からの贈りものだった。

 トビーさんは、この曲を弾きながら涙が流れていて。そして彼はずっと口を手で押さえながら片手で主旋律の音を鳴らしてくれていた。

 私は彼の手の上から自分の細い手を合わせて祈るように目を瞑った。

「母が、プレゼントって言って、私の前で楽しそうに歌ってました。私を産むために日本に帰国してからは、いつも鼻歌で奏でていたんです」

 静かな時間の中でメロディが消えかけている頃私は口を開く。

「曲のプレゼントって素敵ですね。思い出が詰まったものをプレゼントされるのは。本当にありがとうございます」

 彼が唇を歯で押さえていたが、それを見て私は微笑む。

「やっとこの曲を。君にプレゼントすることができたよ」

 それからもう一度、彼は同じメロディを小さく奏でた。

「お母さんの音楽は受け継がれていると自信持って言えますから。娘として感謝の言葉を」

 立ち上がった私はそっと手を差し出すと彼の手も伸びて来て握手をかわす。

「ありがとうございます。再会の握手ができたのは、トビーさんのおかげですよね」

と、私は心から思っていた。

 彼が真剣にお母さんに向かい合っていたことをきちんと理解してくれていたことに、触れたと思ったからだ。


 トビーさんと同じ、ポーランド出身のショパンという作曲家は、ピアノの詩人とも呼ばれているらしい。

 二十歳で故郷を離れて、パリの上流階級のサロンで華麗なピアノ演奏をした。

 一躍社交界でもてはやされた彼とトビーさんは少し似ているが、トビーさんは、詩人というより、フローリストという感じがする。文学男子という感じはしない。薔薇を売ってそうな見た目をしているが、中身を知れば知るほど、繊細な人だ。

 花を楽譜とするなら音のフローリストと称されたら素敵だなと思った。

 

 バッハは、天文学者で最高に素晴らしい星々を発見した。ベートーベンは宇宙に挑戦した。私はただ人間の魂と心を表現しようとするだけです。


 という名言をショパンは残してこの世を去った。

 誰よりも真剣に、一番美しい音楽を目指す。

 名演奏家たちはいつでも真剣な眼差しで鍵盤を弾いていた。ピアノに身を委ねるように演奏をする姿に魅せられた。

 トビーさんも、ピアノを奏でることで、誰かに音楽の贈り物を贈っている。

 綺麗に花をリボン付けして、ラッピングされたプレゼントを作曲家が残し、トビーさんのような演奏者がたくさんの人たちに花を届け、プレゼントを贈る。

 プレゼントは、誰かの想いや表現からできているから素敵なのだ。

 そして、たった一人にでも想いを届けることができたのなら幸せで。それを、直に体感させてくれた彼には感謝の言葉しかない。

 私は彼の涙をハンカチで拭った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

リプレイ 千桐加蓮 @karan21040829

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ